10月1日に1周忌を迎えたアントニオ猪木の軌跡を追うドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』が本日、10月6日より公開される。

本記事では映画にも出演した新日本プロレスの"レインメーカー"、オカダ・カズチカに猪木への思いを語ってもらった!

■「僕はずっと会いたいと思っていた」

――オカダさんが新日本に入門した2000年代後半は、猪木さんと団体は交流がほとんどない状況でした。そもそも「アントニオ猪木」というプロレスラーを初めて認識したのはいつ頃でしたか?

オカダ 僕はゲームからプロレスを好きになったんですけど、そこで知ったのが最初だったと思います。でも、当時は現役のレスラーたちをプレイしたかったので、猪木さんのことを深く知ることはなくて。代名詞でもある延髄斬りとか卍固めとかって技すら知らなかったんじゃないかなと思いますね。

――じゃあ、猪木さんが新日本にとって神様みたいな存在だということは、入団してから知った感じですか。

オカダ 正直、入ってからもよくわからなかったですね。お会いする機会もなかったですし。道場に等身大の写真パネルがあって、「この人が新日本を作ったんだよな」と思っていたくらいです。

――入門当時はまだパネルがあった。

オカダ ありました。練習の前後に、パネルに向かって礼をしていました。

――映画でも語られる有名なエピソードですが、あれは棚橋弘至さんが外そうと決めたわけですよね。団体にとっては大きな出来事だったはずで、当時のオカダさんはどう感じていました?

オカダ 「ああ、外すんだ」って(笑)。いろいろありましたからね。あの頃はいろいろあったんで、しょうがないよなと思っていました。

映画では猪木のパネルをめぐるエピソードについて、くりぃむしちゅー有田哲平が棚橋弘至に真相を聞く場面も映画では猪木のパネルをめぐるエピソードについて、くりぃむしちゅー有田哲平が棚橋弘至に真相を聞く場面も

――それほど猪木さんと関係は薄かったオカダさんが、2020年2月2日の札幌での試合後のマイクで、猪木さんの名前を「いま気になる人」として挙げられました。あらためて、あの発言の意図を教えていただけますか?

オカダ 僕はずっと会いたいと思っていたんです。ちょうどその少し前に、獣神サンダー・ライガーさんの引退セレモニーがあって、猪木さんからビデオメッセージが来ていたんですよ。それで「あ、新日本で猪木さんはもうオッケーなんだ」と思ったんです。

――今まではタブーな雰囲気だったけど。

オカダ 機会さえあれば、こうやって出てきてくれるんだなと。ただ、バックステージで名前を出しても、それほど反響はないですよね。でも、お客さんの前だったら、「どういうことなの?」ってなる。だから、いきなり猪木さんの名前を出したということです。

■「なぜ、あそこまでお客さんを惹きつけられるのか?」

――実際、現場は相当にざわついていました。

オカダ 誰も意味がわからなかったと思います。何も説明しないまま終わったので。

――なぜ、そこまで猪木さんに会ってみたかったのでしょうか?

オカダ ほんと率直に、猪木さんとプロレスの話をしてみたかったんですよ。僕が新日本で初めてチャンピオンになって、10年弱くらい経っていました。ここからもっと団体を盛り上げるには、今までと同じことをやってもダメだろうと感じ始めていて。新しいことを突き詰めるのも一周しちゃった気がするなってタイミングだったんです。

むしろ、古いものが新鮮に感じられるようなこともあるかもしれない。例えば、今の試合でコブラツイストをやったら、最近のファンは新しいと思うかもしれないですよね。昔はあった大事なものが、僕が知らない間になくなってしまっていることもあるかもしれない。そう思ったので、猪木さんにプロレスのことをいろいろ聞いてみたかったんです。

マサ斉藤との巌流島対決のように、猪木は試合においても常に世間の意表をつくことをしてきた。写真:原-悦生マサ斉藤との巌流島対決のように、猪木は試合においても常に世間の意表をつくことをしてきた。写真:原-悦生

――それほどオカダさんに、「プロレスについて聞いてみたい」と思わせた"プロレスラー・アントニオ猪木"のすごさとは?

