会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
現在、日本ボクシング界は7人の世界王者がひしめき、さらにこれから世界を狙う逸材も豊富にそろうなど、黄金期ともいえる時代だ。そんな中、異色のボクシング人生を歩んできたのが、2月24日(東京・両国国技館)、バンタム級に転向して世界3階級制覇に挑む中谷潤人(じゅんと=26歳、M.Tボクシングジム)だ。
中学卒業と同時に単身渡米し、今も日本とアメリカを行き来してトレーニングを積む中谷に、昨年末から密着取材した。(全5回の4回目)
ボクシング、プロレス、総合格闘技などあらゆるジャンルの名勝負が誕生してきたネバダ州ラスベガスにある格闘技の殿堂、MGMグランド・ガーデン・アリーナ。2023年5月20日、この日のメインイベントは4団体世界ライト級統一王者のデヴィン・ヘイニーに、元世界3階級制覇王者のワシル・ロマチェンコが挑戦するビッグマッチだった。
そしてセミファイナルでは、中谷潤人vsアンドリュー・モロニーのWBO世界スーパーフライ級王座決定戦が組まれていた。
試合は2ラウンドと11ラウンドにダウンを奪うなど中谷が終始支配し、迎えた最終12ラウンドに大きく振りかぶる死角からの左フックでモロニーをキャンバスに沈めた。
アメリカで最も権威のある専門誌『ザ・リング』の2023年の年間最優秀KO賞に選出されるほどの衝撃的な幕切れ。メインイベントのヘイニーvsロマチェンコ戦を目的に来場していた1万4436人の観客の心を鷲掴み、熱狂させた。
日頃は勝利しても落ち着いた姿勢を崩さない中谷は珍しくリングを駆け回り、右拳を上げて喜びを全身で表現した。しかしコーナーに戻ると、トレーナーのルディ・エルナンデスからは冷静な表情で、耳元で静かにこう諭(さと)された。
「ジュント、相手あってのボクシングだ。倒されて起き上がれないでいるモロニーや彼の家族の気持ちを思いやらなければ」と。
「ルディの言葉は心に響きました。本当にそのとおりだと思って。渡米したばかりの頃から憧れていたラスベガスの大きな舞台に立つことができて、しかもああいうシーンを生み出せたことで夢見心地になっていました。相手に対する尊敬や思いやりに欠けた行為だったと反省しました。
同時に、ボクシングだけでなく人として大切なことを教えてくれるルディの存在が自分にとっていかに大きいか、感謝しなければいけないと改めて実感しました」(中谷)
憧れの大舞台で年間最優秀KO賞に選ばれるほどの見事な勝利を収めて喜びを爆発させたとしても、おそらく誰も責めたりはしないはずだ。むしろ喜ばないほうが不自然だ。ただ、ルディは少し違った。もちろん愛弟子の劇的な勝利は心から嬉しかったに違いない。しかし、相手への感謝や敬意を優先させたのだ。ルディのそうした考え方は弟、ヘナロと共に過ごした時間の中で学び、培われたのかもしれない。
WBA、WBCでスーパーフェザー級のベルトを腰に巻いたヘナロは「チカニート(メキシコ移民の子)」という愛称と同時に、「ミスター・オネスティ」と呼ばれた紳士的な人物で、誠実な人柄を表すエピソードは数多い。
1992年11月、ヘナロは東京体育館で10戦10勝10KOという戦績で国内屈指の人気ボクサーだった渡辺雄二の挑戦を受け、圧倒的な実力差を見せつけて6ラウンドKO勝利を飾った。試合後、悔し涙を流す渡辺に優しい言葉をかけて労い、勝利者インタビューでも試合をしてくれたことへの感謝と、渡辺の将来に対する期待のコメントに終始した。
生涯通じて敗れた試合は、ライトに階級を上げ2階級制覇を目指して挑んだ、のちに史上初の6階級世界王者になる「ゴールデン・ボーイ」オスカー・デ・ラ・ホーヤ戦(95年9月)と、史上最速で5階級制覇を達成することになるフロイド・メイウェザー・ジュニア戦(98年10月)のみだった。
マネージャーとして兄、潤人と共にロス合宿に参加する弟、龍人はこう話す。
「ルディは自分の現役時代については語ろうとはしません。でもヘナロさんについてはいろいろ話してくれます。『自分とは違ってものすごく真面目で、どんなことがあっても毎朝必ず早く起きてロードワークをしていた』とか。
