アジア杯 準々決勝イラン戦。後半AT、痛恨のPK献上シーン

「言い訳はしたくない。すべては僕のせい。実力不足のひと言に尽きる」。PK献上という痛恨のミス、アジア杯ベスト8での幕引きをどうとらえ、乗り越えたのか。今また前進しつつある板倉が独占激白!!

■PK献上、敗退。イラン戦を振り返る

AFCアジアカップ カタール2023(以下、アジア杯)について、まずは応援してくださったサポーターの皆さんには心から感謝したい。そして、期待に応えられず、本当に申し訳ない。

準々決勝イラン戦(2月3日)の後半アディショナルタイム、最後の最後で僕は相手にPKを献上してしまった。FWモヘビがヘッドで山なりのボールを中に入れてきたところ、僕とトミ(冨安健洋)がかぶってしまい、うまく処理し切れず、そこにDFカナニがすかさず詰めてきた。無我夢中で足を出した僕。

「しまった、これは絶対にPKだ......」

瞬時に自覚した。間髪入れず、レフェリーの笛が鳴る。しばらくの間、僕は身動きが取れず、そのまま芝の上に突っ伏した。言い逃れなんてまったくできない、明らかなファウルだった。チームはベスト8止まりで大会を去ることとなった。

試合が終わっても、茫然自失のままだった。自分のせいで負けた。サッカー人生でこれほどまでの大きな挫折は記憶にない。悔やんでも悔やみ切れなかった。

そのままスタジアムでドーピング検査を受けることになり、僕は残った。ほかの選手たちは足早にホテルへと戻っていった。誰もいないロッカールーム。孤独というか、言葉にできないほどのむなしさにも襲われた。

ひとり遅れてホテルへ戻った後は部屋にこもったままだった。ああ、これはもうダメだ......。ぼんやりとそう思っていたところに、ドアをノックする音が聞こえた。開けてみると、(堂安)律に(菅原)由勢、(中山)雄太、そして(南野)拓実君。続々と姿を現した。

最後のほうには、トミも顔を出してくれた。皆、僕の部屋にしょっちゅう来るレギュラーメンバーなのだが、いつもと変わらない感じで軽食と飲み物を手にして話しかけてくれた。みんなの気持ちが痛いほど伝わってきた。ありがたかった。

「日本代表として戦う上で、このままじゃダメだよな」

誰かが、そんな言葉を口にした。自分たちが変えていかなければ......。落ち込んでいる暇はない。自分の中でスイッチが入った気がした。

■アジア杯終了後、自問自答の日々

アジア杯 準々決勝イラン戦。敵選手と競り合う板倉
今回のアジア杯で感じたのは、どの国も日本を徹底研究してきたということだ。大会前、この連載でも述べたが、やはり簡単な試合なんてひとつもなかった。

何よりも日本には絶対に勝つ、どんな手段を使ってでも一勝をもぎ取ってやるんだという熱量や気迫が、対戦した各国からはひしひしと伝わってきた。

ベトナム戦(1月14日、4-2で勝利)であれば、FWグエン・ディン・バク選手は19歳ながら、非常に勢いがあった。力強いプレーもさることながら、ポジショニングがいつも絶妙だった。

僕ら守備陣からすると、嫌な位置に立っていて、自分のところにいい状態でボールが入ってこようものなら、すかさずゴールにつなげようという気概と技術を持ち合わせていた。彼も含めて、総合的にベトナムは常に位置取りが巧みだった。

イラク戦(1月19日)については、1-2で惨敗を喫した。前日、僕は要注意としていた選手にFWフセインを挙げていたが、いざ試合が始まると、予想どおり彼の強さと持ち味を生かしたチームだというのがわかった。

彼に1対1でやられるという不安は抱いていなかったが、イラクはチームとしてやるべきことが明確だった。とにかく、僕ら日本の強みを消しに来ていた。

例えば、サイド攻撃をしようにも、イラクのサイドディフェンスがタイトだったこともあり、なかなか機能しなかった。5バックを効果的に使い、あとはひたすらフセインめがけて長いボールを送り込む。イラクにブレはなかった。

インドネシア戦(1月24日、3-1で勝利)は、森保監督と話をして、心身共にいったんリセットしたほうがいいという結論に至り、メンバー外でスタンド観戦。

その後、決勝トーナメント1回戦のバーレーン戦(1月31日、3-1で勝利)で復帰した。最重要ミッションだった194㎝の長身FWユスフを封じ込めることには成功して勝利したものの、クリーンシートは達成できなかった。

そして、イラン戦に至っては弁解の余地はない。

アジア杯が終わった後、自問自答を繰り返した。自分は勝ちたい気持ちがどれだけあるのか、と。同時に、大きな舞台で結果を出せなかったことがめちゃくちゃ悔しかったし、自分自身に腹も立った。

