2020年の全日本選手権シングルス初優勝時。右から男先生、女先生、早田、三男の大輔氏 2020年の全日本選手権シングルス初優勝時。右から男先生、女先生、早田、三男の大輔氏

福岡県北九州市にある卓球クラブ「石田卓球N+」はパリ五輪・卓球女子日本代表のエース早田ひな(23歳、日本生命)のほか、Tリーグで活躍する田添健汰(29歳、木下マイスター東京)、響(27歳、岡山リベッツ)兄弟ら多くの有力選手を輩出してきた。

かつて2008年北京、12年ロンドンと2度の五輪に出場し、世界選手権では水谷隼や福原愛とダブルスを組み、7つのメダルを獲得するなど活躍した岸川聖也(36歳、現Tリーグ・T.T彩たま監督)も同クラブの出身。いわば日本卓球界にとっての〝虎の穴〟のような場所である。

クラブの代表は、福岡大学時代にインカレ出場経験があり、早田や田添兄弟の母校である希望が丘高校卓球部総監督も務める石田眞行さん(71歳、通称「男先生」)。妻で元実業団選手だった千栄子さん(71歳、通称「女先生」)と協力し、1988年から地元に根差した卓球場を営み、選手を育ててきた。

国道3号線に程近い住宅街、産婦人科の跡地に建てられたという2階建てのクラブを訪れると、ピンポン球が跳ねる小気味いい音が聞こえてきた。

中に入れば、クラブのモットーである「練習は不可能を可能にする」と書かれた横断幕が目に入り、計7台ある卓球台では、小学生の選手たちが点数を競い合う実戦形式の練習に励んでいた。

女先生こと千栄子さんは、まず36年前にクラブを立ち上げた理由を教えてくれた。

「福岡大学の同級生だった私たち夫婦がなぜこのクラブをつくったかといえば、ちょうど長男が中学に入るタイミングで、自分たちが果たせなかった全日本優勝という夢を子供たちに託すためでした。 

89年には2期生として入ってきた生徒が、全日本選手権バンビの部(小学2年生以下)男子シングルスで優勝したんです。そんな経験もあって、ウチからも本当に全日本チャンピオンを出せるかもしれないと思い、夫の男先生は当初、地元の百貨店に勤務しながらの二刀流でしたが、仕事を卓球一本にして現在に至ります」

3人いる息子が全日本優勝を果たすことはなかった。それでも、教え子の中から全日本優勝者が出て、3人の息子は今も卓球に携わっていることを思えば、ふたりの英断は間違いではなかったのだろう。

女先生の担当は小学2年生まで。3年生以降は男先生や息子たち、経験あるコーチに引き継ぐ。ちなみに、早田は地元の中間東中学、希望が丘高校に進学後も石田卓球N+での指導の下、練習を続け、世界で戦えるようになった。

14歳以降は現役時代にはスウェーデンリーグなどでプレーした石田家の三男・大輔さん(44歳)が専属コーチとなり、二人三脚で競技に打ち込んでいる。

多くの有力選手を輩出。早田に続く将来有望な選手も着実に育っている 多くの有力選手を輩出。早田に続く将来有望な選手も着実に育っている

現在、クラブには幼稚園児から小学生を中心に、将来の卓球選手を目指す約20人が通っているが、どんな練習をしているのだろう。

「卓球で世界を目指すには小学校に上がってからでは遅いんです。ひなも4歳で卓球を始めましたが、ファーストコーチになる私の役目は第一に卓球を好きになってもらうこと。そして、大事なのは目先の勝利ではなく、高校や大学、社会人になったときにいかに活躍できるか。フットワークなど基礎を身につけることに指導の重点を置いています」

ただ、国内の卓球は年々盛り上がりを見せ、トップ選手の低年齢化も進んでいるだけに、幼稚園児や小学生も遊び半分でやっているわけではない。

壁にかけられたネームプレートは学年や名前の五十音順ではなく、クラブ内のランキング順に並べられており、同じく壁に張られた月間の予定表も練習や試合でびっしりと埋まっている。

練習は平日の火曜から金曜までが放課後の18時から21時までの3時間、土日祝日は昼休憩1時間を挟んで9時から17時までの7時間。週に計26時間が基本だという。

「卓球は練習をやり込むほど力がつきます。大切にしているのは、元世界チャンピオンで日本人として初めて国際卓球連盟の会長を務められた荻村伊智朗さんの教えです。

荻村さんは、選手として世界で戦えるようになるまでには1万時間の練習が必要だと訴えられていました。週26時間が4週で月104時間、これが12ヵ月で年1248時間になり、約8年で1万時間に達します。練習の質も大事ですが、まずは量を確保しなければ始まりません。

卓球クラブとしての利益だけを考えれば、大人のレッスンや卓球台を一般に貸し出すほうがいいに決まっていますが、子供のレッスンを優先することにはこだわってきました」

もちろん、同じ練習をこなしたからといってすべての選手が同じように成長するわけではない。女先生は早田が卓球を始めた当初、書くのも食べるのも右利きだった彼女に、足の運びを見たことで左打ちへの転向を促したことでも知られるが、どんな選手が伸びるのかも気になる。

「やっぱり、素直で明るい子が伸びます。世界で戦うには身長(背の高さ)も必要ですが、ひなはそのために毎日牛乳1リットルを飲み、身長を伸ばすために睡眠がいいと聞くと、昼寝もサボらずしていましたからね(笑)」

昨夏、日本代表の登竜門ともいえる全日本選手権のホープス(小学6年生以下)の部で、石田卓球N+所属の石田心美(当時小6)が優勝するなど、早田に続くタレントも着実に育っている。石田という名前のとおり、男先生と女先生のお孫さんだが、早くもその才能は将来のメダル候補と期待されている。

だが、その前に今夏のパリ五輪だ。男先生こと眞行さんは言う。

「ひなの強さは本物。(これまでメダルを独占してきた)中国勢に勝って、悲願の金メダルを取ってほしい」

早田の活躍次第では、石田卓球N+という名が卓球界を超えて日本中に広がる日が来るかもしれない。