松田にとって最後の五輪となった2016年リオデジャネイロ大会のときの選手村での写真。初めての五輪だったアテネ大会(2004年)は「部屋と食堂と競技会場しか行かなかった」松田だったが、そのときの反省を生かしてその後の五輪ではできる限り選手村内や競技場、その周辺を散策してリラックスできるように努めたと語る 松田にとって最後の五輪となった2016年リオデジャネイロ大会のときの選手村での写真。初めての五輪だったアテネ大会(2004年)は「部屋と食堂と競技会場しか行かなかった」松田だったが、そのときの反省を生かしてその後の五輪ではできる限り選手村内や競技場、その周辺を散策してリラックスできるように努めたと語る
いよいよ約1ヶ月後にはパリ五輪が開幕します。五輪のパリ開催は1900年と1924年に続いて3回目。前回大会からちょうど100年の節目の大会となります。

今回は選手に向けた五輪の楽しみ方のアドバイスと、パリ五輪で私が楽しみにしていることを書こうと思います。

パリ五輪のコンセプトは「Games Wide Open(広く開かれた大会)」で、広く街の中に開かれた大会を目指しています。開会式を競技場ではなく街の中心を流れるセーヌ川沿いで開催することや、マラソン競技終了後、同日に同じコースで一般参加のマラソンを開催するなど、選手や関係者だけでなく広く市民が五輪との接点が持てるよう工夫されています。

新設される競技会場は3会場のみで、既存施設を最大限活用していることも特徴的です。セーヌ川沿いでの開会式は競技会場以外で開かれる史上初の開会式となり、約30万人が観覧できる計画で、これは競技会場に収容できる約5倍の人数に相当します。観客の数が増えるほど安全管理は難しくなりますから、懸念点は安全対策です。問題が起これば大会に水をさすことになりますから、抜かりなくやってほしいところです。

私は、五輪には4大会出場しましたが、開閉会式には一度も出ていません。開会式の翌日には競泳競技が始まるため、長時間拘束される開会式には参加せず、いつも選手村のテレビで観ていました。また、閉会式時には競技を終えて帰国しているので、閉会式も同様に日本のテレビで観ている状況でした。

パリ五輪に出場する選手に向けてアドバイスをするとしたら、「五輪を自分のフィールドにしよう」ということです。

自分の力を最大限発揮するためには、五輪という空間を自分のものにする必要があります。コンディション維持に支障のない範囲で開会式や選手村、パリの街の雰囲気、他競技の選手との交流などを楽しむと良いと思います。

私の場合、最初のアテネ五輪(2004年)の記憶を振り返ると、選手村の中では食堂と自分の部屋だけ、それ以外でも競技会場しか行った記憶がありません。それだけ気持ちに余裕がなかったのでしょう。結果は前回のコラムに書いた通りで、目標には遠く及びませんでした。

北京以降の3大会は競技会場や選手村内、その周辺を可能な範囲で見て回りました。どこに何があるのかを把握し、全身で五輪の雰囲気を感じ取るよう努めました。観客席からプールを見て、観客からはどう見えているのかを確認し、その場で活躍する自分の姿をイメージしました。

他競技の選手との交流も積極的にやっていいと思います。それらの交流も五輪という舞台に自分を馴染ませることにつながりますし、そこで育まれた交友関係はその後の人生でも貴重な財産になるでしょう。競技会場や選手村で過ごすなかで、「五輪を戦う自分を心地良く感じられるようにしていくこと」が、本番で実力を発揮するポイントになると思います。

私が今回楽しみにしている競技のひとつに男子バスケットボールがあります。ドリームチームと呼ばれるアメリカ代表には"キング"ことレブロン・ジェームズ、天才シューターのステフィン・カリーも出場します。FIBAランキング1位に君臨するアメリカ代表は、過去19回五輪に出場し金メダルを16度獲得しており、2008年の北京大会から4連覇中。今回は5連覇に挑むことになります。

北京五輪のときには当時のドリームチームが競泳会場に現れて会場が騒然としました。私も観客席の直近でNBAのロサンゼルス・レイカーズで活躍したスーパースター、故コービー・ブライアントや、現在ダラス・マーベリックスでヘッドコーチを務めているジェイソン・キッドを見たときは興奮しました。彼らが競泳会場に来た理由は、アメリカ代表のチームメイトであるマイケル・フェルプスの五輪史上最高となる8冠挑戦を応援するためでした。アメリカのスーパースターたちが競技の枠を超えて応援し合う姿に感銘を受け、スポーツは素晴らしいと感じた一幕でした。