これまで重要な大会やリーグ戦の大一番などで、たとえ調子がいまひとつだったとしても、なんとかコントロールして切り抜けてきた。

けれど、今大会では自分の弱さが露呈した。昔の自分であれば、「いや、本当の俺はこんなもんじゃない」と強がっていただろう。

「このままじゃダメだよな」

ふと、イラン戦後に誰かが言ったその言葉を思い出した。実力不足を素直に受け止め、自分と向き合うことができた。

■今の日本代表に必要なもの


森保監督の信頼に応えられなかったのも大変申し訳なかった。「不調の板倉を交代しなかったせい」と起用法が批判されてしまうのは心苦しかった。サポーターの皆さんが思う以上に、試合への反応は届いている。もちろん、今回のアジア杯についても。

自分を擁護してくれている声も届いている。とてもありがたいし、優しいなとも思う。でも「あのときの自分は本来の自分じゃない」なんて言い訳はしたくないし、日の丸を背負った以上してはいけない。「とことん叩いてくれ」とも思った。

あれだけ大事な大会で、いいパフォーマンスをできていなかったのは事実だから。あれが自分の現段階の実力だし、結局、ピッチに立って結果を出すのは監督ではなく選手だ。だからこそ、今後また招集を受けたときにはしっかり期待に応えたい。

アジア杯の反省を踏まえ、日本代表を俯瞰して見た場合、一番必要だったのは劣勢となった試合展開の中で熱量を上げる役割を誰が担うのかということ。

チームの雰囲気を変えられる、みんなを鼓舞して、闘争心をかき立てることができる〝精神的支柱〟......純粋に僕はそういった立ち位置でチームを支えたいし、担うべきだと思うし、任された場合に備えなければならない。

今まで皆、決して仲良しこよしの緩やかな雰囲気でやってきたつもりはないが、重要な大会でプレッシャーにのみ込まれないよう、練習の段階から緊張感を持った雰囲気もつくっていかなければならない。選手間でも、ダメなプレーはダメ、足りない部分は足りないと、もっと明確に言い合える環境をつくっていきたい。

「言いたいこと、思うことがあれば、どんどん話しにこい」

森保監督は常々言ってくれている。実際、森保監督は意見を取り入れてくれて、試合に反映されることも多い。せっかく監督がそうしてくれているわけだから、まずはプレーヤーである僕らが準備段階からもっとコミュニケーションを取っていかないと。

限られた代表招集期間の中で、いかに綿密なやりとりができるか。プレーひとつひとつに至るまで、しっかり連携を取ることが大事だ。

アジア杯で僕らは研究されまくった。ならば、次回からは僕らが挑戦者の意識で臨み、相手を今まで以上に研究し尽くす勢いで試合に取り組むしかない。

■"戦犯"からのリスタート

2月10日、ブンデスリーガ第21節ダルムシュタット戦
ボルシアMGに戻ってから、セオアネ監督は何度もふたりで話す機会をつくってくれた。アジア杯の試合もすべてチェックしてくれていたようで、メンタル面も含めて、非常に心配してくれているのがよくわかった。

チームメイトたちが花道をつくって出迎えてくれたサプライズ演出も、監督主導によるものだったと後で聞かされた。素直にうれしかった。

「コウ、チームにはおまえが必要だ。準備はできているか?」

監督からかけられた言葉が胸に刺さった。

2月10日、ブンデスリーガ第21節ダルムシュタット戦。ケガで離脱していたこともあり、ボルシアMGでの実戦は4ヵ月ぶりだった。

正直な話、試合に入る前はいつもより不安感があった。ケガ明けというせいではなく、深く引きずっていたわけではないが、やはりイラン戦のすぐ後だったこともあり、"あのシーン"が脳裏にちらついた。

今まであまり経験したことのない感情だった。

本拠地ボルシア・パルクのトンネルを抜けると、ずっしりと響くサポーターのチャントと、発煙筒から発される緑色の煙に包まれる。やはり、ホームはいいものだ。

「ここからがリスタートだ」

何度も自分にそう言い聞かせて試合に臨んだ。開始3分、一発目のスライディングブロック。雑念は消え、いい入り方ができたと手応えを感じた。その後もデュエルや空中戦、味方へのパスはほぼうまくいった。

結果こそ、0-0の引き分けに終わってしまったが、自分の中で得られたものは大きい。久々に気持ちよくサッカーができたという実感があった。

アジア杯を経て、メンタル面の切り替えの難しさに直面したが、意固地にならず、素直に声援も批判も自分の実力不足も受け入れ、考えすぎないシンプルマインドが大事だと、あらためてわかった。

決して後ろ向きにならないこと。前進なくして、次のステージはない。やるよ、俺は。さらに進化してみせる。

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板倉 滉

板倉 滉いたくら・こう

1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、2019年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスター・Cへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケを経て、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍

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