この笑顔と試合での闘志のギャップが魅力的な寺地拳四朗 この笑顔と試合での闘志のギャップが魅力的な寺地拳四朗
9月18日、WBAスーパー・WBC世界ライトフライ級王者の寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)が両王座の防衛戦に臨む。先日配信した記事では、加藤健太トレーナーとの絆、ボクシング人生のターニングポイントとなった敗北と再起について触れたが、本記事では"スマイルアサシン"(ほほえみの暗殺者)の異名を持つ拳四朗の素顔を紹介したい。

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世界2団体統一王者、寺地拳四朗が東京での練習拠点とする三迫ジムは、東武東上線の東武練馬駅の南側、下町情緒あふれる北一商店街を少し歩いた所にある。輪島功一など3人の世界チャンピオンを生んだ名門ジムだ。

父親の寺地永(ひさし)はミドル級で日本タイトル、ライトヘビー級で東洋タイトルを獲得した名ボクサー(生涯唯一の敗戦は竹原慎二との日本タイトルマッチ)で、現在は拳四朗の所属するB.M.Bボクシングジムを京都で運営している。

2017年5月の世界タイトル初挑戦時、三迫ジムのサポートを受けたことをきっかけに、拳四朗の同ジムへの出稽古、加藤との師弟関係は始まった。加藤は技術指導をするトレーナーとしてだけでなく、拳四朗陣営にとっては作戦面も含めた参謀役として欠かせない存在だ。世界タイトル6度目の防衛戦からはチーフセコンドも任されている。

9月18日に有明アリーナで元2階級制覇王者、現WBC1位のヘッキー・ブドラー(南アフリカ)の挑戦を受ける拳四朗の、ある日の練習を取材した。

練習は午後1時から開始。拳四朗は軽めの準備体操で体をほぐし、立ったまま慣れた様子でバンデージを巻いた。他のプロ選手はたいてい夕方から来て練習するので、拳四朗以外はほぼ一般会員ばかり。3分タイマーをセットすることもなく軽めにシャドー。インターバルの合間は一般会員と雑談したり、アドバイスしたりと、サークル活動のような和気あいあいとした雰囲気だ。

三迫ジムの選手や一般会員たちも拳四朗の練習を支える仲間 三迫ジムの選手や一般会員たちも拳四朗の練習を支える仲間
加藤と一緒にリングに上がると、短棒を使い、相手との距離や攻撃、防御のタイミングを確認するためのトレーニングを始めた。拳四朗独特の、相手との距離感覚はこの練習で培われたそうだ。

ミット打ちを終え、仕上げはプロアマ関係なくペアを組み、交代でサンドバッグを全力で連打する追い込み練習。世界戦を控えた拳四朗も同じようにこなし、自分がインターバルの合間は、「あと少し!」「頑張って!」と他の選手や会員を鼓舞した。

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ジムワークは1時間半。テンポよく、あっという間に終了した。拳四朗が言う。

「昼間はいつもこんな感じですよ。試合前も同じ。普通に一般会員さんとマスとかしますもん。むしろ『練習一緒にやってくれてありがとう』って感じです。やってほしいくらい。(追い込むような練習は)ひとりじゃできないですよね、ひとりは寂しいじゃないですか(笑)」

筆者は1990年代からボクシングジムでの取材を何度もしてきたが、世界戦を控えたボクサーで、これほど笑顔で一般会員ともリラックスした様子で練習する選手は初めて見た。

気さくにアドバイスをして、リングも譲り合う。周りも気兼ねなく話しかけ、時には互いに冗談混じりのツッコミを入れたりもする。一般会員の方に聞いても、これが普段どおりの拳四朗──世界2団体統一チャンピオンの姿だという。

練習後、トレーナーの加藤に拳四朗の魅力について聞いた。

「世界チャンピオンでも偉ぶらない人柄。それが拳四朗の魅力です。もし人柄が良くなければ、相手が世界チャンピオンでも、別のジムの選手にリングを気持ちよく譲りたいとは思えませんよね」

暴力が支配する弱肉強食の世界に現れた伝説の暗殺拳"北斗神拳"の伝承者・ケンシロウからとった名前を持つ男は、ふんわりしたゆるキャラのような見た目そのまま、誰からも愛される癒し系だった。ただし、内に秘めた闘志はやはり世界チャンピオン。努力は人に見せないだけ。そんな拳四朗の知られざる一面を物語るエピソードを、加藤が教えてくれた。

「今日みたいに普通にミット打ちしてるときでも、靴を脱いだら足の裏の皮がべろんべろんに剥がれてたりするんですよ。どう見ても普通なら歩けないほど酷いぐらいに剥がれている。それでもミットを構える僕が気づかないくらい、最後まで何事もなかったように練習はきっちりこなします。

尋常じゃないほど動けるステップワークも驚きますが、それ以上に、普通の人なら痛さに耐えられないような状態でも、最後まで止まらず、涼しい顔でやり切れることに驚きます」

拳四朗本人は「でも痛いっすよ、普通に」と言いながら、屈託なくケラケラと笑った。

加藤チーフセコンド(左)と短棒を使ったトレーニングをする拳四朗 加藤チーフセコンド(左)と短棒を使ったトレーニングをする拳四朗
「年間ベストバウト候補」と絶賛された、今年4月の防衛戦、アンソニー・オラスクアガ戦では両者引かない戦いを9回KOで制した。加藤はこの試合で、拳四朗の底知れぬ精神的な強さを改めて実感した。

