シリア戦の板倉滉

26年北中米W杯アジア2次予選を全勝突破した森保ジャパン。最終予選の組み合わせは〝死のグループ〟との声も上がる中、板倉は「2次予選でのトライが最終予選に結びつく」と語る。W杯連続出場を誓う彼が語る展望とは――。

■予想外だったボランチ起用

常に準備は怠らず、予想外の展開にも柔軟に対応できる力を持つことは非常に大事だ。サッカー選手は、そういった能力を求められる。僕の場合、6月6日に行なわれた2026年北中米W杯アジア2次予選のミャンマー戦がそうだった。

スタメンのDFは3バックで左から伊藤洋輝、(谷口)彰悟さん、橋岡大樹。僕は控えに回っていた。システム変更や選手の負傷といった不測の事態に備えて、控えのメンバーは前半から後半の途中までは体を動かしてアップしておくことが多い。

ただ、この日は前半17分の(中村)敬斗による先制点に始まり、前半34分の(堂安)律、後半30分の(小川)航基のゴールで3-0と一方的な試合展開。

となれば、守備の機会が少ないので選手交代は自然と攻撃陣が中心になるし、その中でも出場機会の少ない選手や初めて招集した選手をチェックするために投入するのがオーソドックスだ。

途中でセンターバック(CB)を代えることなんてめったにないので、正直あの日は出番なしと踏んで、ベンチに座って試合を見ていた。

ところが、後半30分過ぎにコーチの名波(浩)さんがバーッと走り寄ってきて、「滉、いくぞ」と。驚きのあまり僕は思わず「俺ですか?」と答えてしまった。

しかも、守田(英正)君に代えてボランチでの起用。ベンチには本職の(遠藤)航君も、(田中)碧もいる。びっくりしたけど、森保(一)監督の指示である。急いで準備して、ピッチに駆け出していった。

所属先のボルシアMGでは、昨シーズンの終盤はボランチ起用が多かったが、A代表では久々である。振り返ると、A代表のデビュー戦もボランチでの出場、相手はウルグアイだった(19年6月20日、コパ・アメリカ1次リーグ第2節)。

結果は2-2で、個人的にはほろ苦いデビュー戦となった。その悔しさを次のエクアドル戦(6月24日、第3節)で晴らすため、がむしゃらになったこともよく覚えている。

ミャンマー戦に話を戻すと、後半38分に航基が追加点を、48分には敬斗がダメ押しゴールを決めたため、緊迫した試合展開ではなかったが、気を緩めずにしっかり無失点で終えることは強く意識していた。

その上で厄介だったのはミャンマーの気候。僕はロスタイムも含めて15分程度の出場だったにもかかわらず、高温多湿な気候のせいで汗が噴き出し、あっという間に体力を奪われた。隣にいた彰悟さんをはじめ、先発のメンバーたちはかなりキツそうにしていたので、味方の体力も踏まえたプレーが求められた。

何はともあれ、結果は5-0。クリーンシートで終えることはできたが、これが拮抗した試合での途中出場となれば、全然話が違ってくる。

東京五輪の準々決勝ニュージーランド戦(21年7月31日)は延長戦からの出場だったが、かなり集中力が必要だった。ここから先、試合によっては1-0で最後まで逃げ切って、ゲームを締めるために投入されるケースも考えられる。

正直、ボランチでの途中出場は、本職がCBである立場からすれば簡単ではない。ましてや、中盤はゲームの流れを左右する心臓ともいうべき役割だけに、責任は重くのしかかる。

本職ではないとしても、監督からここ一番という場面で重要な役割を託されたのであれば「ごめんなさい、うまく対応できませんでした」では許されない。

これからの戦いが厳しくなっていく以上、想定外の状況はいくらでも生まれる。そういった意味で、森保監督は自分に対して、久しぶりに準備の機会を与えてくれたのだと思う。

板倉と日本代表メンバーの集合写真

■新たなシステム、進化の2次予選

6月11日、広島で行なわれた2次予選のシリア戦。フォーメーションは3-4-2-1。この布陣は、以前から準備していたわけではなく、6月に招集されたタイミングで伝えられた。

実質、2日ほどで形にしたわけだが、こうした素早い対応も、全体練習の日数が限られている代表ではごく当たり前のことである。

3バックの中央を担った立場からすれば、このシステムは攻守両面において非常にやりやすかった。お互いの距離感も良かったし、いい形でリズムをつくることもできた。

守備では両ウイングバックの敬斗(左サイド)と律(右サイド)が加わって5バック気味に、攻撃時はFWの(上田)綺世を筆頭に、2列目に(南野)拓実君と(久保)建英がいて、そこに敬斗と律も参加、ダイナミックな攻撃ができた。

敬斗のゴールも素晴らしかったし、律の働きも特筆すべきものがあった。強度を高くするだけでなく、状況を的確に判断して、ハードワークもきっちりこなし、局面によっては最終ラインまで下がってくれたので、僕らCBとしても頼もしく、プレーしやすかった。

一方シリアは、アルゼンチン出身のクーペル監督が率いており、アルゼンチンから帰化した同胞を集めていることもあって、中東というよりはプレースタイルが南米に近い印象を受けた。

試合前に映像チェックをしたところでは、FWのアルソマやカディが強さもあり、嫌なタイプの選手ということで警戒していた。特にアルソマは身長192㎝と長身なので、彼をめがけてロングボールが放り込まれる場面が何回かあった。