今回、バスケ男子日本代表は48年ぶりに自力での五輪出場を決めました。東京五輪は開催国枠での出場で、結果は3戦全敗でした。今大会での勝利と躍進を楽しみにしています。

松田がパリ五輪で期待を寄せる、陸上女子槍投げの北口榛花(左)。槍投げのパフォーマンス向上のために、松田は過去に二度、水泳の指導に赴いたことがある 松田がパリ五輪で期待を寄せる、陸上女子槍投げの北口榛花(左)。槍投げのパフォーマンス向上のために、松田は過去に二度、水泳の指導に赴いたことがある
期待しているアスリートのひとりとして挙げたいのが、陸上女子槍投げの北口榛花選手です。昨年の世界選手権で金メダルを獲得しており、今シーズンもゴールデングランプリで勝つなど好調を維持しています。

北口選手とは2019年にテレビ番組でご一緒したことがあったのですが、2021年に突然SNSのDMで、「練習に水泳を取り入れたいので教えてほしい」と連絡をいただきました。もともと競泳もやっていた北口選手は、「バタフライの動きが槍投げの動きに近い」と言います。私も最初は半信半疑でしたが、これまで二度、プールで指導させていただきました。

水泳のトレーニングが北口選手のパフォーマンスにどれほどプラスになっているのかはわかりませんが、私が感心したのは彼女の行動力と人を巻き込む力です。前回のコラムでも述べましたが、私は「周りの力を自分の力に変えられる選手」は成長が早く、本番も強いと思っています。北口選手は槍投げの強豪国チェコに単身留学し、現地の言葉を学び、コミュニケーションを取ることでチェコ国内にも応援者を増やしていますし、私も相談され、実際に指導したことで彼女を応援するひとりとなりました。最終6投目に抜群の強さを見せる北口選手。最終投擲まで大注目です。パリで最高の笑顔を見せてほしいと思っています。

「周りの力を自分の力に変えられる選手が強い」が持論の松田は、北口の「人を巻き込んでいく」魅力に感嘆した 「周りの力を自分の力に変えられる選手が強い」が持論の松田は、北口の「人を巻き込んでいく」魅力に感嘆した
男子バレーボールにも期待しています。女子は2012年ロンドン五輪で銅メダルを獲得していますが、男子は1972年のミュンヘン五輪の金メダル以降、メダルが獲れていません。石川祐希選手や高橋藍選手、西田有志選手らの活躍で直近の世界ランキングは3位(6月上旬時点)まで上昇しており、52年ぶりのメダル獲得に期待を寄せています。

個人的な思い出を語れば、男子バレー元日本代表の荻野正二さんとは北京五輪前、東京の赤羽にあるナショナルトレーニングセンター内の大浴場でよく一緒になり、話をしました。当時38歳と大ベテランで、怪我もありながら主将としてチームを引っ張り、チーム唯一の五輪経験者として自らの経験を後輩たちに伝え、少しでも日本代表の力になれればと奮闘しているその姿を見て、「自分も日本代表のなかで最後はこんな存在になりたい」と思いました。

競技を問わず、日本代表チームには先人たちの経験や思いも詰まっています。今回パリ五輪に出場する選手たちにはそういった思いも胸に思いきり戦ってほしいと思いますし、その頑張りがまた次の世代につながっていくと思います。

松田丈志

松田丈志Takeshi MATSUDA

宮崎県延岡市出身。1984年6月23日生まれ。4歳で水泳を始め、久世由美子コーチ指導のもと実力を伸ばし、長きにわたり競泳日本代表として活躍。数多くの世界大会でメダルを獲得した。五輪には2004年アテネ大会より4大会連続出場し、4つのメダルを獲得。12年ロンドン大会では競泳日本代表チームのキャプテンを務め、出場した400mメドレーリレー後の「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」の言葉がその年の新語・流行語大賞のトップテンにもノミネートされた。32歳で出場した16年リオデジャネイロ大会では、日本競泳界最年長でのオリンピック出場・メダル獲得の記録をつくった。同年の国体を最後に28年の競技生活を引退。現在はスポーツの普及・発展に向けた活動を中心に、スポーツジャーナリストとしても活躍中。主な役職に日本水泳連盟アスリート委員、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)アスリート委員、JOC理事・アスリート委員長、日本サーフィン連盟理事など

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