会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
【連載・元NPB戦士の独立リーグ奮闘記】
第2章 愛媛マンダリンパイレーツ監督・弓岡敬二郎編 第19回(最終回)
かつては華やかなNPBの舞台で活躍し、今は「独立リーグ」で奮闘する男たちの野球人生に迫るノンフィクション連載。第2章は、1980年代に阪急ブレーブスの名ショートとして名を馳せ、現在は独立リーグ屈指の名将として愛媛マンダリンパイレーツ(以下、愛媛MP)の指揮を執る弓岡敬二郎に密着。2023年、3名の選手を愛媛からNPBに輩出した弓岡に、自身が再び「NPB復帰」を目指す意思はあるのか? その本音を聞いた!(文中敬称略)
2021年11月、愛媛球団代表の薬師神績(やくしじん・いさお)は、弓岡からオリックスをふたたび離れることになったと連絡があったとき、すぐに経営幹部会議を開き、全員一致で監督オファーを出すことを決めた。
契約は通常、「単年」が基本だが「2年」を提示した。弓岡に詳細な理由は説明しなかったが、「腰を据えて取り組んでほしい」という球団としての誠意と歓迎の表明だった。弓岡もそんな球団の期待を汲み、新たな覚悟を持って受け止めた。現在に至る第二次弓岡政権はこうして始まった。
現在、球団の課題は「入場者数を増やすこと」と薬師神は話した。
2024年、四国アイランドリーグそして愛媛MPは誕生20年を迎える。他に類を見ない官民一体型、100パーセント地元が支える「県民球団」になったことで経営が安定した一方、今後も継続して支援を得るためには、球場に足を運んで応援してくれる人たちの数を増やすことは命題だ。入場料収入を増やすだけでなく、観客数=支援のバロメーターでもあるからだ。
1試合あたりの平均入場者数は500人から600人程度。薬師神はこれを3000人以上まで増やすことを目標に掲げていた。現実的に考えればかなり厳しい数値目標だ。しかし、リーグ存続や球団存続の危機という荒波を乗り越えてきた薬師神は、「必ず実現させる」と心に誓っていた。
20年前、四国にもうひとつのプロ野球、独立リーグ・四国アイランドリーグができることを知り、創設者の石毛宏典にお礼を言うため会いに出かけたときと変わらず、70代半ばになった今も、薬師神は愛する地元、四国に貢献したいと願い、独立リーグからNPB入りを目指す選手たちと同じように夢に向かい邁進していた。
「NPB球団を四国に誕生させることがわたしの夢です。かつて『プロ野球16球団構想』が話題になったことがありました。愛媛出身のスポーツジャーナリスト、二宮清純さんが発案して、それを元に第二次安倍政権時の2014年、アベノミクス政策のひとつとして、自民党日本経済再生本部が『日本再生ビジョン』の中で提案されたのが『プロ野球16球団構想』です。
現在の12球団、セ・パ両リーグを発展的に解体して、新たに4球団作り16球団にする。それを『東リーグ』と『西リーグ』で8球団ずつ分ける。新たな4球団は『北信越』『四国』『東海と静岡近辺』『南九州と沖縄』に1球団ずつ。そのとき、四国アイランドリーグの4球団が、四国に作られた新球団の傘下組織になる、というのがリーグとしての夢でもあります。
日本全体の人口減少や少子化はありますが、スポーツで地域を活性化することは間違いなく重要な課題のひとつです。『地方栄えずして国栄えず』という精神を持って、これからも取り組みます」
薬師神のインタビューを終えてグラウンドに戻った。
試合は10対9と愛媛MPがリードしたまま9回を迎えようとしていた。
