21歳で本格的に競技をスタート、デビューの対戦相手は小学生の女の子。緊張のあまり何もできなかった惨敗から、十数年。全日本選手権を連覇、世界選手権でも頂点に。
パリ五輪で新しい種目となったブレイキンことブレイクダンスで、今、最も金メダルに近いとされる、AYUMI/福島あゆみ(ブレイキン女子日本代表/BODY CARNIVAL所属)。"遅咲きの女王"が語る長い旅路と、パリ最注目競技の最前線。スポーツキャスター・中川絵美里が聞く。
■ブレイキンの火つけ役はあの伝説的な番組!?
中川 ブレイキン(ブレイクダンス)といえば、私が最初に知るきっかけになったのが、お笑いバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』(1996~2018年、フジテレビ)の中でのナインティナイン・岡村隆史さんとガレッジセール・ゴリさんのダンスバトル対決でした。AYUMI(福島あゆみ)選手もご記憶にありますか?
AYUMI ああ、懐かしいですね! 確かに私の周りの選手もあの番組がきっかけで、ブレイキンを始めたっていう人はけっこういますね。で、自分なりに技を覚えて研究していくみたいな。
中川 やっぱり、そうなんですね。ブレイキンは来年のパリ五輪の新種目になりましたが、それこそ"バトル"が採用、DJがかける音楽に合わせて、1対1で交互に踊り(1ムーブ・イーチ)、勝敗を競う形式だそうですね。
AYUMI はい、そうです。
中川 AYUMI選手を目の前にして言うのは憚(はばか)られるのですけど、私も実は高校時代に少しだけブレイキンを習っていたんです。
AYUMI えー!? めっちゃすごいじゃないですか!
中川 いやいや。ほんの数ヵ月だけでした。私は地元が静岡で、12年ほど前、県内にはブレイキンのレッスンがあるダンススタジオというのが1、2校ぐらいしかなくて。やっと探し出して通ったまではよかったのですが、先生がヘルニアを患ってしまい、休校になり、自然消滅してしまったんです。
AYUMI うわぁ、残念。
中川 実際、自分でやってみて、ダンスの中でも本当に簡単じゃないなと。しかも、アクロバティックな技も駆使しますよね。コンペティション自体は予選から決勝まで計12~15ムーブ、しかもそれを予選日、決勝日と振り分けられるのではなく、すべて一日でこなすわけですから、当然、持久力も求められます。
AYUMI どのダンスのジャンルも決して簡単というわけではないですけどね。でも、ブレイキンの場合はパワームーブと呼ばれる大技とかもあるから、ハードといえばハードかもしれないですね。
中川 AYUMI選手は、21年12月に行なわれた世界選手権で優勝、パリ五輪への強化指定選手にも選ばれています。選出されたときの心境はいかがでしたか?
AYUMI 正直、悩みましたね。声がかかった時点で、36、7歳の年齢でしたし。え!?っていう感じの年じゃないですか、私(笑)。今からいけるのかっていうのが、まず頭の中に浮かんで。気持ちも体も耐えられるのかなって。
中途半端にやりますって返事しておいて、ちょっとでも気持ちが折れたり、ケガとかしちゃったら、やっぱりやめますっていうのは絶対に嫌なので、じっくり考えましたし、周囲にも相談しましたね。
中川 悩みに悩んで、考えに考えた末、決断を下したと。
AYUMI ええ。悩むってことは、その時点でやりたいという気持ちがすでに心のどこかにふつふつとあるわけですよ。でも、なかなか決め切れなくて。
中川 最後は周囲から背中を押してもらったんですか?
AYUMI そうですね。やってみたら? チャレンジしてみなよって。五輪の新種目ということで、新しい扉を開ける、その中でダンスを思いっ切りできるんだったら、トライしてみようと。それで腹をくくりましたね。
■3週間でデビュー。初めての相手は小学生
中川 AYUMI選手は、21歳のときからブレイキンを始められて、もともとは違うダンスをされていたそうで。
AYUMI ええ、最初にやり始めたのは、ストリートダンスの中で、ブレイキンとはまた違ったカテゴリーのヒップホップダンスでした。ちょうど、中学校の終わりぐらいのときでしたかね。友達がやってると聞いて、何かの大会を見に行って、興味を持って、母にやってみたいとせがんで始めたんです。
中川 そこからは本格的に?
