会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
5月6日、34年ぶりに東京ドームで開催されたボクシング興行で、世界スーパーバンタム級4団体統一王者、井上尚弥は劇的な逆転KOでルイス・ネリに快勝し、4万3000人の観衆を熱狂させた。
現WBC世界バンタム級王者の中谷潤人は、この歴史的な一戦を現地観戦した。「バンタム級世界4団体統一の最有力」と言われ、さらに将来は、階級を上げて井上尚弥との対戦も期待され始めた。インタビュー後半は井上vsネリ戦の分析、そして「もし井上尚弥と戦わば......」について聞いた。(全2回の後編/前編はコチラ)
――井上尚弥選手の試合はどう見ましたか?
中谷 戦前は、尚弥選手の早いラウンドでのKO勝利を予想していました。ネリ選手は攻撃的なタイプであるが故に、パンチも大きく大雑把になることが多い。尚弥選手はその隙を逃さず、早い段階で仕留めるとイメージしていました。1ラウンドの(井上の)ダウンは驚きましたが、以降は想定通りというか、イメージ通りの展開でした。
――1ラウンドに喫したダウンはどう受け止めましたか?
中谷 「あ、(井上でも)倒れるのか」と。ネリ選手のパンチの軌道がわかりにくかったことと、尚弥選手もパンチを打とうとしたタイミングで体の軸を捉えられたので効いたのかな、と思いました。僕の席からはあまり細かな部分まではわかりませんでしたが、とにかくネリ選手が最初からガンガン攻めた印象が強かったですね。
――尚弥選手のダウンした場面は、やっぱり驚いた?
中谷 もちろん。ただし、ネリ選手は大雑把なまま攻め続けたら、尚弥選手に早い段階で倒されるだろうな、とより強く感じました。
――中谷選手の予想通り、続く2ラウンドで尚弥選手は早くもダウンを奪い返しました。ネリ選手のストレート気味の右ジャブ、フック気味の左ストレートを完璧に見切って外して、お返しとばかりにネリ選手の視界の外側から左フックを浴びせた。
中谷 尚弥選手は1ラウンドにダウンを奪われたことでより視野をひろげ、冷静に戦えるようになりましたね。ネリ選手はダウンを奪えたことでさらに積極的に攻め始めましたが、隙も多くなりました。ただ、ダウンを奪われなくても、いずれそういう展開になるとは思っていました。
――5ラウンド、尚弥選手は至近距離からの左ショートフックで2度目のダウンを奪いました。
中谷 尚弥選手の左フックは強烈なので、ガードをしていない状態で打たれてしまえば間違いなく倒れます。この頃には、ネリ選手も完全にのまれてしまっていたというか、緊張感や集中力も途切れてしまったように感じました。
――現地観戦して、尚弥選手について新たに気づいたことはありましたか?
中谷 まず、「井上尚弥選手でも倒される」ということ。同時に「倒された後でも、しっかりと自分のボクシングを相手に叩きつけられる」ということ。たとえダウンを奪われても冷静に立て直して、自分本来のボクシングを全うできる尚弥選手の凄さを改めて実感しました。
――現地では、井上尚弥という選手を、将来対戦するかもしれない相手という想定で見ていましたか?
中谷 そうですね。ネリ選手が(自分と同じ)サウスポーだったのでより想像しやすかったですし、自分ならば勝利するためにはどう戦略を立てるか、と学べる部分もたくさんあったので、良い機会をいただけたと思いました。
昨年9月18日のアルヒ・コルテス戦を会場で観た際、美しい軌道を描く日本人離れしたパンチの使い方、技術の引き出しの多さに魅了された著者は、以降定期的に、中谷の所属するM.Tジムに通い取材を続けている。
普段からサンドバッグやミット打ちよりも、実戦に近いスパーリングが中心。時には、怪我で視界が塞がれた場合や、拳を痛めた場合など、最悪の事態を想定したスパーリングもする。また、本来のサウスポースタイルからオーソドックスにしたり、ラウンドごとに至近距離、遠距離と戦法を変えたり、1ラウンド5分でスパーリングをしたりと、ありとあらゆる「実験」を繰り返していた。
そして、井上vsネリ戦を観戦した直後の今回の取材では、右腕の使い方に新たな工夫を感じた。
「もし井上尚弥と戦わば......」
現時点でどのように考えているのか、聞いてみた。
中谷 ネリ選手は最初から、リスク覚悟で攻撃的に仕掛けていきました。尚弥選手から見れば、ネリ選手が自分を倒しにきたから逆に倒せた。自分であれば、もっと前の腕を使って焦(じ)らすと言うか、尚弥選手が積極的に前に出てくることはわかっているので、そういう場面を増やしていくかもしれません。
尚弥選手を相手にひとつの戦法では、勝利には導かれない。さまざまなスタイルのボクシングを高いレベルでできるようにならなければ、試合をコントロールできない。それは強く感じています。
――有識者やファン問わず、尚弥選手との将来的な対戦を期待する声も多く聞かれるようになりました。中谷選手自身はそれをどう捉えていますか?
中谷 意識はもちろんあります。対戦を期待する声がより多く聞かれるようになって、結果、将来的に実現することが理想的かなと思っています。
――そういう声が高まっていけば、中谷選手に対して期待だけではなく、批判的な声も届くかもしれません。今はSNS等を通じて匿名で心ない発言も発信できて、世の中に広まる時代ですから。
中谷 そのあたりはつきものというか。意見は受け止めますし、多くのファンに期待していただけるように頑張らないとなと思っています。でも、自分のことは自分が一番理解しています。子供の頃から自分を信じ続けて、目標としていた世界チャンピオンになることができて、それを3階級で達成できた。やるべきことをコツコツと積み上げて今日まで来た経験が自分にはあります。
プロボクサーはどんな状況であろうと、強さを発揮することが大切。自分の軸がぶれないこと。それが強さだと思います。いろいろな意見が出て、自分自身も知ることになるかと思いますが、軸がぶれなければ突き進んでいけるかな、という気持ちはあります。
――最後に。次戦(7月20日)に向けた意気込みを伺わせてください。
中谷 ロサンゼルスで(師匠の)ルディ(・エルナンデス)とも戦略を練って、どういう試合にしていくか、という所もありますが、より強さを見せてさまざまな可能性を期待していただけるような試合にしたいですね。「中谷はこんなこともできるのか」という、新たな技術の引き出しを見せられれば、より「おおっ」と驚いてもらえると思いますし。
――勝ち方にもこだわる?
中谷 もちろんそうです。
世界チャンピオンを目指し、中学卒業と同時に渡った「第二の故郷」で、中谷は恩師ルディ・エルナンデスから今回何を学び、新たにどんな引き出しを身につけてくるのか。次戦は7月20日(東京・両国国技館)、指名挑戦者でWBC1位のビンセント・アストロラビオ(フィリピン)を迎え撃つ。
●中谷潤人(なかたに・じゅんと)
1998年1月2日生まれ、三重県東員町出身。M.Tボクシングジム所属。左ボクサーファイター。172㎝。2015年4月プロデビュー。20年11月、WBO世界フライ級王座獲得。23年5月、WBO世界スーパーフライ級王座獲得。今年2月24日にはWBC世界バンタム級王座を獲得し3階級制覇達成。27戦全勝(20KO)。ニックネームは〝愛の拳士〟
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。