もはや、奇跡とは言わせない。一昨年のW杯カタール大会以降、強豪国を次々と撃破、世界ランキングも上昇中の第2次森保JAPAN。常勝軍団を着々とつくりつつある指揮官が明かす、「続投」の意味と日本を率いることへの"ある"使命感――。サッカー男子日本代表・森保 一監督に、人気スポーツキャスター・中川絵美里が聞く。

■日本代表が勝つことで変えられるもの

中川 国によっては、代表監督を務めるのは"クレイジージョブ"だという意見があります。それだけ重圧がすごいと。なぜ、続投を決めたのでしょうか?

森保 理由はいくつかあります。まず、W杯カタール大会が終わったとき、「もっと上に行けたはずなのに」と、選手たちが思わせてくれたこと。

日本サッカー協会は、2050年までにW杯優勝を果たすという目標を掲げていますが、最短で26年北中米大会での優勝の可能性が見えた。まだまだ培わなければならない部分は多々ありますが、そのチャンスがあると思えました。

中川 ほかにはどのような理由がありますか?

森保 代表監督がW杯を挟んで続投するということが、「初」ということですね。日本代表にとっても、私にとっても。この初の試み、そしてここからの積み重ねが日本サッカーの財産になることを願って取り組みたいと思いました。

実際、東京五輪2020、W杯カタール大会で指揮を執らせていただき、多くの選手と関わってきました。2期目に入ってまたゼロからのスタートではなく、積み上げがそのままずっとできているのは大きいです。

中川 今までのようにW杯一大会ごとに監督が交代することでリスタートを切るのではなく、継続させることでさらに成長や発展が見込めるということですね?

森保 ええ。もちろん、その途中でさまざまなトライ&エラーを繰り返して、うまくいかないというケースも十分に考えられます。ですが、前進は着実にできると思います。振り返ってみると、Jリーグが発足してから30年。日本サッカーは世界的に見ても急速な発展を遂げてきました。

ただ、中川さんがおっしゃるとおり、W杯一大会ごとに監督が代わることで、日本サッカー全体を見たときに発展と進化のスピードは速くても、積み重ねという面ではまだ足りないのではないかと。

未熟な部分を磨き上げ、強みをさらに伸ばしていくという意味で、継続という選択肢を取りました。ただし、長期政権になることでマンネリズムに陥る可能性もありますから、その点には十分に注意して役割を全うしたいと考えています。

サッカー男子日本代表・森保 一監督を人気スポーツキャスター・中川絵美里が直撃! サッカー男子日本代表・森保 一監督を人気スポーツキャスター・中川絵美里が直撃!

中川 長期政権の場合ですと、だんだんと監督が独善的なやり方に偏ってしまうというリスクもはらんでいます。

その点、森保ジャパンは少数精鋭ではなく、コーチ陣はもちろん、U-23代表の大岩剛(ごう)監督やU-18代表の船越優蔵監督、スペインのセビージャで2度、UEFAヨーロッパリーグ優勝に貢献した分析官(アナリスト)の若林大智さんらとも幅広く連携を取られて、うまく分業制を敷いているようにお見受けします。

森保 働き方改革じゃないですけどね(笑)。少数精鋭主義も良いのですが、今のわれわれの目標というのはあくまでW杯優勝なので、それを実現させるためにはものすごい労力が必要なわけです。

W杯というとてつもなく重圧のかかる舞台、しかも、映像でたとえるならば1.5倍速のスピード、2倍の強度をピッチ上で体現していかねば勝てない。

W杯北中米大会は、参加国が過去最多の48、決勝トーナメントには32ヵ国が進むことになるので、予選から決勝まで戦うとなれば今までの最大7試合からひとつ増えて8試合になります。うまく決勝戦までたどり着いたとして、それで満足するのではなく、100パーセントのエネルギーで戦い切って優勝できるような体制とはなんぞや、と考えたとき、とても少人数では回し切れない。

それに情報戦というのも、現代サッカーにおいては非常に重要なポイントです。情報を収集分析して、戦術を作り、選手たちに伝えていくとなったら、やはり人数はそろっていたほうがいい。

中川 まさにチーム一丸といった感じですね。

森保 ええ。これはチームマネジメントという観点で、サッカーにとどまらず会社組織にも当てはまると思うんです。少数精鋭のほうがベクトルが合わせやすく、多人数のほうが一丸となりにくいという考え方もあるでしょうが、みんなが同じ夢、同じ目標を持っていれば、人数は多いほうが当然強いだろうと。日本人はそれができるし、それだけの団結力があります。

