愛媛マンダリンパイレーツの弓岡敬二郎監督。現役時代は阪急ブレーブスの名ショートとして活躍、オリックスコーチ時代はイチロー、田口壮らを指導した 愛媛マンダリンパイレーツの弓岡敬二郎監督。現役時代は阪急ブレーブスの名ショートとして活躍、オリックスコーチ時代はイチロー、田口壮らを指導した

【連載・元NPB戦士の独立リーグ奮闘記】
第2章 愛媛マンダリンパイレーツ監督・弓岡敬二郎編 第16回

かつては華やかなNPBの舞台で活躍し、今は「独立リーグ」で奮闘する男たちの野球人生に迫るノンフィクション連載。第2章は、1980年代に阪急ブレーブスの名ショートとして名を馳せ、現在は独立リーグ屈指の名将として愛媛マンダリンパイレーツ(以下、愛媛MP)の指揮を執る弓岡敬二郎に密着。今回は、老舗広告代理店の創業者が「プロ野球球団の経営」という未知の世界へと挑戦することになった経緯をたどる。(文中敬称略)

■きっかけは石毛宏典への「お礼」

2023年7月15日。弓岡の取材も最終4日目を迎えた。

同日は四国アイランドリーグ後期公式戦、対徳島インディゴソックス戦。徳島ISは前期17勝10敗で優勝し、愛媛MPはそれに次ぐ2位(15勝13敗)だった。後期巻き返しをはかり優勝を目指す愛媛MPにとっては負けられない一戦だった。

会場は松山市内から車で1時間少々南に向かった内子町にある町営スタジアム。愛媛MPのホーム球場は、3万人収容可能でプロ野球公式戦も毎年ヤクルト戦が開催されている坊っちゃんスタジアム(松山中央公園野球場)だが、県民球団としての使命を果たすため年に数試合は必ず県内各地の規模の小さな球場でも開催している。

車で山間のカーブの多い国道を抜け、試合開始1時間前に会場到着。グラウンドではすでに選手たちが試合前練習を始めていた。観客席は外野のみで常設椅子もない。応援に訪れた人たちは数脚置かれたパイプ椅子か芝生にシートを敷いて観戦していた。その中には練習場でお会いした、家族サービスで観戦したことがきっかけで自分だけハマり、今は応援団員として活動する山本靖さん。そして、ワンボックスタイプの軽自動車で寝泊まりしながら四国中を回って応援している千葉則彦さんの姿もあった。

「今日もよろしくお願いします」

グラウンドで試合前練習する選手をベンチで見守る弓岡に挨拶した。

普段着で食事に出かけたときのような、「飄々としたオモロい関西人」といった風情から一変、この日は鋭い目つきの勝負師の顔。ユニフォームを着た出立ちも凛々しく、これから戦いに挑む指揮官の緊張が伝わってきた。

2023年7月15日、徳島インディゴソックスとの一戦に臨む、弓岡監督(手前)率いる愛媛マンダリンパイレーツ 2023年7月15日、徳島インディゴソックスとの一戦に臨む、弓岡監督(手前)率いる愛媛マンダリンパイレーツ

チームマネージャーの萩原拓光はじめ、せわしなく準備をするスタッフたち。バックスタンド側に設けられた本部席には、球団代表の薬師神績(やくしじん・いさお)会長の姿もあった。

薬師神会長は愛媛MPの代表であると同時に、松山に本社を置き中国四国地方や東京にも支社を持つ、1978年創業の老舗広告代理店、星企画株式会社の創業者だ。

日々多忙で取材スケジュール的にも今回はお会いすることは厳しいと思っていたが、これ幸いとばかりにインタビュー依頼すると快諾してくださった。

四国アイランドリーグ創設時からリーグ全体の運営を支えた功労者であり、そして自治体や地元財界を巻き込み、愛媛MPを県民球団として根付かせた薬師神会長に、当時の逸話や苦労、弓岡招聘の経緯や今後の展望などを聞いた。

「今から約20年前ですかね。今年19シーズン目なのでその前年、石毛宏典さんが日本で初めて、地域独立リーグを四国で作るということで、その情報が当時、デイリースポーツの1面に掲載されました。当時は楽天やライブドアがプロ野球に新規参入しようということで『四国にもプロ野球球団があったら良いな』という機運が地元で湧き上がっていた時期でした。

