佼成学園野球部コーチとしてノックバットを振っている松岡功祐
【連載⑮・松岡功祐80歳の野球バカ一代記】
九州学院から明治大学へ入学。そしてかの有名な島岡吉郎監督の薫陶を受け、社会人野球を経てプロ野球の世界へ飛び込んだ。11年間プレーした後はスコアラー、コーチ、スカウトなどを歴任、現在は佼成学園野球部コーチとしてノックバットを握るのが松岡功祐、この連載の主役である。
つねに第一線に立ち続け、"現役"として60年余にわたり日本野球を支え続けてきた「ミスター・ジャパニーズ・ベースボール」が、日本野球の表から裏まで語り、勝利や栄冠の陰に隠れた真実を掘り下げていく本連載も今回で最終回。まだまだ尽きることのない、野球人としての大きな夢を語ってくれた。
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東京都杉並区にある佼成学園は3度の甲子園出場を誇る強豪校だ。だが、1974年以来、聖地からは遠ざかっている。2012年夏の西東京大会では決勝まで勝ち上がり、9回2アウトまでリードしながら、日大三に逆転を許してしまった。2017年の秋季東京都大会でも決勝で日大三にまた敗れ、甲子園出場は果たせなかった。
松岡功祐は佼成学園の野球部コーチ就任の経緯を振り返る。
「熊本の独立リーグ『火の国サラマンダーズ』を退団したあとに、佼成学園の藤田直毅監督から電話をもらい、2021年12月からコーチとして指導することになりました」
そして、佼成学園で監督をつとめ、3度の甲子園に導いた今西錬太郎は阪急ブレーブス、大洋ホエールズ、東映フライヤーズでプレーした元プロ野球選手だ。
「僕にとっては大洋ホエールズの先輩に当たる方が指導されていた高校。縁を感じました」
また、明治大学から社会人野球の明治安田生命を経て東京ヤクルトスワローズに進んだ吉田大成(現スワローズスカウト)は佼成学園のOBである。
「吉田は私が明治大学のコーチ時代に指導した選手。僕が教えたやり方を、佼成学園で練習する時にやっていたそうです。それが藤田監督の目に留まった。『ぜひ指導をお願いします』と言われました」
松岡が79歳になる少し前のことだ。この年齢で高校生の指導ができるのかといぶかる人もいるだろう。しかし、佼成学園のグラウンドで誰よりも大きな声を出してしているのが松岡だ。選手たちに打つノックの打球は速くて、力強い。
「僕が72歳で中日ドラゴンズのコーチになった時、〝奇跡のカムバック〟と言われ、NHKでも取り上げてもらいました。それから10年近く経っても、まわりの人に驚かれますよ、あまりにも元気過ぎて(笑)」
80歳を超えても、なぜ衰えることがないのか。毎日の習慣に秘密がある。
「毎朝、シャワーを浴びる時に、爪先立ち、伸脚運動やスクワットをやります。風呂場から出て、ストレッチと腹筋、背筋、腕立て伏せをする。そのあと、4kg、8kg、10kgの鉄アレイを上げます」
夕方からの佼成学園での練習を終えた後も同じ運動を繰り返す。
「よほど疲れていない限り、毎日やります。シャワーを浴びたあとに、冷水を浴びるのも習慣にしています。冬なんかは身が切れそうですが、おかげで風邪をひいたことはありません」
練習のない火曜日以外は、毎日ノックをしている。
「年をとったとか、衰えを感じたことはありません。自分で言うのもなんですが、むちゃくちゃ元気ですよ」
■コーチ就任3年目で目指す甲子園
佼成学園は2020年、甲子園が開催されなかったあの夏に、西東京の独自大会で準優勝している。しかし、その後はシード権を獲得しながらも、頂点にはたどりつけない。2023年夏の西東京大会では準々決勝で敗れた。
佼成学園には100人を超える部員がいる。明治大学の飯森太慈(2023年春に首位打者、ベストナインを獲得)など、好選手を大学に送り込んでいる。
しかし、いい選手を揃えながらも、強豪校との競り合いで敗れることが多い。そこを打破するための切り札が松岡だった。
