「ふたりともお金を払って観る価値のある選手だった。心からお疲れ様と言いたい」「ふたりともお金を払って観る価値のある選手だった。心からお疲れ様と言いたい」

一時代を築いたスターたちが去っていく。プレーする姿をもう観られないのかと思うと、やっぱり寂しいよね。ふたりとも、お金を払って観る価値のある選手だった。

小野伸二(J1・札幌)と高原直泰(JFL・沖縄SV)が相次いで今季限りでの引退を発表した。共に44歳のふたりは"サッカー王国"静岡県出身で早くから注目を集め、Jリーグ、海外、そして日本代表で活躍した。

特に1999年のワールドユース(U-20W)準優勝には僕もワクワクさせられた。"黄金世代"の中心だった彼らは、2002年日韓W杯に向けて急成長を遂げていた当時の日本サッカーを象徴する選手だった。

その後のクラブ、代表での功績も大きく、引退発表を受けた今、あらためて偉大な選手だったと感じる。

僕はふたりを中学生の頃から知っている。伸二は清水市(現・静岡市清水区)でサッカー教室を行なった際に、「うまい子がいるから見て欲しい」と、わざわざ沼津市から連れてこられていたんだけど、ボール扱いがスゴくて、「この子は日本人じゃないでしょ? ブラジル人だ」と驚いたものだ。

あのテクニックは誰かに教えられて身につくものではないし、マネできるものでもない。天性の才能だ。

高校卒業後にプロになってからも、得点やアシストといった数字だけではなく、魅せるプレーでサッカーの面白さを伝えてくれた。今のサッカーでは、ハードワークとかデュエルという言葉がよく使われるけど、伸二には以前よく使われたファンタジスタという言葉がぴったりだね。

浦和に始まり、オランダ、ドイツ、清水、オーストラリア、札幌、琉球と、どこでも愛された。そんな選手はなかなかいないよ。

唯一残念だったのは、1999年のシドニー五輪1次予選フィリピン戦で悪質なタックルを受け、大ケガをしたこと。たらればを言っても仕方ないけど、あのケガがなければもっともっと華やかなサッカー人生を送っていたかもしれない。

高原も中学時代から大きくて速くて、豪快にゴールを決めていた。このまま成長すれば、国際的に通用するような選手になるかもしれないと思わせるスケールの大きさがあった。

黄金時代の磐田では、周りは年上の代表選手ばかりの中、堂々たるエースとして得点を量産。その後は伸二同様、海外にも挑戦した。特にドイツでの活躍は、日本人のFWでも海外で通用するということを見せてくれた。

ピッチ上では実際の身長(181)以上に大きく見えたけど、それだけプレーがダイナミックだった証拠。ヘディングはもちろん、両足で蹴れて足元もうまい。日本サッカーで歴代トップクラスのストライカーのひとりといっていい。

ただ、決して順風満帆なサッカー人生じゃなかった。エコノミークラス症候群を発症した影響で、2002年日韓W杯はメンバー外。彼がいたらどうなっていただろうとは今でも思う。

伸二も高原も輝いていた時期はイメージほど長くない。記録よりも記憶に残る選手。僕も含めて、彼らの一番いい時のプレーを観られた人は幸せだと思うよ。

今季の残り試合、そして、引退後の活躍も期待しつつ、心からお疲れさま、そして、ありがとうと言いたい。

●セルジオ越後 
1945年生まれ。72年の来日以降、指導者・解説者として活躍。活動の詳細は『セルジオ越後 オフィシャルサイト』にて

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