そういう時期に石毛さんの『日本初のプロ野球地域独立リーグが四国に誕生』というニュースが出ました。『これは四国にとって素晴らしいニュースだ』と大きな驚きと喜びと同時に、石毛さんに対する感謝の気持ちが湧いてきました。石毛さんにぜひ直接会ってお礼が言いたいと思ったのが最初のきっかけでした」

知人を介して石毛の連絡先を調べて電話をかけると、ちょうど独立リーグ設立準備で高松(香川県)に来ていることがわかった。薬師神は早速現地に向かい、「四国の人間を代表してお礼を言いに来ました」と伝えた。

石毛は「ありがたいことです」と言って大いに喜び、薬師神の手を両手で握った。それが薬師神と四国アイランドリーグとの関わり、そして「プロ野球球団経営」という未知なる世界への挑戦の始まりだった。

愛媛マンダリンパイレーツ球団代表の薬師神績氏 愛媛マンダリンパイレーツ球団代表の薬師神績氏

四国アイランドリーグは、西武やダイエーで活躍した石毛宏典が2005年に創設した。石毛は現役引退後、アメリカに野球留学した際、MLBとは別のもうひとつのプロ野球、「独立リーグ」の存在を知った。そして、オリックス監督を解任(2003年)された後、「若者がプロ野球を目指す夢のチャレンジの場を作り、元野球人が指導者として職場を得るにはどうしたらいいだろう」(引用元/『石毛宏典の「独立リーグ」奮闘記』)と考え、日本にもアメリカのような独立リーグを作ることを思いついた。

候補地はいくつかあったそうだが、昔から野球熱が高く隣接県同士がライバル意識もあり、遠征など交流もしやすい四国が最適となり選ばれた。

日本における独立リーグの創設者、石毛宏典(右から一番目)(写真提供/愛媛マンダリンパイレーツ) 日本における独立リーグの創設者、石毛宏典(右から一番目)(写真提供/愛媛マンダリンパイレーツ)

話を戻したい。「四国の人間を代表してお礼を言いに来ました」と挨拶に出かけた3日後、薬師神のもとに、今度は逆に石毛から相談の連絡が入った。内容は「四国アイランドリーグの広告スポンサーの営業を星企画でしていただけないか」というものだった。

「プロ野球は、一視聴者として時々テレビ観戦はしていましたけど、経営面は知りませんでした。石毛さんの話を聞いて初めて、球団の収入の大きな比重を広告が占めることを知りました。非常にありがたい話とは思いましたが、とても私の会社の規模でできる内容ではありませんでした。そこで、星企画を創業する前、大学を卒業してから高松に本社のあるセーラー広告という、中国四国では大きな広告代理店に勤めていたので、そこに相談してみることにしました。

石毛さんには『同期に近い年齢の方が社長なので、彼に相談してみます』とお伝えして一旦電話を切りました。で、セーラー広告の当時社長だった植村さんに、『実はこういう相談を受けているけど、とても星企画だけで対応できる仕事内容ではない。星企画と連携して、四国アイランドリーグの広告スポンサー営業をしていただけないか』とお願いしました。植村さんも『それはぜひ。ヤクちゃん一緒にやろう』と協力いただけることになりました」

薬師神はこうして、四国アイランドリーグの広告営業を担当することになった。しかしこの後、単なる一仕事では終わらず、全く想像していなかった役割まで担うようになるのだった。

本部席で試合を見守る薬師神代表 本部席で試合を見守る薬師神代表

■赤字覚悟で引き受けた球団経営

2005年4月29日、四国アイランドリーグは坊っちゃんスタジアムで開幕を迎えた。7067人の観客が集まる中、華々しくセレモニーが開催され、愛媛MP対高知ファイティングドッグスの1試合のみ行なわれ第一歩を踏み出した。

ところが間もなく、薬師神は石毛から、思いがけない相談を持ちかけられた。

「石毛さんは困り果てた様子で、『自分は、野球はプロフェッショナルですが、企業の経営はプロではありません』とお話しした後、「実はリーグ運営資金が底をついてきました。いろいろ相談に乗っていただけないでしょうか』とお願いしてきました。私は『力及ばずですけど、ご協力させていただきます』とお答えして、高松に週2、3回ほどお邪魔して、石毛さんの横に机を置いて、当面リーグ運営全体のお手伝いをすることになりました。

リーグはもう開幕しているし、他のご協力者の方も含めて話し合った結果、『これはもう増資しかない』ということで、IBLJの増資をいろいろな方にお願いして、それで1年目の運転資金に充てていこうということになりました」

