日本も開催国のひとつとなっているバスケットボールW杯を直前に控え、超ビッグな対談が実現した。
片や『SLAM DUNK』の作者であり、劇場版アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』では原作・脚本・監督を務め日本に再びバスケブームを巻き起こした井上雄彦氏。
片や、過酷な競争世界を生き抜きNBAシーズン5年目でブルックリン・ネッツの主力選手に定着、そして新たにフェニックス・サンズで2年契約を勝ち取った日本代表エース・渡邊雄太選手。
ふたりの会話が起こすケミストリーからは、あふれんばかりのエナジーが伝わってきた!
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■アメリカで磨かれたディフェンス
8月25日から開幕する「FIBA バスケットボール ワールドカップ 2023」。監督は東京五輪で女子代表を銀メダルに導いたトム・ホーバスHC(ヘッドコーチ)。女子代表同様、世界に比べサイズで劣る日本人に合ったスタイルのバスケで勝負する。その日本の強みを体現しているのが渡邊雄太選手だ。NBAでも渡り合う彼の武器は、どう形作られていったのか。
渡邊雄太(以下、渡邊) スリーポイント(シュート)とディフェンス、自分にはそこを突き詰めるしかなかったので。それができなければNBAにいられないという、本当に単純な話で。なので、ずっと継続してやり続けてきました。
ようやく前のシーズンでスリーポイントを自分の武器と言えるようになって。ディフェンスは正直、もうちょっとレベルを上げたいな、というふうに思っています。
井上雄彦(以下、井上) ディフェンスは、いつから自分の武器だと思うようになったんですか?
渡邊 (ジョージ・ワシントン)大学2年生のときにNIT(National Invitation Tournament)というトーナメントがあったんです。NCAAトーナメントに出場できなかった30チームくらいが出場する大会なのですが、その2回戦の相手に平均20点くらい取るようなすごい選手がいて。コーチがその選手のマークを僕に任せてくれました。
もともとはエースストッパーがチームにいたのですが、前半でファウルトラブルにならないように僕が最初についたんです。でも、前半でその選手を2点とかに抑えて、後半もそのままつくことに。
結局試合を通じて6点くらいに抑えることができて勝利にもつながったんです。この試合が自分にとって、ひとつの大きなきっかけになったかなと。
井上 ディフェンスに味を占めたと。
渡邊 そうですね(笑)。この試合でなんとなく〝自分、ディフェンダーとしてやっていけるんじゃないか〟と感じました。
井上 大学のときだから、フィジカルはまだ成長途中。高さやフットワークで守ったんですか?
渡邊 相手選手はポイントガード(PG)だったので、自分より背は小さかったです。横の動きにもしっかりついていきつつ、最後は高さで合わすイメージのディフェンスがすごく有効でした。
井上 1番(PG)に対しても守れるという点が、すごく特徴的ですよね。強みという意味での特徴として。
渡邊 高校生になって身長も伸び、ジャンプ力も上がって、ブロックが簡単にできるようになったんですけど、尽誠学園(香川県)の色摩(拓也)先生にフットワーク系の指導を徹底されました。
多少抜かれても最後で勝てるので、サボろうと思えばサボれちゃうんです。でも、練習中にそうすると、何度も止められて「今のディフェンスは全然ダメ」と言われ続けました。
井上 色摩先生も将来を見据えていたんでしょうね。
渡邊 そうしてくださっていたのかな、と思います。
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尽誠学園ではウインターカップで2年連続準優勝。ベスト5に選出され、日本トップのプレーヤーに名乗りを上げた渡邊選手。しかしその名声を捨て、アメリカへ飛ぶ。最初に所属したのはプレップスクールのセント・トーマス・モア校(米コネチカット州)だった。
■アメリカで戦うメンタルを植えつけたひと言
セント・トーマス・モア校は、井上氏が高校卒業後もバスケットボールを続けることを希望する高校生を対象に創設した「スラムダンク奨学金」の現在の派遣先でもある。井上氏自身、何度も現地に足を運んでいる。共有できるピンポイントな話題から、内容は自然とディープなものに。
井上 アメリカに渡ってからも一歩一歩成長している感がすごくありました。
渡邊 昔から、それこそお父さん、お母さんにずっと教えてもらっていて、努力することが身に染みついている部分はあるんですけど。
アメリカに行って最初、セント・トーマス・モアでみんなと同じように練習時間になったら行って、練習が終わったらみんなと戻るというのを1週間続けたときに、〝あれ、俺はアメリカに何しに来たんだろう?〟と。
その時点で周囲とのレベル差は明らかにあったのに、このまま同じように練習していても勝てるわけがないと感じたんです。そこから朝や練習前後の時間を使って練習量を一気に増やしました。