オカダ なんで、あそこまでお客さんを惹きつけられるのか。やっぱり、そこが一番じゃないですか。猪木さんのプロレスラーとしての最大の才能だと思います。

しかも、猪木さんってすべてをさらけ出していましたよね。みんな猪木さんのダメなところも知っているから、すごく身近な存在として応援していた。有名人でもあそこまでさらけ出すのは難しいはずなのに、どうして猪木さんはできたのか。単純な興味として聞いてみたいと思いました。

――札幌での発言から数カ月後、猪木さんとオカダさんの初対談は雑誌『Number』で実現しました。誌面では「社会を敵に回せ」「世間を振り回せ」といったアドバイスもありました。この猪木さんの言葉をどう受け止めていますか?

オカダ いやー、今なんて社会の敵になったら、ものすごいことになるじゃないですか(笑)。だから、そんな容易じゃないですよ。でも、それを当たり前のようにやっていたのが猪木さんで、だからこそ、あそこまでになれたのかなと思います。なので、僕もその言葉はいつも頭の片隅に置いています。片隅に、ですけど(笑)。

■「アントニオ猪木だったら、間違いない」

――映画についてもお聞きしたいのですが、特に印象に残ったシーンは?

オカダ これは申し訳ないですけど、自分が出ているシーンなんです。猪木さんとの戦いをイメージしながら話す場面で、自分のことながら、「すっごい楽しそうに喋っているな」って思いました(笑)。

――あれは現場で突然、「猪木さんと戦ったらどうなると思いますか?」と聞かれたんですよね。

オカダ 今まで想像したこともなかったんですけど、考え始めたら、次々と試合展開が浮かんできたんです。僕は猪木さんの現役時代に詳しいわけではないですが、レインメーカーにいこうとしたら、コブラツイストに入られて......みたいな攻防が自然に出てきました。

オカダのインタビューは猪木の引退試合が行われ、自身も何度もメインイベントに立ってきた東京ドームで収録されたオカダのインタビューは猪木の引退試合が行われ、自身も何度もメインイベントに立ってきた東京ドームで収録された

――アントニオ猪木との試合を想像することは、オカダ・カズチカにとって楽しいことだった?

オカダ 楽しかったですね。いや、ほんとに。最初は「わかんないですけど」という気持ちだったんですが、考え始めたら想像が止まらなかったんですよ。しかも、いい試合になるんです。猪木さんはお客さんを味方につける技術があるから、僕が何をしても盛り上がるだろうと思えるんです。今までそんな想像ができた相手はいなかったかもしれない。

――プロレスにおいて重要な「いかに客を掴むか」という点においては、想像上のアントニオ猪木はまさに全幅の信頼を寄せられる存在だったわけですか。

オカダ そうですね。やっぱり、お客さんをいかに掴むかっていうのが、プロレスのいちばん難しいところですから。アントニオ猪木だったら、そこは間違いないだろうと思えました。この映画でも紹介されている(ビッグバン・)ベイダー戦(1996年1月4日東京ドーム)も、「ワン、ツー」で猪木さんが返すと、お客さんがうわーって立ち上がる。ああいうのを見ると、「俺もこの人と戦いたいな」って思いますよ。

――ありがとうございます。最後に、亡くなられて1年が経ちますが、今のオカダさんにとって猪木さんはどういう存在になりましたか?

オカダ 正直、生きていたときとそれほど変わらないですね。もっと頻繁に会っていたら違ったかもしれないですけど、僕くらいの関係性だと、いまだにアントニオ猪木を探している感じがします。ただ、今も新日本を見守ってくれているとは思いますし、僕も猪木さんに怒られないような試合をしなくちゃいけないと思いながら戦っています。

●オカダ・カズチカ
1987年11月8日生まれ 愛知県安城市出身 身長191cm 愛称=レインメーカー
新日本プロレス所属。2004年にメキシコでデビューし、2007年に新日本プロレスへ移籍。2012年2月にIWGPヘビー級王座を史上2番目の若さ(当時24歳)で初戴冠。以降、現代のプロレスを牽引する存在として活躍を続けている。
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(©2023「アントニオ猪木をさがして」製作委員会)