ルディは年齢的なこともあって、『俺もそう長くコーチはできないかもしれない』という気持ちがあるらしくて、兄(潤人)のコーチができなくなった後のこともすごく考えてくれていて、『今のうちに伝えられることはすべて伝える。でもいずれお前がコーチとして潤人をしっかり支えていかなければいけない』とよく言われます。指導は厳しいですが、兄弟そろって大切なことをたくさん学ばせてもらっています」
龍人もルディも陽気で食べることが大好き。他人の気持ちを思いやれる龍人のことをルディはいたく気に入りすぐにファミリーになった。今はマネージャーとしてコミュニケーションを取る時間は潤人よりも長く、ルディは龍人を「ビッグボス」というニックネームで呼んでいる。選手とマネージャー、兄とは立場は異なるが、龍人にとってもルディはボクシングの師、人生の師なのだ。
そんなルディ最愛の弟、ヘナロは、発症率が極めて低いとされる癌の一種、横紋筋肉腫という難病に侵され45歳という若さで亡くなった。
闘病中、高額な化学療法による治療費はトップランク社CEOのボブ・アラムが援助した。そして、葬儀のコーディネートを申し出たのはヘナロの現役最後の相手、フロイド・メイウェザー・ジュニアで、費用も負担した。
ただし葬儀自体には参加せず、「税金対策で名前を貸しただけだ」と嘯(うそぶ)いたことは、アメリカのボクシングファンの間ではよく知られている。それは「マネー(金の亡者)」の異名を持つメイウェザーのもうひとつの顔をのぞかせるエピソードだった。
ヘナロが難病に侵されていると知ったとき、メイウェザーは「どうしてヘナロなんだ」と泣き崩れ、側近に「世界一の名医を探せ」と怒鳴り散らしたそうだ。
1998年10月3日、メイウェザーがヘナロの持つWBC世界スーパーフェザー級のタイトルに挑戦したのは若干21歳のときだった。
メイウェザーは早くから将来のスター候補と期待され、プロ転向わずか2年で17戦全勝13KOと驚異的なペースで凄まじい結果を残していた。しかし大方の予想は「経験に勝るヘナロ優勢」。ところがいざ試合が始まるとメイウェザーはエルナンデスのパンチをことごとくかわし、攻撃でもスピードで圧倒して8ラウンドTKO勝利した。
メイウェザーは試合後、リングで人目もはばからず号泣した。当時の愛称は「マネー」ではなく「プリティ・ボーイ」。ディフェンスに長けて顔に傷ひとつ付かないことから付けられた愛称だが、ヘナロ戦の勝利を境に、童顔の天才はこの後プロ戦績無敗で5階級制覇という伝説をつくることになる。一方、王座陥落したヘナロはメイウェザー戦を最後に、引退を決めた。
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「世界チャンピオンを目指してボクシングを続けてきましたが、実際になってみると、面白いことに団体統一戦や複数階級制覇など、次の目標が見えてきた。そういう意味では、最終目標はないのかもしれません。常に追い続けるというか、求め続けるボクシング人生なのかなと思うので、これからもさまざまな挑戦を続けていきたいですね」(中谷)
ロスに出発する直前の忙しないタイミング、練習後の疲れた状態にもかかわらず、中谷は嫌な顔ひとつせず長いインタビューに応じてくれた。帰国は2月5日。1ヵ月間の合宿でルディから何を学び、どんな成長を遂げて戻ってくるのか。再会を約束してジムを後にした。
(第5回は明日配信!)
■中谷潤人(なかたに・じゅんと)
1998年1月2日生まれ、三重県東員町出身。M.Tボクシングジム所属。左ボクサーファイター。2015年4月プロデビュー。2020年11月、WBO世界フライ級王座獲得。2023年5月にはWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し2階級制覇達成。26戦全勝19KO。2月24日、東京・両国国技館にてアレハンドロ・サンティアゴ(メキシコ)の持つWBC世界バンタム級王座に挑戦する
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。