中川 確かに、昨年6月に大岩監督を取材した際、各年代の監督同士でコミュニケーションを密に取っているとおっしゃっていました。組織力に秀でている日本人の性質が、日本代表全体に一体感をつくり出しているということですね。

森保 ええ。大岩監督は就任前からA代表の国内キャンプにも参加してくれて、選手招集においてもかなり密にやりとりをしました。22年のE-1サッカー選手権は、U-21代表の羽田(憲司)コーチが一緒に活動してくれて。

さらに、A代表の親善試合カナダ戦(23年10月13日)と、チュニジア戦(10月17日)では船越監督が来てくれて、活動内容を共有しました。日本の勝利のため、お互いに尊重し合って前に進んでいくというのは、やっぱり日本人のDNA、魂というところで心身共に結びついているからこそできることだと思います。

森保監督

中川 「オールジャパン」のなせる強み、だと。

森保 そうですね。日本代表、日本サッカーの枠を超えて......これは、おこがましい言い方になってしまうのですが、日本そのものの価値を高めたいんです。サッカーというのはグローバルスポーツで、日本代表はただ勝つのみならず、勝つことで日本に対する世界中の見方を変えられる、ものすごく大きなツールだと考えています。

中川 22年のW杯カタール大会でのドイツ戦、スペイン戦での劇的勝利、そしてここまで続いている快進撃や世界ランキング(昨年11月30日に発表されたFIFA世界ランキングは17位)を見てもそれは感じます。

森保 これは余談なのですが、海外に行くと本当にたくさんの国々に日本人の方が必ずいて。世界と競争し合い、世界と協力し合い、日々闘っているわけです。そうした方々と出会う機会が多い中、「勝ってください」とすごく言われるんですよ。それは単に勝ってくれという願望を超え、日本という国の価値上昇への思いを込めているんですよね。

22年のW杯を終えてから、その国々での日本人に対する態度が変わったという声をたくさん聞きました。だから、日本の方々が異国の地で日本人としての誇りを感じられるように、われわれは頑張らないといけないんです。

■「なぜ試合に出さない!?」選手たちの激烈な向上心

中川 選手招集において、U-23代表の大岩監督とは綿密なやりとりをされているとのお話がありましたが、現在は海外組が代表の大半を占めていて、粒ぞろいです。同時に、移動における大きな負担という問題も抱えていますが、そこはどうお考えですか?

森保 まず、選手に対しては、ふたつの考えがあります。ひとつは、選手が所属先で置かれている状況を鑑み、招集する試合をできるだけ吟味すること。少しでも、選手のキャリアアップにつながるようにしたいからです。

そしてもうひとつは、どんなに厳しい日程、移動があったとしても、それを乗り越えてタフになり、しっかりプレーできる姿勢を求めるということですね。もちろん、体の状態を見極めながらですが。

中川 選手ファーストの立場は取りつつも、求めるべきところはしっかり求めるということですね。今、選手は見事にそろっています。正直、選考で悩みませんか?

森保 もう、悩みまくりですよ。いい選手が多すぎるので。よく、うれしい悲鳴とかうれしい悩みという表現がありますけど、まったくそんなことはない。毎回、選手選考においてはつらい、苦しい、難しい(苦笑)。

海外組も、Jリーグにも有能な選手はたくさんいて。日本サッカーにとってはすごくいいことです。でも、監督の私からすれば、選考においてはプレッシャーしかないですね(笑)。

中川 監督は決断の連続で、非常に孤独だと、大岩監督もおっしゃっていましたが、森保監督は本当に迷った場合、どうされていますか?

森保 私の場合、ひとりで抱え込まないんですよ(笑)。コーチ陣にも意見を求めて、一緒に考えます。もちろん、最終的には私が決断を下しますが。コーチ陣からはそれぞれいろいろな意見が出ますので、採用、不採用というのがどうしても生じます。

心の中では「ごめん、採用できなくて」と思うこともままあります。でも、原理原則というのはあくまで日本の勝利と日本サッカーの未来のため。そして先ほど申し上げた日本の価値を高める。これに尽きます。

中川 あらゆるジャッジの根幹には必ず「日本のため」という信念があるんですね。とはいえ、森保監督はドライというわけではなく、選手からはコミュニケーション力に長(た)けた指揮官だと声が上がっています。

昨年のカナダ戦でも、久保(建英)選手と談笑しているシーンが中継で抜かれて、話題になっていました。

メディアでも大いに取り上げられた、昨年10月のカナダ戦でハーフタイム中に久保建英と話し込んでいた一幕。後に「(所属チームでの)ビルドアップの仕方の部分を聞いていた」と明かした(写真/YUTAKA/アフロスポーツ) メディアでも大いに取り上げられた、昨年10月のカナダ戦でハーフタイム中に久保建英と話し込んでいた一幕。後に「(所属チームでの)ビルドアップの仕方の部分を聞いていた」と明かした(写真/YUTAKA/アフロスポーツ)

森保 そうだったみたいですね(笑)。私自身、監督を務めてチームを見させていただくにあたり、大切にしている要素のひとつにコミュニケーションがあります。もちろん勝利は大事ですけど、その前にまずは人としてどう向き合うのか。そこは常に忘れないようにしています。

中川 選手とコミュニケーションを図る中で、これまでいろいろな発見があったと思うのですが、いかがですか?