7回はどちらが倒れてもおかしくないような激しい打ち合い。ゲスト解説の元世界チャンピオン、山中慎介が「そこまでしなくてもいいのに......」と思わず呟いた攻防で、息切れした様子は見せなくとも、実は拳四朗の体力は、限界近くまで消耗していたという。

「試合中体力が消耗しても、味方にさえ気づかせない。コーナーに戻ってきても何も言わないし、呼吸が乱れた様子も見せない。トニー(オラスクアガの愛称)戦でも、7回終わって戻ってきてからようやく、『あれ、拳四朗もしかしたらスタミナ切れてるの?』って、味方も戸惑うほどでした」(加藤)

8回は足を使い距離を取ってジャブを軸に攻撃し、相手を休ませないようにしつつ、自身の体力回復を図る作戦に変更した。しかし、拳四朗のパンチや動きから疲れを察したのか、オラスクアガはチャンスとばかり左右に勢いよく振るパンチで圧力をかけてきた。

追い込まれた拳四朗は連打を浴び、バランスを崩す場面も。試合後のインタビューで「心折れかけた場面もあった。最後は気持ちの戦い。そこだけで戦っていた」と振り返ったように、8回の残り1分間は、明らかにオラスクアガ優勢だった。

8回終了後のインターバル。加藤は、9回は集中することを意識して、再び前に出て打ち合うよう指示を出した。

加藤のアドバイスに頷く拳四朗の左側でアイシングするのは、父、寺地永会長の現役時代のフィジカルコーチでもあった篠原茂清トレーナー。ボクサー以外にも格闘家、野球選手、競輪選手など多くのアスリートを指導している篠原トレーナーは、寺地親子二代にわたってセコンドについている。同日はスケジュールを調整し、大阪から当日入りでサポートに駆けつけた。

篠原トレーナーの反対側、右側でサブ担当の横井龍一トレーナーがマウスピースを素早く洗浄し、気合注入とばかりに肩を叩いて鼓舞した。普段は別選手のトレーナーだ。横井トレーナーは名門ヨネクラジムで10年間指導し、同ジム閉鎖後、三迫ジムに移籍した。指導歴20年以上のベテランは明るい人柄で一般練習生にも慕われる、『チーム拳四朗』にとっても欠かせないムードメーカーだ。

「自分のことしか考えられない人の周りには自分の利益ばかり優先するような人ばかり集まる。ボクシングの世界も同じです。周りの人を大切にできるボクサーには、やっぱり『選手のために』という気持ちの人が集まってくれます。それが力になる。トレーナーも、自分のことしか考えられないような選手のためにミットを持ちたいとは思えない。ピンチのとき、背中を押すような掛け声もできないと思います」(加藤)

9回、セコンド陣の1分間のサポートが実り、体力、気力とも回復した拳四朗は再び足を止めて打ち合い、オラスクアガのボディをえぐるように、強烈なパンチを何発も繰り出した。相手の動きが止まったとみるやコーナーに追い詰めワンツー連打。拳四朗に劣らない驚異的なスタミナと打たれ強さで戦い続けたオラスクアガもついに腰を落とし、レフェリーが試合を止めた。

統一王者として初めて迎えた初防衛戦は9回58秒TKO勝利。拳四朗は試合終了と同時に赤コーナーに駆け寄り、トレーナー陣に涙を流しながら抱きついた。

勝利者インタビューで真っ先に語ったのは、防衛に成功した勝利の喜びではなく、サポートしてくれた仲間に対する「感謝」だった。

「チームがほんとに支えになって......。泣いたんは、チームの優しさに泣いちゃって。ひとりやったら厳しい戦いでした」

有明アリーナの天井から吊り下げられた大型ビジョンには、ガッツポーズをして写真撮影する『チーム拳四朗』の様子が映し出された。WBA、WBC、伝統ある2本のベルトを肩に下げた拳四朗の周りには、たくさんの笑顔が溢れていた。

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「次の試合はいつなの? 応援してるわよ!」

午後5時――。インタビューを終えてジムの外に出た拳四朗に、向かいにある居酒屋の女将さんが話しかけてきた。割烹着姿の女将さんと談笑していると、「どうしたどうした?」とばかりに、ご主人らしき男性、ほろ酔いのお客さんも顔も出し、孫のような年齢の拳四朗を囲んだ。

試合日程を伝え、「応援よろしくお願いします」と挨拶する拳四朗。練習後の疲れなど一切見せず、終始笑顔で話題が尽きるまで付き合い続けた。

「長期出稽古」を続ける拳四朗に快く練習環境を提供してくれる三迫貴志会長。加藤をはじめとしたトレーナー陣、一般会員を含めた練習仲間。さらには、ここ北一商店街で店を構えるご近所さんなど、多くの人たちの協力や応援、励ましによって世界2団体統一王者は支えられていた。

周りに対する感謝の気持ち。それは間違いなく世界チャンピオンとして長く活躍できている理由のひとつなのだ。

プロボクサー、寺地拳四朗の23回目のゴングは間もなく鳴る。

三迫ジム近くの居酒屋のみなさんも統一王者を応援している 三迫ジム近くの居酒屋のみなさんも統一王者を応援している