AYUMI いえ、週1回のお稽古事みたいな感じで。あとは友達とやってみたり。高校時代はそんな調子で。一回、ダンスもやめちゃいましたし。
中川 え、そうだったんですか!? では、21歳でまた再び始めて、しかもブレイキンというのは、どういった経緯からだったのでしょう?
AYUMI 高校を卒業してカナダに留学したんですよ。で、言葉の壁にぶつかって、留学の難しさに直面していた時期だったんです。一時帰国したとき、ちょうど姉(NARUMI/福島梨絵[りえ]。現在、ブレイキンの日本代表コーチ)が、ブレイキンをやってて。大会を見に来る?って誘われたのがきっかけでした。
私自身、モヤモヤしていたし、何か新しいことにチャレンジしたいという気持ちもあったので、思い切って飛び込むことにしたんです。
中川 いざ始めてみて、いかがでしたか? 同じダンスといえども、ヒップホップダンスとはまた勝手が違うと思うのですが、すんなり入っていけましたか?
AYUMI 確かに、ブレイキンはダイナミックかつアクロバティックな技もけっこう多いですからね。もう最初は全然できないわけですよ、そういう大技も含めて。だから、習得するまでひたすら練習に練習を重ねて。それが性に合っていたというか、どんどんのめり込むようになっていったんです。
中川 記事を拝見してびっくりしたんですけど、ブレイキンを始めてから、たった3週間の後にいきなり大会に出られて、バトルをやったそうですね。
AYUMI もうね、完全に姉のむちゃぶり(笑)。どうせいつかはバトルに出なきゃいけないんだから、今でも後でも一緒でしょって。なので、留学先のカナダへ戻る前に出場しようってことになり。
中川 いかがでした? 最初のバトルは。
AYUMI 散々でしたね(苦笑)。DJが繰り出す音に合わせて即興で踊るわけですけど、ある程度事前に技も仕込んでおかないとダメですから、地元の京都の先輩たちに手伝ってもらいながら準備して。
いざ、バトルのステージに立ってみたら、対戦相手は小学生の女の子。この子がなかなかうまくて。私はっていうと、緊張もしちゃっていたせいか、途中でムーブが止まってしまったり、最後もなんだか意味のわからない、しまりのない終わり方をしてしまって。
それにバトルの後って、対戦相手と挨拶を交わすというのが基本なんですけど、それもすっ飛ばしてしまい......。もう、グダグダ。
中川 デビュー戦がそうですと、なかなか気持ちの切り替えが難しいですよね......。その後、留学先のカナダでも続けることにしたんですか?
AYUMI ええ、やっぱりブレイキンはやりたかったんですよね。ですからカナダでも、つてとか練習場所とか探していたんですけど、なかなか見つからなくて。で、ある日、友達とカフェでお茶してたら、窓の外にヘルメットをぶら下げている男性がたまたま通りかかって。
中川 そのヘルメットとは、もしや......?
AYUMI そう、その当時のブレイキンは、外でやることが多かったので、頭を保護するためにヘルメットをかぶる方が多かったんですよね。だから、そのヘルメットを見た瞬間にピーンときて、走って出て、英語で声をかけたんです。「もしかして、ブレイキンやってますか?」と。
中川 運命的というか、タイミングがすごいですね!
AYUMI そう! その彼はワーキングホリデーでたまたまやって来た日本人で。「おととい、こっちに来たんですけど、ちょうどいい練習場所を見つけたんで、今日一緒にどうですか?」と。運が良かったです。
中川 そこからはもうずっとカナダで?
AYUMI そうです。5年ぐらい。日本みたいにスタジオではなくて、もっぱら外での練習だったんですけど、私にとっては今でも大切なルーツのひとつになってますね。
中川 カナダでの5年間がAYUMI選手の礎となり、ブレイキンのダンサーとしてやっていこうと決意が固まったわけですか?