井上 言葉も違えば文化も違う。生活自体の環境が違う。その時点ですでに大変な上に、英語の授業もあれば宿題もある。そしてさらにバスケットも努力する――努力の量が半端じゃない。選んだ道だから、好きな道だからやれるんだろうな、という気がします。
渡邊 周囲と同じではいけない、という点にすぐ気づけたのはよかったです。
井上 日本にいれば気持ちよくトップの立場にいられるから、いつ「帰ろう」となってもおかしくない。でもその選択をせずに食らいつく道を行ったところに非凡さを感じます。セント・トーマス・モアは、冬は寒いよね。
渡邊 はい。僕は湖のそばのドミトリーで生活してたのですが、真冬になると湖がすぐ凍ってました。学校自体がすごくこぢんまりとしているので、基本的にどこへ行くにも体育館の横を通るんです。
日頃からもそうですし、練習などで何度も何度も通った体育館なので、体育館には特に思い入れがありますね。普通の、小汚い体育館なんですけど。
井上 でもこの前、ジェリー・クインコーチの名を冠したコートになったと聞きました。偉大なコーチだから。ただ、塗り替えただけで大きさといった形はそのままらしいけど。
渡邊 クインコーチには「グレートになることを恐れるな」と言われたことが強烈に印象に残ってます。当時、チームに大エースがいたんです。エリック・パスカルという大エースが。
彼はその後フォーダム大に進んでビラノバ大に移ってチャンピオンになって、それでNBA入り(2019年、ゴールデンステート・ウォリアーズからドラフト2巡目全体41位指名)したんですけど。
僕が渡米前に〝こんなすげえアメリカ人がいるんだろうな〟と想像していたとおりの選手で。彼と自分をよく比較して〝全然ダメだな〟と感じていたときに、クインコーチに「おまえと彼に差はない」と言われたんです。
井上 ほう。
渡邊 日本人は、自信満々というより謙虚でいることをよしとする感覚があるじゃないですか。それはいいところでもありますが、悪いところでもあって。
逆にアメリカ人は、たとえへたでも「俺が一番だ」と自信満々でコートに立っている。そのアグレッシブさがなかった僕に対して「グレートになることを恐れるな」と言ってくださったんです。
井上 でも、エリック・パスカルがチームにいてよかった。正真正銘のアメリカのトップ高校生がいたということだから。そこで自分と彼の距離という「物差し」ができた。それはつまり「あいつのところまで行けばトップに行ける」ことが見えたわけでしょう。
渡邊 はい、いてくれてよかったです。
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パスカルという「指標」が身近にいることでNBAと自分の距離感が測れたという渡邊雄太選手。「トップと自分」の距離が可視化されることを、井上氏は特に重要視しているように感じられる。
■NBA選手と直に触れ合う意味の大きさ
来るW杯で、日本はいかに世界と戦うのか。現在、急速に成長している日本バスケットに必要なのは、結果もあるが、同時に「夢」を感じてもらえるかも重要なポイントとなる。現在の日本の子供たちがバスケットに夢中になってもらうために――。過去と未来をつなぐ架け橋となる重要なタイミングが今であることを、ふたりはわかっている。
渡邊 高さや強さでは絶対に勝てないので、とにかく展開を早くすることと、あとはスリーポイントを高確率で決められるかどうか、というところになってきます。スリーポイントが高確率で決められれば、最後まで競った試合ができると思いますし。
井上 やはりトランジションが速いのと、スリーポイントがバンバン入るのは見ていて気持ちがいい。体格の小さいほうが大きいほうを倒すのもおもしろい。トムのバスケはサイズにあまりこだわってらっしゃらない。だから多くの日本人の共感を呼ぶ気がします。
あと子供たちにとっても。子供たちは大人に比べれば小さい。だから小さい人が活躍していたり、大きなチームを倒したりするようなゲームにより共感しやすいんじゃないかな、と。
渡邊 NBAでは、試合前の練習時間が選手からサインをもらえる唯一のチャンスなんです。僕は基本的に、体育館が開放されてお客さんが入る前に練習をしていたんですけど、ある日、コートにお客さんが入っていることがあって。
「みんなに挨拶してきて」と言われたので行ったら、「ユータ、サインちょうだい!」って子供たちがワーッと寄ってきたんです。ブルックリンでもこれだけ自分のことを評価してくれているんだと、すごくうれしかったですね。
井上 NBA選手に会える、ということだけで子供たちにはすごく影響があると思う。
渡邊 僕が幼い頃は、そういったクリニックみたいなものなかったかと......あ、ファイブスターキャンプは行ってました。
井上 ファイブスターキャンプって、(元『月刊バスケットボール』編集長の)島本(和彦)さんと(元日本代表の)岡山(恭崇)さんがやっているやつでしょう?