ただ、基本的にはパスをつなぐスタイルで、前半はかなり引いていた感じもあったので、日本は主導権を握ることができて、結果として次々とゴールに結びついていった。

前半だけで13分の綺世の先制点、19分の律のゴール、22分のオウンゴールと3得点。ただ、僕としてはあまり前のめりにならないよう、あえて一度ボールを止めたりしながらコントロールしていた。

余談だが、僕の〝倒立シーン〟が話題になっていたけれど、変な体勢で転倒せずに済んで良かったと、ほっとしたのが正直な気持ちだ。

FWアルソマの真後ろから覆いかぶさる形だったので前に両手をついて対応できたが、空中戦の競り合いで一番怖いのは相手選手と並列で衝突、横向きに倒れ落ちるといったケース。これはうまく着地できないため、思わぬ大ケガをしてしまうことがある。今回は笑い事で済んでラッキーだった。

オフに子供向けサッカーイベントを開催した板倉

■パリ五輪世代に対して伝えたいこと

いよいよ、9月からは最終予選が始まる。僕ら日本はA~Cと3つの組に振り分けられた中のグループC、オーストラリアやサウジアラビア、バーレーン、中国、インドネシアとホーム&アウェー対戦していくことになる。

2次予選は不戦勝を含む6試合を無失点で全勝できたといっても、余裕は全然感じていない。22年カタールW杯最終予選の苦しかった戦いが、僕の中で鮮明に残っているからだ。

オマーンをホームに迎えての初戦(21年9月2日・大阪)が0-1の黒星スタート。中国戦(同年9月7日・ドーハ)は1-0で逃げ切ったものの、アウェーのサウジアラビア戦(同年10月7日・ジッダ)は0-1と敗北。

僕はこのサウジアラビア戦から招集され、控えとしてベンチに入ったが、試合後の重苦しい空気は今でも忘れられない。

その後中国とのホームゲーム(22年1月27日・埼玉)で先発出場、2-0で勝利を収めたが、試合前は「もう後がない。絶対に勝たないとまずいぞ」と極度に緊張していたのを、昨日のことのように覚えている。

だからこそ、今度のアジア最終予選、中国との初戦(9月5日・埼玉)は絶対に白星で飾らなければならない。出だしでつまずけば、とてつもなく苦労することになるからだ。あの悪夢を再現してはならない。

そんな中で、2次予選のミャンマー戦、シリア戦を消化試合ではなく、最終予選以降に向け、新システムをトライする場にできたのは大きい。

ただ、今回はハマった3バックに対して、国によっては大型FWを並べ、僕らDFとの1対1をバンバン仕掛けてくる可能性も考えられる。そのため、相手の対応によって、こちらもその次の対応をできるよう、豊富なオプションを持っておくことは必要になるはずだ。

森保監督は、常に進化を目指し、臨機応変を求める。僕らもフレキシブルに応えられるよう、チーム内の意思疎通を密にしているし、それをピッチ内で形にできるという自負もある。

今のA代表は東京五輪2020のメンバーが主軸となっており、当時から森保監督の下、団結しているからだ。「ここにボールを出してほしい」というのが、阿吽の呼吸じゃないけれども、一瞬のアイコンタクトだけでわかり合える。

後ろの僕からすれば「俺にボールをくれ!」と求めてくれる中盤の選手が何人もいるので、パス先は多いし、組み立てもしやすい。

これが昨季のボルシアMGではへたをすると降格という状況だったので、個々は非常に優れた選手であっても、奪われるリスクを恐れてボールを受けに来る選手も少なく、ビルドアップするとき、自分のプレーも含めてもどかしさを感じる場面が多かった。だから、日本代表での連係の良さというのはますます感じられた。

最後に、日本代表に絶対必要なのは勝負強さだと思う。アジア杯での反省点は僕をはじめ、土壇場での「勝ちたい」という気持ちが足りなかったことにある。

少しでも勝ちたいという気持ちが足りなければ勝ち切れない。3-2でも、1-0でもいい。全員が勝ちにこだわる姿勢を見せてほしい。

パリ五輪世代の選手たちも頼もしい。パリへの切符がかかったAFC U-23アジア杯で見事に優勝を果たした彼らの試合は僕もチェックしていたが、あの激闘をくぐり抜け、優勝を手にしたわけだから、拍手を送りたい。

同時に、本戦ではメンバーが18人に絞られてしまうわけで、共に戦ってきたメンバー全員がパリに行けるわけではないつらさもよくわかる。

ここから先、彼らパリ五輪世代も次々とA代表に呼ばれるだろうし、むしろ、僕ら東京五輪世代を食ってやろうという気概を持って、代表を進化させてくれることを期待している。僕も負けてはいられない。もっともっと強くなりたいし、うまくなりたい。

カタールW杯から、アジア杯での敗戦やクラブの残留争いという苦しい時間を経て、ここまでノンストップで走り続けてきた。

今年はいつもより長めにオフが取れたので、しっかりリフレッシュできている感覚がある。準備は整った。来シーズン、そして最終予選での活躍に期待していてほしい。

板倉滉

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板倉 滉

板倉 滉いたくら・こう

1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、2019年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスター・Cへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケを経て、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍

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