森保 とにかく、みんな気が強いですね(笑)。

中川 自己主張が激しいわけですか。

森保 私はそれを自己表現能力として解釈していますが。皆が皆、「俺が一番。俺が王様」という選手ばかりです。「なんで、俺は使われないんですか!?」って直訴してくる選手も多々います。

でも、そんな貪欲さが素晴らしいなと。もっとうまくなりたい、強くなりたい、成功したいって、突き抜けた向上心の持ち主なんですよ、みんな。私の息子ぐらいの年齢なのに、すごいなって、心からリスペクトしています。

中川 監督にそれだけの思いがあるのなら、よけいに選考はつらくなりますね。

森保 いいときばかりじゃない、壁にぶち当たって、もがき苦しむ選手たちの姿を間近で見て楽しいとは思えず、切ない気分になることもあります。でも、前を向いて這い上がろうとする彼らは魅力的です。

中川 かつて監督は選手時代、1993年に受けた取材でこう答えています。「指導者に言われるままではダメ、サッカーに研究熱心であれ」と。選手の自主性を尊重するというのが、監督の根幹にある信条なのでしょうか?

森保監督×中川絵美里

森保 そうですね。私は現役時代、単にやらされるのが嫌だったので。選手たちには主体性を持ってプレーしてほしいというのはあります。ただし、選手たちにポジションだけ伝えてあとは丸投げというのはありえない話で、私たちがしっかりベースメントをつくっておくことは必要不可欠です。

サッカーというのはプランどおりにはいかないものです。となると、こちらが事前に対戦相手の傾向と対策を十分に研究しておかないといけない。プランAだけでなくBもCも、と考えておかねばならない。

例を挙げるなら、W杯カタール大会におけるドイツ戦、スペイン戦で前半と後半の戦術を変えたときのように。選手たちに思い切ってプレーしてもらうためにも、こちらが引き出しを常に準備しておかないといけません。

中川 10月のチュニジア戦は、相手がまさにアジア杯で想定されるような、5バックで超守備的戦術を使って挑んできました。

これはひとつのモデルケースになったと思うんですけど、久保選手がフリーになり、守田(英正)選手がスイッチして上がっていくといった形は監督のおっしゃるベースメント、それとも個人の主体性によるプレー、どちらだったのでしょう?

森保 基本的な役割は伝えていました。(遠藤)航とモリ(守田)がダブルボランチでしたので、航が基本的には6番(守備的)の役割、モリには8番(場面によって攻撃参加)の役割で前に出ていけと。

もちろん、ふたりが逆の場合もありますけど、そこは臨機応変に。相手が嫌がる微妙なポジション取りは、都度彼らがよく考えて動いてくれていました。でも、コーチ陣がしっかり指示してくれているからこそ、なんですよ。私は、昭和系の気合いを選手たちにただひたすら入れているだけです(笑)。

■コミュ力を育んだのは長崎の田舎の風土

中川 監督のお話を伺っていますと、つくづく人間力に長けていらっしゃると感じます。それは原点が決してエリートではなく、さまざまな挫折も繰り返したからこそ人の痛みもわかる、ということなのでしょうか。高校時代はサッカー部を辞め、髪の毛を染め、バイクを乗り回してグレていた時期もあったそうですが。

森保 ああ、なんか話が盛られちゃってますね(笑)。サッカーをやめて、ふらふらしていたというのは同時期ではないんです。髪を染めたのは、ある時期茶髪にしたくなって市販のブリーチ剤を使ったら、全然ダメで。それで強めの薬品で染めたら金髪になってしまって(笑)。慌てて丸刈りにしたんですけどね。

......確かに、腐った時期もありました。私は長崎日大高校だったのですが、同県には国見高校という絶対的な強豪校があり、どう必死に頑張っても勝てない、全国大会には行けないわけです。それで心が折れてしまって退部したんです。友達だけはたくさんいたものですから、帰宅部の友達とか、高校に行っていない友達がうらやましく思えて。