発足当時、四国アイランドリーグは株式会社IBLJ(Independent Baseball League of Japan)がリーグ全体を運営し、チーム、スタッフ、指導者、選手の配分等を決めていた。しかし、開幕すれば入金されるはずのスポンサー収入が入金されず、リーグはいきなり存続の危機に立たされた。多くのスポンサーとは口約束のレベルであり、中には金額の設定もされていないなど、かなり杜撰な経営だった。

薬師神ほか関係者の努力もあり2500万円の増資を実現した。石毛も関係各所に債券支払い延期をお願いするなどして、開幕していきなり迎えた危機を乗り切ることができた。その際、支援に大きく貢献した徳島ISのスポンサー企業の鍵山誠社長からは、迷走の責任を明らかにするため、石毛以外の旧経営陣の交代が求められた。これを受けて経営陣は一新されたが、初年度の赤字額は3億円を超えるなど経営難に陥っていることに変わりはなかった。

2006年3月、IBLJは赤字状況を打開するため4球団をIBLJ 100%出資の子会社として法人化し、各球団に興行権を委譲し独立採算制にすると発表した。知名度のある石毛を中心に4県の各知事を訪問し、『分社化して各県に4球団があることのほうが対抗意識も出るし、県民としても応援のしがいもある』と協力の賛同を得た。薬師神も石毛と共に愛媛MPの引き受け手になる企業を探すため奔走した。

「地元の上場企業中心にまわりましたが、『応援はしたいけど、自社で球団を保有してというのは厳しい』と皆さん辞退されました。2シーズン目が始まる直前になっても決まりませんでした。それで、確か2月ぐらいだったと思いますが、星企画が1000万円出資して愛媛マンダリンパイレーツ球団株式会社を作れないか、という話になり、お引き受けすることにしました。ただし石毛さんには『私は野球で言えば先発投手の役割。でも本業は広告会社の経営者です。今後、中継ぎや抑え投手みたいな感じで、球団経営してくれる会社を一緒に探してください』とお伝えしました」

今、自分まで辞退すれば愛媛MPはいずれ消滅し、リーグ自体なくなるかもしれない。

実際、高知FDは引き受け手が見つからず救済措置としてIBJLが維持していくことになった。もし愛媛も救済措置を受けるとなれば、リーグ全体の負担はさらに増え、危機に瀕する事態は避けられなかった。黒字はおろか赤字幅も今後どの程度になるか未知数だったが、薬師神は、「自分を育んでくれた地元に恩返しをし、若い世代が未来を見出せるような社会を作りたい」という思いで、球団経営をできる所まで続けようと腹を括った。

「私が石毛さんと出会ったのは55歳のときでした。規模は小さいにしても会社経営に対する考え方も若い頃とは違って、『世の中に貢献できる』という価値観も大事だと強く感じるようになっていました。その正しさを貫くというか、そこだけは曲げずに辛抱してやっていこうという、支えはその思いだけでした」

相手チームの徳島は2023年前期、2位愛媛に2.5ゲーム差で優勝していた 相手チームの徳島は2023年前期、2位愛媛に2.5ゲーム差で優勝していた

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インタビュー開始より少し前に始まった試合は5回を終了し、愛媛MPは1対7と大量リードを許していた。もちろん試合は気になるが、薬師神の話があまりに興味深く、まだ聞きたいこともあったのでこのまま続けることにした。

愛媛MPの経営を引き受けた1年目は3000万円の赤字。不足資金は星企画からの借り入れという形で補填した。しかし2年目、3年目も改善されず、累積赤字はついに1億円を超えるなど、本業に影響を及ぼす可能性も出てきた。

愛する地元のため、恩返しのためとはいえ現実、薬師神はもうこれ以上、球団経営は難しい状況まで追い込まれていた。

信念を貫くか、それとも経営者としての判断を大切にするか。

答えの出ない葛藤を繰り返しつつ、それでも責任感で球団経営を続ける最中、救世主が現れたのは球団創設5年目だった。

(第17回につづく)

■弓岡敬二郎(ゆみおか・けいじろう)
1958年生まれ、兵庫県出身。東洋大附属姫路高、新日本製鐵広畑を経て、1980年のドラフト会議で3位指名されて阪急ブレーブスに入団。91年の引退後はオリックスで一軍コーチ、二軍監督などを歴任。2014年から16年まで愛媛マンダリンパイレーツの監督を務め、チームを前後期と年間総合優勝すべてを達成する「完全優勝」や「独立リーグ日本一」に導いた。17年からオリックスに指導者として復帰した後、22年から再び愛媛に戻り指揮を執っている

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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