佼成学園の藤田監督は言う。
「松岡さんに指導に加わっていただいてから、守備力は格段にアップしました。強豪相手の厳しい試合展開でも、自信を持って守ることができるようになった。もう一息です」
佼成学園は今年2024年の春季東京都大会で日大三を撃破してベスト16入り。優勝した帝京に1対6で敗れたものの、夏の西東京大会のシード権を獲得している。松岡には確かな手応えがある。
「コーチを引き受ける時、藤田監督に『3年で甲子園に連れて行きます』とタンカを切りました。この夏でその3年目、勝負なんですよ。いいピッチャーがいますし、チーム力は確実に上がっています」
松岡は高校生の指導のほかに、中学生のスカウト活動にも関わっている。有望選手を探すために、東京都以外の中学生の練習を見ることも多い。
「シニアやボーイズ、ポニーリーグの練習を見させてもらうことも多いのですが、大きな声で怒鳴ったり、暴言を吐いたり、態度の悪い指導者がまだまだいますね。選手に対する罵声を聞くこともあります。あれはどうなんでしょうか」
命令口調で選手を叱り飛ばす監督やコーチは珍しくない。
「僕は、『罵声を飛ばす前に教えなさい』と思っています。ちゃんと指導もしてないくせに『なんでできないんだ!』と怒っても仕方がない。『おまえは、どれほどの選手やったんや!』と言いたくなりますね。プロ野球選手でもできないことがあるんだから、そのレベルに合わせて指導しないと」
明治大学で島岡吉郎監督の薫陶を受け、社会人野球、プロ野球、大学、独立リーグで指導してきた松岡の結論だ。
「もちろん、暴力は論外。絶対にダメです。保護者が大事に大事に育ててきた子どもですよ。ないがしろにすることなんかできません。その子なりに一生懸命に頑張っているんだから、暴力も罵声もダメですよ。
僕は、佼成学園の選手たちが本当にかわいくて仕方がない。僕の守備練習を秘かに〝松トレ〟と言っているらしいですよ。『やべえ~、これから松トレだよ』って(笑)」
愛情を注いでいるからこそ、甲子園に出たいと松岡は思う。
「今年こそ、本当の勝負です。東京が西東京と東東京に分かれた1974年以来の甲子園を狙います。僕はとにかく元気ですし、もし甲子園に出られれば話題になるはず。これまでお世話になった人たちに『松岡もまだまだ頑張っているな』と思ってもらいたい」
そして...松岡にはもうひとつの夢がある。
「今年2月で81歳になりましたけど、もう一度NPBに戻りたいと本気で思っています。野球が好きで、ここまで野球ひと筋でやってきました。最後の夢というか、目標ですね。80歳を超えてもまだコーチができることを証明したい。
僕みたいにすべてのカテゴリーで指導をしてきた人間はそういないでしょう。60年以上の野球経験を買っていただければ! 人生経験は売るほどありますから。もし落合博満さんが監督やGMでプロ野球に復帰する際にはお願いに行こうかな(笑)。僕の存在を面白いと思ってくれる人がいたら、うれしいですね」
★本連載は今回で終了となります。ご愛読ありがとうございました。
■松岡功祐(まつおかこうすけ)
1943年、熊本県生まれ。三冠王・村上宗隆の母校である九州学院高から明治大、社会人野球のサッポロビールを経て、1966年ドラフト会議で大洋ホエールズから1位指名を受けプロ野球入り。11年間プレーしたのち、1977年に現役引退(通算800試合出場、358安打、通算打率.229)。その後、大洋のスコアラー、コーチをつとめたあと、1990年にスカウト転身。2007年に横浜退団後は、中国の天津ライオンズ、明治大学、中日ドラゴンズでコーチを続け、明大時代の4年間で20人の選手をプロ野球に送り出した(ドラフト1位が5人)。中日時代には選手寮・昇竜館の館長もつとめた。独立リーグの熊本サラマンダーズ総合コーチを経て、80歳になった今も佼成学園野球部コーチとしてノックバットを振っている。