渡邊 まだ小学生だった記憶があります。
井上 日本でのバスケクリニックとなると、先駆け的存在。
渡邊 はい。当時はそれくらいしかありませんでした。個人的な話になりますが、ちょうどクリニックを開催したんです。それこそ、NBA選手と触れ合う機会が自分にはなかったですから。だから、自分に何かできないかと考えて、多くの方に動いていただいて実施したのですが。
井上 意義はとんでもなくあるでしょう。何を教えてもらうかも大事だけど、実際に選手に会って、目の前で見て、佇(たたず)まい――歩き方から、練習への向かい方、声の出し方まで――すべてが学びになる。何より憧れになるし、目指すべき場所が見える。子供たちにとっては本当に大きな体験になると思います。
渡邊 まだ初めてで手探りなので......。でも、何かちょっとでも伝えられればいいな、と。
井上 さっきのパスカルの話でもしましたけど、NBAで活躍するトップの「渡邊雄太」と今の自分の距離が見えたら、バーンと道ができる。
そうしたら、NBA選手になるために、自分は何をしたらいいだろう、と具体的に考え動き出す。少なくとも考えようとする。その効果は計り知れない。一生残る体験にもなるし。こういったクリニックが俺のときにもあれば(笑)。
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「俺のときにもあれば」と天を仰ぐ井上氏の思いに応えるような動きが、実はこの夏、Bリーグでもあった。7月20日から8月14日まで、「スラムダンク奨学金」の奨学生やBリーガーが全国の小学生を対象にクリニックを行なう「B.DUNK KIDS PROJECT」。注目されるトップだけでなく裾野にもしっかりと目を向けた取り組みを行なうことで、日本バスケットは持続的な発展に着手していることを忘れてはいけない。
■強さと、そしておもしろさと
今や日本バスケを牽引するNBA選手になった渡邊雄太選手。かくいう彼自身も、幼い頃は『SLAM DUNK』を夢中で読みふけった一少年だった。作品の話をしている間は前のめりで、2m超の大男が少年のように無邪気だった。
渡邊 僕は幼い頃から『SLAM DUNK』をずっと何回も読み続けて。それこそ全選手、全セリフを覚えてるぐらい、本当に何度も何度も読んで。それこそ僕の姉は、もともとバレーボールをやってたんですけど『SLAM DUNK』を読んでバスケを始めたという。
井上 そうなの?
渡邊 お父さん、お母さんはお姉ちゃんにずっとバスケをやってほしかったんです。でも泣きながら「絶対バスケなんかやりたくない!」って。なのに、ある日朝起きたら急に「私、バスケット始める」と言い出して(笑)。『SLAM DUNK』を読んで、今までのバスケ嫌いはどこいった?くらいの変わりようで。
井上 たぶんご両親の刷り込みが効いたんでしょう(笑)。
渡邊 いやいや、本当に『SLAM DUNK』で姉の人生が大きく変わったくらい、渡邊家にとって欠かせないものなんです。映画もめちゃくちゃおもしろかったです!
井上 ありがとうございます。アメリカで「『SLAM DUNK』の映画が見られない」とツイートしているのを見て、映画スタッフみんなに「絶対に渡邊雄太が帰国するまでやるぞ」と、それを目標に頑張ってきました。成し遂げられてよかったです。
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2022年末に公開された劇場版アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』は日本のみならず世界中で大ヒット。日本ではバスケットを始める子供たちが増加するなど、連載時と同様のバスケブームを国内に巻き起こし、今なお公開中だ。この熱、勢いを背に開催される今回のバスケW杯は、否が応でも期待が集まる。
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渡邊 特に日本は国際大会がすごく盛り上がるといいますか。サッカーや野球がこれだけ人気なのは、国際大会で結果を残してきているからで。バスケにそこまでの熱がないのは、僕ら日本代表が勝ててないのが原因だと思ってます。
日本でも行なわれる今回のW杯はチャンスで。ここでバスケ熱に一気に火がつくのか、停滞してしまうのか、という責任も感じています。
井上 もちろん、勝つこと、成績を残すことで日本が盛り上がるかもしれないけれど、バスケット自体がおもしろい、というのもプラスとしてあると思います。トムのバスケットはおもしろいから、それをW杯で披露してほしいし、それで世界を驚かせてほしい。僕はその点にも期待しています。
●井上雄彦(いのうえ・たけひこ)
1967年生まれ、鹿児島県出身。漫画家。1990年連載開始の『SLAM DUNK』(集英社)は日本におけるバスケットボールブームの火つけ役となる。以降、1998年から『バガボンド』(講談社)、1999年には車いすバスケットボールを題材にした『リアル』(集英社)を連載。2022年に公開されたアニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』では原作・脚本・監督を務める。
●渡邊雄太(わたなべ・ゆうた)
1994年生まれ、香川県出身。プロバスケットボール選手。NBAフェニックス・サンズ所属(2023-24シーズン~)。身長206㎝。尽誠学園高校進学後、1年生から全国大会に出場。1年生でU-18日本代表候補に、2年生では高校生で初めてバスケットボール男子日本代表候補に選出される。高校卒業後、アメリカ留学を経て2018年、日本人ふたり目のNBA選手となる。