AYUMI そこまでガチガチな覚悟はなくて、自然な流れというか。遠征での行き来が楽しくて、仲間もどんどんできて。あと、姉が海外へ積極的に武者修行に出ていく行動派だったんで、いつかそうなれたらいいなっていう思いはありましたね。
■"日本代表の合宿で勧められた"秘策"
中川 ブレイキンは、18年のブエノスアイレスユース五輪で初採用、日本女子のRAM(河合来夢[らむ])選手が金メダル、日本男子のShigekix(半井重幸[なからい・しげゆき])選手が銅メダルをそれぞれ獲得しました。20年の暮れにパリ五輪の新種目として決まったわけですが、そのとき、率直にどう思われましたか?
AYUMI 正直、びっくりしました。もちろん、ユース五輪での日本代表の活躍は知ってたし、Shigekix選手は彼が小学生のときからお互いに知ってるので。でも、まさか五輪の正式種目になるなんて思いもしなかったです。すごいことになったと。
中川 出たい、もしくは出られるのではって思いました?
AYUMI そんなそんな(笑)。その当時は思いもしなかったです。
中川 でも、現に今は強化指定選手に選ばれたわけで。周りの反応も変わってきているのではないですか?
AYUMI そうですね。やっぱり五輪の種目になったというのはいろんな意味で大きくて。今まで私の親族も友達も、ブレイキンのことはいまひとつピンときていなかったんですよ。でも、いざパリ五輪で行なわれるとなったら、関心がより強くなったというか。
こうしてメディアに取り上げていただく機会も徐々に増えていってますし、行く先々で「頑張ってね」って声をかけてもらえるのはすごくありがたいです。状況が変わりつつあることは肌で感じています。
私も、ほかの選手たちも、パリ五輪はブレイキンを多くの人に知ってもらえる絶好の機会だって歓迎してます。
中川 ユース五輪では素晴らしい結果を日本代表は出したわけですから、合宿も相当力が入っているようですね。どんなメニューをこなすのでしょうか?
AYUMI おもしろいですよ。踊りや技だけじゃないんです。日本ダンススポーツ連盟の方やコーチ陣がいろいろ考えてくれて。例えば、専門の教授をお招きして、暑熱対策のレクチャーをしてもらうとか。
中川 あの、マラソンなどで行なう暑熱順化トレーニングのような?
AYUMI そうです。パリ五輪でのブレイキンの会場は屋外なんですよ。しかも8月ですからね。一応屋根が張られて、開始時刻は夕方以降を予定しているとはいえ、日差しが強く、体感温度が高くなるのはほぼ間違いない。
というわけで、夏のパリに調査チームが出向いて、試合時刻あたりの会場の気温とか細かくデータを取ってきてもらったり。踊った後に体のどの部位が熱を帯びているか、サーモグラフでチェックして、「じゃ、ここをクールダウンさせて回復に努めよう」とか。
中川 一般的には、熱中症に対しては脇の下を冷やすといいと聞きますが......。
AYUMI 私たち選手の場合は、頭頂部や手のひらを冷やせ、と言われました。
中川 なるほど! 練習だけではなく、そういったところにも心を砕いて戦わないといけないわけですね。
AYUMI選手は体のケアも非常に大切にされているそうですね。約3年前に患ったヘルニアが、体を見つめ直すきっかけになったんでしょうか? 左半分の肩、首の後ろから手の先までの痺れがひどく、回復まで4ヵ月もかかったそうですが。
AYUMI 私、そのヘルニアを患うまで、長期に及ぶ大きいケガは一度もしたことがなかったから、すごくショックでした。練習もごく限られてしまって。それまで当たり前に全身をフルに使って踊れていた自分はなんて幸せだったんだろうと。
やっぱり、踊りたい。だったら治すために頑張ろうって。周りでケガを経験した選手仲間からのサポートもあって、なんとか治せたけど、もう今はとにかく体のケアを大事にしてますね。
中川 筋トレに注力する選手もいるそうですが、AYUMI選手の場合は入念に体のケアを行なうタイプなんですね。
AYUMI そうです、私はケア重視派です。練習や大会の始まる前も終わった後もドクターや接骨院とか、ケア関連の施設にひたすら足を運んで。ちょっとしたケガでも、1~2週間のロスは大いにありうるし、気持ちも落ち込むので、毎日のケアは必須です。
■日本の強みは、繊細さと真摯な姿勢
中川 パリ五輪では、男女の個人戦がそれぞれ行なわれます。出場枠は限られており、ベルギーでの世界ダンススポーツ連盟(WDSF)選手権や中国でのアジア競技大会、来年の予選シリーズなどでその枠を巡って争うわけですが、どんな気持ちで向かっていきたいですか?