弓岡はこの回から羽野紀希(はの・かずき)に代えて、6人目の投手として馬渕歩空(まぶち・ほだか)をマウンドに上げた。しかし先頭バッターに同点ソロ本塁打を浴び同点とされると、さらに2四球を許したのちタイムリーを打たれ逆転された。最終回は三者凡退に抑えられて再逆転ならず。愛媛MPは手中に収めかけた勝利を寸前で逃してしまった。
9回逆転を許したとき、弓岡はベンチで表情ひとつ変えず黙ったままグラウンドを見つめていた。私服時の飄々とした、関西弁の「オモロいおっちゃん」とはまるで違う勝負師の姿。これも、いやこれこそが「野球人・弓岡敬二郎」という男本来の姿なのだ。
弓岡は2023年6月で65歳になった。
会社員ならば定年退職してすでに年金生活を始めているか、あるいはこれから始めるような年齢だ。そんな弓岡に、愛媛の野球関係者御用達の店、「割烹鶏 一八」で酒を酌み交わしたとき、「現場を離れてのんびり過ごしたいと考えることはないのか」と聞くと、「それはない」と即答し、こう話したことを思い出した。
「ユニフォーム着ていられることが一番ええ。若い選手と汗流しながらやるのが一番ええねん。やっぱ野球が好き、根っから好きやねん。体が動く限りは続けたい。最後はグラウンドで死ぬたらそれが本望、本望や」
来年そして再来年も、弓岡は求められる限り、現場に立ち続ける覚悟でいた。そしてその舞台は独立リーグに限らず、NPBも含まれていた。
「(NPBに戻りたい気持ちは)そら、もちろんある。そういう野心がなかったら指導者としても上達せん。指導者も野心は持たんと駄目。俺がこの年でも『NPB復帰を狙ってる、まだ可能性あるで!』とコーチ連中を刺激して、『僕らもやらなあかん。あわよくば行ったろうか』と思わせたい。
さすがに70歳過ぎたらNPB復帰はあかんからね。70歳なる前にもう一度戻れたら、これが最後やと思う。でも、こないしてユニフォーム着とる間は『ひょっとしたら』と思える楽しみがある。それくらいの気持ちがなかったら、独立リーグで頑張ってやれへん」
* * *
炎天下の愛媛松山まで取材に出かけた日から半年が過ぎた。
第二次弓岡政権の2年目、2023年シーズンは前期2位、後期3位と必ずしも満足できるような成績ではなかった。しかし、ドラフト指名有力候補として本連載で紹介した宇都宮葵星(うつのみや・きさら)が巨人に育成3位指名されるなど、愛媛MPからは合計3選手(菊田翔友/投手・中日育成2位、河野聡太/内野手・オリックス育成5位)が選ばれた。愛媛MPから3選手が同時にNPB入りするのは、チーム創設19年目で初の快挙だった。
また、愛媛MPの独立リーグ初優勝の立役者で、10年間も現役投手としてチームを支え続けた正田樹が今シーズン限りで引退。来季は古巣ヤクルトの二軍投手コーチに就任が決まった。選手3名と指導者をNPBに輩出した2023年は成績以上に、大きな実りのあるシーズンになった。
弓岡は2024年シーズンも引き続き、愛媛MPの監督としてリーグ優勝、独立リーグ日本一を目指すことになった。独立リーグ、NPBに関係なく、弓岡はこれからも、素晴らしきチームや有望な選手を育て、「根っから好きやねん」という野球を通して、ファンに感動、地域に希望を届けてくれるに違いない。
(完)
■弓岡敬二郎(ゆみおか・けいじろう)
1958年生まれ、兵庫県出身。東洋大附属姫路高、新日本製鐵広畑を経て、1980年のドラフト会議で3位指名されて阪急ブレーブスに入団。91年の引退後はオリックスで一軍コーチ、二軍監督などを歴任。2014年から16年まで愛媛マンダリンパイレーツの監督を務め、チームを前後期と年間総合優勝すべてを達成する「完全優勝」や「独立リーグ日本一」に導いた。17年からオリックスに指導者として復帰した後、22年から再び愛媛に戻り指揮を執っている
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。