それで、一緒にふらふらしたりしました。でも、そんな生活は2週間も持たなかったです。なんか違うなって。やっぱりサッカーが好きだったんです。だから、先生におわびして再入部したんです。

中川 長崎日大高からマツダサッカークラブ(現サンフレッチェ広島)に入部しますが、そこでは最初から本社ではなく、系列グループへの勤務から。まさに叩き上げですね。

森保 ええ。だからおっしゃるとおり、私はエリートではないんです。横道に何度もそれながら、雑草魂でずっとやってきました(笑)。

私が若い頃は、Jリーグもまだ発足する前でしたので、プロになる目標や夢に向かって逆算して動くというのはなかったんです。サッカーが好きで好きで、ひたすらやってきた延長線上にプロがあって、そして今、監督業があって、という感じです。

だから、エリートではないんだけれども、ものすごいエネルギーを持っている選手たちを、できるだけ引っ張り上げたいという気持ちは大いにあります。

サンフレッチェ広島時代(1992年撮影)と、〝ドーハの悲劇〟として語り継がれる、1993年のW杯アメリカ大会アジア最終予選当時の森保監督。「自分はエリートではないけれども、ものすごいエネルギーを持っている選手たちを引っ張り上げたい」と力を込める(写真左/アフロ 右/岡沢克郎/アフロ) サンフレッチェ広島時代(1992年撮影)と、〝ドーハの悲劇〟として語り継がれる、1993年のW杯アメリカ大会アジア最終予選当時の森保監督。「自分はエリートではないけれども、ものすごいエネルギーを持っている選手たちを引っ張り上げたい」と力を込める(写真左/アフロ 右/岡沢克郎/アフロ)

中川 それは人が好きというベースメントがあるからこそなんでしょうね。これだけのコミュニケーション能力の源流はどこにあるのでしょう?

森保 私の生まれ育った町は、本当に田舎で。おのおの家の鍵なんかかけることもなく、友達が勝手に上がり込んできて、ワイワイガヤガヤ遊ぶだとか、いつの間にか親戚のおじさんやおばさんが家の中にいて談笑している、そんな環境だったんです。

絶えず人の輪が広がっていって、みんなで何かやろうよっていう活気に満ちあふれていました。それが自然と身について、中川さんがおっしゃるところのコミュニケーションとか、聞く力というのが培われたのだと思います。

中川 一段と結束が固まりつつある第2次森保ジャパンですが、W杯アジア2次予選、そして前回準優勝に終わったアジア杯と戦いが続いていきます。アジア杯は1月14日にグループステージ初戦のベトナム戦が控えていますが、意気込みをお聞かせください。

森保 もちろん優勝が目標です。優勝という結果にこだわって、ひたすら勝つのみです。優勝以外は考えていません。

「アジア杯は優勝にこだわる。ひたすら勝つのみです」(森保監督) 「アジア杯は優勝にこだわる。ひたすら勝つのみです」(森保監督)

●森保 一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日生まれ、長崎県出身。長崎日大高校を卒業後、マツダサッカークラブ(現サンフレッチェ広島)に入部。92年、日本代表に初選出。Jリーグ時代は守備的MFとして活躍。2003年に現役引退。以後、サンフレッチェ広島の監督などを経て、17年に東京五輪代表、18年よりA代表の監督に就任。22年W杯カタール大会でベスト16入り。現在、A代表2期目の指揮を執っている

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。『Jリーグタイム』(NHK BS1)キャスター、FIFAワールドカップカタール2022のABEMAスタジオ進行を歴任。2023WBC日本代表戦全試合を中継するPrime VideoではMCを務めた。現在『情報7daysニュースキャスター』(TBS系、毎週土曜22:00~)の天気キャスターを務める。TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週土曜26:30~)のメインパーソナリティを担当

スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/石岡悠希(中川) 衣装協力/ritsuko karita nanagu

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高橋史門

高橋史門たかはし・しもん

エディター&ライター。1972年、福島県生まれ。日本大学在学中に、『思想の科学』にてコラムを書きはじめる。卒業後、『Boon』(祥伝社)や『relax』、『POPEYE』(マガジンハウス)などでエディター兼スタイリストとして活動。1990年代のヴィンテージブームを手掛ける。2003年より、『週刊プレイボーイ』や『週刊ヤングジャンプ』のグラビア編集、サッカー専門誌のライターに。現在は、編集記者のかたわら、タレントの育成や俳優の仕事も展開中。主な著作に『松井大輔 D-VISIONS』(集英社)、『井関かおりSTYLE BOOK~5年先まで役立つ着まわし~』(エムオンエンタテインメント※企画・プロデュース)などがある。

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