AYUMI 夏にヨーロッパへ行った際、そこで感じたインスピレーションを取り入れて、今回のベルギーでの世界選手権で新しい動きとしてぶつけました。次の中国での杭州(ハンジョー)アジア大会でもそうしようと思います。
10年前だったら、若さがある分、動きも速かったり、ダイナミックだったりしたのですが、青くさい部分もあったりして。今はどうかといえば、年齢的なことはあるけど、今の自分にしかできない踊りや技があるので、それを存分に発揮したいです。
中川 ブレイキンのジャッジ評価基準は、技術と表現、総合性の3つからなっているそうですが、ご自身のストロングポイントはなんですか?
AYUMI 私の場合、もともとの性格が、一度にあれもやりたいこれもやりたいっていう感じなんですね。だから、表現の中にある評価項目の「ディテール」が特に強みなのかなって。いろんな表現の要素をさまざまなつなぎ方で豊富に見せていくという。
中川 日本勢は複数のメダル獲得への期待が大きくかかっています。先ほどのShigekix選手や、去る7月に中国で行なわれたアジア選手権決勝で相まみえたAmi(湯浅亜実[あみ])選手など、猛者ぞろいです。特に、AYUMI選手は昨年の世界選手権を制したAmi選手に勝ってアジアの頂点に立ったということで、自信のほどは――?
AYUMI いやいや、優勝できたのは本当に奇跡的で。Ami選手のことは彼女がちっちゃいときから知ってますし、才能としては世界トップクラスですから、心からリスペクトしてます。
もちろん、バトルとなったら、正々堂々と全力で戦いますけど、それ以外のところでは仲良くさせてもらってるし、応援もしてます。とにかく、私たち日本代表みんなでメダルを獲(と)りにいけたらいいなぁって思います。
中川 ブレイキンにおける日本人選手の強さはどこにあると考えますか?
AYUMI 率直に言って、私たちの先輩の時代から日本人は非常に繊細というか、動きがとても丁寧なんですよね。あと、真面目です。本当に。もちろん、どの国の選手も真剣にやってるんですけど、日本人の真面目さは際立ってますね。練習の虫というか。
あと、新しいことにどんどんチャレンジしていくマインドもあります。合宿でもそれはひしひしと感じますね。
中川 探究心と向上心が旺盛だということですね。ますます期待したいです!
AYUMI ブレイキンはあらゆる意味で自由度の高いアートでありスポーツです。その面白さをひとりでも多くの方に感じてもらいたいです。
●AYUMI/福島あゆみ(Ayumi FUKUSHIMA)
1983年6月22日生まれ、京都府出身。中学時代にヒップホップダンスを始める。19歳でカナダのバンクーバーへ留学、一時帰国の際にブレイキンと出会う。21歳で本格的に競技をスタート。2021年に世界選手権で優勝、22年、23年の全日本選手権では連覇を達成。去る7月、中国で行なわれたアジア選手権でも頂点に立ち、パリ五輪の金メダリスト筆頭と目される
●中川絵美里(Emiri NAKAGAWA)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。『Jリーグタイム』(NHK BS1)キャスター、FIFAワールドカップカタール2022のABEMAスタジオ進行を歴任。2023WBC日本代表戦全試合を中継するPrime VideoではMCを務めた。現在『情報7daysニュースキャスター』(TBS系、毎週土曜22:00~)の天気キャスターを務める。TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週水曜21:30~)のメインパーソナリティを担当
スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/川上優香(中川) 衣装協力/Mardi Mercredi ete