板倉 滉いたくら・こう
1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、2019年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスター・Cへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケを経て、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍
人には誰しもそれぞれの〝暗黒時代〟がある。板倉選手もまた、最も多感な中学校時代が「悲惨だった」と語る。成長期ゆえの苦悩をいかにして乗り越えたのか?
何事もポジティブにとらえて前進するのが僕の信条。だが、どんなにあがき続けてもどうにもならないように思えた時期もあった。それが中学時代。今回はそんな〝黒歴史〟をあえて振り返り、どのように抜け出していったのか、語ってみたい。
僕が奈落の底へ落ちる要因になったのは少し遅めの成長期だった。もともと僕は小学校6年生ぐらいまでは身長が大きいほうだった。そこそこ身長も伸びていたと記憶している。ただ、筋力があったわけではなくて、フィジカル的な要素は、フロンターレにいるほかの子たちよりも劣っていた。
完全に立場がひっくり返ったのは、中学校に入ってから。周りの選手たちの身長が一気に伸び出した。さらに、ジュニアユースから加入してくる選手たちは体が大きいタイプばかり。彼らは次から次へとメンバー入りを果たす。
明らかにショックだったのは、集合写真を撮るとき。それまで後ろに立っていた自分が最前列のしゃがむポジションへ。急に自分がちっちゃくなった気がした。
いざ練習となっても、みんなデカい上に球際が強くスピードもあるから、本当に取り残された気持ちになった。出場機会は激減していって、ベンチを温める日々が続く。追い打ちをかけるように年下の選手も入ってきて、僕をあっという間に追い越して、試合でバンバン活躍する。ひたすら黙ってそれを見つめるしかなかった。
「もう、ベンチのままでもいいや」。
だんだんとサッカーに身が入らなくなっていった。心ここにあらずといった状態。練習もわざと遅刻するようになった。
「すみません、今日は学校の委員会活動で遅くなってしまって」とか、「ごめんなさい、今日は学校のクラブ活動がどうしても抜け出せなくて」といった具合に。挙句の果てには「頭痛いんで、帰ります」という苦しい言い訳をして早退することも。
フロンターレでは、練習後に栄養バランスを考えたお弁当が毎回支給されていた。僕らはそれを食べてから帰宅する決まり。だが、腐り切っていた僕はある日、そのお弁当をほぼ手つかずのままゴミ箱に捨ててしまった。もう何もかもが面倒くさくなっていた。
週5日、みっちり練習をこなしてから、弁当を食べて家に帰る。すると夜9時を回ることがほとんど。サッカーも楽しくないから、心身共にストレスが増す。
マクドナルドでポテトが全サイズ150円のキャンペーンに心躍らせて、コーラと共に流し込む幸せをかみしめ、ショッピングモールの駐車場で悪ふざけしたり、中学校の友達と集まっていたほうがよっぽど気楽だった。勉強もろくにしないから、テストの成績もパッとせず。何もかもが乱れていた。
そんな日々を過ごす中、いよいよ自分の中で糸がぷつっと切れてしまい、練習後に大場(健史)コーチの元にひとりで出向き、こう切り出した。
「すみません、もう僕、フロンターレをやめます」。
すると大場コーチは「おまえ、ちゃんと考えたのか。親御さんと話し合って、その上で決めたことなのか?」と。
親にはまったく相談はしていなかった。自分ひとりで出した答えだった。それがわかると、「もう一度、じっくり考えろ」。大場コーチには突っぱねられた。
トボトボと事務所から出ていくと、そこにはチームのみんなが待っていてくれた。そこからは「コーチと何を話したの?」と質問攻め。「いや、別にサッカーのこと」とウソをついて、僕は帰っていった。
もしあの日、大場コーチがあっさりと退団を承諾したら。僕がなおも親を引き連れて辞退を申し出たら。今の僕は存在しなかった。でも、僕は結局のところズルズルとフロンターレでの練習を続けていた。
練習態度は怠慢、遅刻早退もざらだったが、なぜか休むことだけは一回もしなかった。心のどこかで、やっぱりサッカーを捨て切れない自分がいたのかもしれない。
中学校時代は思い出すと冷や汗をかくほど闇が深かったわけだが、ようやくにして一筋の光が見えたのは中学3年の夏のこと。
チームから親ともども呼ばれ、三者面談を行なったところ、そこでまさかのユース昇格を告げられた。試合にもろくに出ていないのになぜ?と思ったが、フロンターレは切り捨てることをせずに、僕の小学生時代からの実績と期待値を買ってくれたのだろう。
追い風は吹くもので、この頃には身長もぐんぐん伸びていった。それは、高校時代に入ってもなお続き、現在の背丈(187㎝)に届く勢いだった。
もし、今の僕が中学時代の僕に出会うことができたなら。シンプルに「おまえ、もっとちゃんと考えてやれよ。飯をしっかり食って、よく眠れ」と一喝することだろう。
確かに難しい時期ではあった。その頃はフロンターレのジュニアユース自体も、僕らが小学校高学年で世界大会に出たときほどの勢いはなく、停滞期を迎えていた。
だが、中途半端なのはやっぱりダメだ。どんなに先行き不透明であっても、継続して真剣に打ち込むべし。努力は怠らないこと。必ず日はまた昇るからだ。
諦めることほど、瞬間的で楽なものはない。ただし、後悔という大きな代償を伴う。どんなに腐りかけても、少しずつ前へ。声を大にしてそれを言いたい。
1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、2019年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスター・Cへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケを経て、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