初めてたどり着いたNCAA(全米大学体育協会)トーナメントの大舞台で、ネブラスカ大の富永啓生は子供のように泣き崩れた。
3月22日(現地時間。以下同)、メンフィスで行なわれたトーナメント1回戦で、テキサスA&M大と対戦したネブラスカ大は83-98で敗退。この試合で21得点と活躍したものの勝利を手にすることができなかった富永は、ゲーム終了間際にサイドラインで大粒の涙を流した。
「もっともっと改善することがあるな、と思った試合になりました。(涙の理由は)3年間やってきて、(フレッド・ホイバーグ)監督の下でプレーするのも最後になる、ということや、いろんな感情がこみ上げて......」
通称〝マーチマッドネス(3月の熱狂)〟と呼ばれる米大学バスケの最高峰、NCAAトーナメントはアメリカでは大人気のイベントだ。その注目度は、日本の高校野球の甲子園とも比較される。
そのビッグステージを勝ち進めば、「ケイセイ・トミナガ」という名前はさらにビッグネームになっていたに違いない。テキサスA&M大との試合でも、最初の3本のスリーポイントシュート(3P)をすべて成功させるなど持ち味を発揮していただけに、〝短い春〟になってしまったことは残念だった。
それでも、富永が充実したカレッジキャリアを過ごしたことは間違いない。今季の最終成績は、32試合で平均15.1得点、2.3リバウンド、1.4アシスト。これらの数字はこの3年間でベストであり、得意の〝ディープスリー(ロングシュート)〟に象徴されるように、コート上のあらゆる場所から得点できる能力は全米で知られるようになった。
通称〝ジャパニーズ・ステフィン・カリー〟の躍進の証しとして、3月10日のミシガン大戦では、ネブラスカ大史上31人目の「通算1000得点」も達成した。選手とコーチの両方で、NBAでも実績を残したホイバーグ監督が口にした次の言葉は、決して大げさではないだろう。
「すごい記録だよ。啓生にとって、ネブラスカでの11年目は適応のための期間だった。2年目も得点の術を学び、ゴートゥガイ(=エース)に成長してくれた。通算1000得点に到達したのはとてつもないことだ」
短期大学のレンジャー・カレッジを経て、ネブラスカ大に入った1年目の富永の平均得点は5.7で、通算得点は170。そこから、2年時は平均13.1得点で通算420得点、3年時は平均15.1で通算484得点と右上がりに数字を伸ばしていったことは特筆に値する。
入学当初はショットセレクション(シュートを放つタイミングや、シュートの種類を選択すること)に難があったが、2年目以降はシュートを打つべきタイミングが改善。ボールを持っていないときの動きも良くなり、ゴール周辺のフィニッシュが向上した。
富永がエースとして成長するのに合わせて、ネブラスカ大の勝ち星が10勝→16勝→23勝とシーズンごとに伸びていったことも偶然なはずがない。何よりも、ファンを興奮させることができる童顔のスコアラーは、チームを勝利に導く術を学び実戦を積むにつれて「ネブラスカ大史上、最高級の選手」とも称される人気選手になっていった。
「3年間、いい経験をしたり、つらい経験もしたり、いろいろありました。その最後にチームの中心選手として、ネブラスカ大の歴史の中でも上位に入るような成績で終われたことは本当に良かったと思います」
NCAAトーナメントで学生生活最後のゲームを戦い抜き、ひとしきり泣いた後の富永の表情には、完全燃焼した充実感があふれていた。
こうして実り豊かなカレッジキャリアを締めくくったが、もちろん富永のバスケットボール人生が終わったわけではない。むしろ、「まだ序章を終えたばかり」という見方もできる。
今夏に日本代表の一員として戦うことが期待されるパリ五輪もそうだが、「NBAへの挑戦」というさらに大きなチャレンジが始まるのだ。
「(日本代表の)コーチ陣とコミュニケーションを取りつつ、もちろん五輪には自分も出たいと思っています。五輪後に自分がどのチームに所属するのか、というのが大事。そこを考えながら、自分のベストになるように考えていきたいです」
昨年の8月から9月にかけて、フィリピン・インドネシア・日本で開催されたW杯では渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズ)らと共にチームを引っ張り、五輪出場への意欲も高い。ただ、常に最大目標としてきたNBAへの挑戦とどう両立させるかが今後の課題となる。
スケジュール面でめどが立ったとしても、現実的にNBAへの道がはっきり見えているわけではない。カレッジレベルでは超越的なスコアラーだったが、身長188㎝というサイズ不足もあり、NBAドラフトの有力候補と目されているわけではないのだ。
ただ......ネブラスカ大でもまったくの無名から一気にスターダムを駆け上がった富永には、それでも何かを期待してしまう。
ドラフトにはかからなくても、Gリーグ(米マイナーリーグ)での下積みを余儀なくされたとしても、いつかビッグステージに上がってくれるのではないか。たとえ難しくても、さらなるミラクルを予感させるのが富永の魅力なのだろう。
「とりあえず一日一日。これからちょっと一回休んで、そこからまたバスケットに戻ります。自分が目標としているのはもちろんNBA。そこを目指し、自分にとって一番になることをやっていこうと思っています」
カレッジ界に旋風を巻き起こした日本バスケ界の新星の行く手には、さらに険しくも胸躍る未来が広がっている。全米を席巻するエキサイティングな日々は、まだ始まったばかりだ。