会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
【連載・元NPB戦士の独立リーグ奮闘記】
第2章 愛媛マンダリンパイレーツ監督・弓岡敬二郎編 第7回
かつては華やかなNPBの舞台で活躍。現在は「独立リーグ」で奮闘する男たちの野球人生に迫るノンフィクション連載。第2章・第7回は、1980年代に阪急ブレーブスの名ショートとして名を馳せ、現在は独立リーグ屈指の名将として愛媛マンダリンパイレーツ(以下、愛媛MP)の指揮を執る弓岡敬二郎を支える、同じNPB経験者のコーチたちに光を当てる。(文中敬称略)
弓岡率いる愛媛MPの2023年のコーチは、4人全員がNPB出身だ。野手コーチの武藤孝司(たかし)は近鉄で、伊藤隼太(はやた)は阪神。投手コーチの平井諒(りょう)はヤクルト出身で、今季をもって退任した選手兼任の正田樹(いつき)は日本ハム、阪神、ヤクルトに在籍していた。いずれのコーチも一軍でのプレー経験を持っている。
まず1人目、2017、18年シーズン以来、今回が二度目の愛媛MPコーチ就任になる武藤に話を聞いた。武藤は現役引退後、9年間スカウトとして活動した経験を生かし、「NPB球団のスカウトに注目されるためにはどうすればいいか」を選手に意識づけする指導を心がけていた。
「足が速い、肩が強い、球が速いという、NPBでも通用するレベルの特徴を持った優れた選手は何人かいます。そこに、どう技術のプラスアルファができるか。粘り強いバッティングができるようになれるか。そういう話し合いは常日頃、選手としています」
1990年、あの「Y校」(横浜商業高)のライトブルーのユニフォームを着て、高2で甲子園出場。2回戦ではランニングホームランを打つなど、俊足巧打の内野手としてチームのベスト8入りに大きく貢献した。創価大時代は1年秋にリーグ首位打者、最多打点を獲得して最優秀新人&MVP。1995年のドラフト3位に指名され、近鉄に入団した。
ちなみに同年、近鉄の1位指名は福留孝介(PL学園)。清原和博を超える、高校生としては史上最高の7球団が1位指名し、近鉄がくじを引き当てたが、福留はドラフト前から「巨人、中日の指名以外は日本生命入り」を表明しており入団することはなかった。
NPB入り後、武藤は2年目でショートのレギュラーに定着した。当初は課題と言われた打撃面でも成長し、安定した成績を残した。5年目となる2000年シーズンはチームトップの打率.311、20盗塁を記録。しかし、シーズン途中の8月に野手同士で交錯して痛めた右肩をオフに手術して以降は本来のプレーができなくなり、2003年シーズン後に戦力外通告された。
「戦力外通告はされましたが、同時にスカウト転身のお話をいただいたときはうれしかったですよ。スカウトという仕事には、もともと興味もありました。近鉄・オリックスで2年間(2004、05年)、その後、楽天で7年間(2006~2012年)。オリックス時代は、同じ時期に弓岡監督もスカウトをしていました。一緒に夏の高校野球を視察に行ったりもしましたよ」
楽天スカウト時代は、のちにチームの精神的支柱として長く活躍することになる渡辺直人(現・楽天コーチ)を発掘した。当時、楽天はショートの補強がポイントだった。堅実な守備を評価されていた渡辺だが、26歳とこれからNPBでプレーするにはやや遅い。打撃も通用するかどうか懐疑的な声もあったが、武藤は人間性も含めて高く評価し、NPBでも通用する選手になると見て球団幹部にアピールし続けた。
2012年11月に楽天を退団した後は地元の神奈川に戻り、1年間だけサラリーマン生活も経験した。2014、15年シーズンは徳島インディゴソックスのコーチ。2016年にはメジャーリーグ、サンディエゴ・パドレスの日本担当スカウトという仕事を経て、2017年シーズンからは一度目の愛媛MPコーチに就任した。2019年からはHonda鈴鹿の硬式野球部コーチを務めるなど立場は目まぐるしく変わったが、今日までほぼ途切れずに野球と携わってきている。今年6月で50歳になった武藤に今の目標について聞くと、こう答えた。
「自分は人の繋がりで、どうにかここまで来ました。40代はコーチとして学んできたので、今後は『監督』という立場で勉強ができたらと思います。少年野球でも中学でもいい。もちろん高校野球も含めて、監督という立場を経験したいですね」
現在32歳、2021年シーズンから愛媛MPの投手コーチに就任した平井諒は、選手と同じ目線に立って指導することを大切にしている。
「まず、きれいごとは言わない、格好つけない。選手とコーチで立場は違いますけど『一緒に頑張っていこう』というスタンスでいます。指導者になってから、野球に対する見方もだいぶ変わりました。選手のとき、今と同じくらい考えればよかったと思います。現役時代は感覚でやっていた部分が大半を占めていた。本来は、そこに理由を求めなければいけなかったんですね」
NPB時代は常にケガとの戦いだった。和歌山県出身。愛媛の帝京五高に進み、2009年のドラフト4位でヤクルトに指名され、高卒3年目に一軍デビュー。しかし、飛躍が期待された翌2013年シーズンは当初から右肩痛に苦しみ、7月に手術を受け戦線離脱した。
長いリハビリ、育成契約への移行から再び支配下登録を掴んで一軍復帰したのは3年後、2016年シーズンだった。同年は中継ぎでキャリアハイの33試合に登板し、防御率2.81を記録した。しかし、以後もケガとの戦いが続いて本来の投球はできず、2020年シーズン限りで戦力外通告。高校時代の地元球団でもある愛媛MPからは、その直後にオファーが届いた。
「ヤクルト最後のシーズンは、だましだましでも投げられない。二軍でも1試合も投げていない状態でしたが、愛媛MPの薬師神会長からは『NPB復帰を目指すならば、うちで投げられるところまで、やってみたらどうか』とお話をいただきました。ただ、チームに迷惑はかけたくなかったので、2月末までは個人でリハビリを継続して、3月にできるかどうか考えます、とお伝えしました」
2021年3月には練習参加という形でチームに合流。4月になって、ようやく投げられる状態まで回復したと判断して正式契約を交わした。同シーズンは23試合に登板して2勝0敗4セーブ、防御率2.05とまずまずの結果を残した。しかし同年限りでNPB復帰は諦めて現役引退を決め、シーズン終了後の11月、愛媛MPの投手コーチに就任した。
「7月の終わり、ソフトバンクの三軍との試合で投げたとき、NPB復帰は厳しいかなと実感しました。球団からは『来年も選手として残ってほしい』というお話をいただきましたが、自分としては一区切りつけたいので、とお断りしました。選手をやめても球団に残していただけるとは考えていなかったので、引退後は東京に戻って再就職の準備をしていました」
思いがけず届いた愛媛MPコーチ就任のオファーを、平井は快諾した。そこで出会ったのが、同じタイミングで6年ぶりに監督復帰した弓岡だった。
「そばにいて勉強になることばかりです。ダメなことはダメとはっきり言いますが、なぜダメなのか、理由をわかりやすく伝えてくれます。選手や我々コーチともコミュニケーションをしっかりとってくれる。コーチになって最初に仕えた監督が弓岡監督でよかったと思います。普段は気さくで優しい方ですが、野球と向き合うときは本当に厳しい。でも、『監督はどう考えているのか、何をするのか』とこちらが気を遣うくらいのほうが、いい意味での緊張感がありますよね」
今季は指導者として2年目のシーズンを迎えた。独立リーグでプレーする選手がNPBを目指すように、将来的にはNPBでコーチをする目標は持っているのだろうか。
「もちろん、やってみたい気持ちはありますが、今はまだ想像つかないですね。まわりから評価されて初めてできるという部分は、現役時代と同じですし。今は目の前のことに全力で取り組むことだけを考えています。選手はNPB入りを目指してここにいますが、現実的に彼らの夢が叶う可能性は限りなくゼロに近い。なので、ここで学んだことが、彼らの人生にとっていい方向に進むきっかけになることを期待しています。
僕自身もまだまだですが、若い選手たちは野球人としてだけでなく、人としても伸び盛りですから。自分自身も、コーチとしてしんどいことや、うまくいかないことのほうが多い。それでも選手が試合で活躍したり、成長が感じられたりしたときは本当にうれしい。コーチをしていてよかったなと思います」
独立リーグの指導者として新たな野球人生を過ごす武藤と平井は、NPBを離れても野球への情熱は何ら変わらず持っていた。次回は慶応の主将として大学時代は「高橋由伸2世」と呼ばれ、阪神にドラフト1位で入団した伊藤隼太コーチを紹介したい。
■弓岡敬二郎(ゆみおか・けいじろう)
1958年生まれ、兵庫県出身。東洋大附属姫路高、新日本製鐵広畑を経て、1980年のドラフト会議で3位指名されて阪急ブレーブスに入団。91年の引退後はオリックスで一軍コーチ、二軍監督などを歴任。2014年から16年まで愛媛マンダリンパイレーツの監督を務め、チームを前後期と年間総合優勝すべてを達成する「完全優勝」や「独立リーグ日本一」に導いた。17年からオリックスに指導者として復帰した後、22年から再び愛媛に戻り指揮を執っている。
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。