井上眞一 1946年生まれ、愛知県出身。サラリーマン生活を経て、71年に中学校で指導者人生をスタート。77年に転任した名古屋市立守山中学校で全国大会6連覇。86年から桜花学園(当時・名古屋短期大学付属)の監督に就任。以降、インターハイ25回、国体22回、ウインターカップ24回と高校三大タイトルを計71度制覇 井上眞一 1946年生まれ、愛知県出身。サラリーマン生活を経て、71年に中学校で指導者人生をスタート。77年に転任した名古屋市立守山中学校で全国大会6連覇。86年から桜花学園(当時・名古屋短期大学付属)の監督に就任。以降、インターハイ25回、国体22回、ウインターカップ24回と高校三大タイトルを計71度制覇

数ある高校スポーツの中でも、女子バスケットボールの井上眞一監督(77歳)ほど結果を出してきた指導者はいないだろう。

井上監督は1986年に桜花学園(愛知)の指揮官に就任すると、初年度のインターハイを皮切りに2022年の国体まで、ウインターカップを含む高校三大タイトルを計71回制覇と前人未到の記録を打ち立ててきた。

多くのOGがWリーグ(バスケット女子日本リーグ)でプレーし、3年前の東京五輪には5人制、3×3に合わせて5人の代表選手を輩出したほか、パリ五輪に臨む5人制の日本代表にも髙田真希、馬瓜エブリン&ステファニー姉妹、山本麻衣という4人の教え子が12人の登録メンバー入りを果たしている。

毎年選手が入れ替わる高校スポーツで、なぜこれほど勝ち続けることができるのか。その理由を探るべく、愛知県名古屋市内にある桜花学園に向かい、井上監督を直撃した。

強豪校といえば、どんなスポーツでも大勢の部員がいるものである。だが、桜花学園の練習を見てまず驚いたのは、3学年合わせても部員が24人しかいないことだ。

「1学年に20人、30人いても、世話できないからね。1学年8人なら、進路を含めて面倒を見ることができる。それに(専用の)体育館はコート1面しかないし、(隣接する)寮のキャパシティを考えても、これが限界です」

少数精鋭だからこそ、コート内外の細かい部分まで目が行き届くのだろう。ちなみに桜花学園のバスケ部は全寮制で、寮母さんらスタッフも全員バスケ部のOGである。

何度も全国を制せば、いくつタイトルを手にしたかなどは覚えていなくても不思議ではない気もする。ただ、井上監督は「71」という数字をしっかり記憶している。

「いちいち数えているわけではないですけどね。でも、優勝を重ねる中、男子バスケの名門・能代工業(現・能代科学技術)が60年から07年にかけて加藤廣志監督と加藤三彦監督のふたりで計58回優勝していたので、その数は超えたいとは思っていました。

なぜ、ここまで勝てたか? 監督なら誰だって勝ちたいでしょ。私はここに来る前に名古屋市内の中学で全国6連覇しましたけど、就任したばかりの頃は『中学で勝っても高校では無理』と言われたものです。いい選手がいなければ勝てないし、選手に恵まれたということです」

バスケではサイズ(身長の高さ)が大きな武器になるだけに、全国で勝つためにはリクルートも重要になる。だが、それだけで勝てるほど甘くはない。井上監督がこだわってきたのはファンダメンタル(基礎)だった。

「例えば、ミスを減らし、勝つためには得点が必要で、シュートをどう決めるかということ。もちろん、守備も大事。基礎は徹底して叩き込む」

また、井上監督が独特なのは、コートでは厳しい口調で指示を飛ばすものの、コートを一歩離れれば、選手とお互いに〝タメ口〟で話すなどフランクに接していることだ。

「自分が学生時代に上下関係や厳しい規律は嫌だったからね。私も寮で食事をするので、ずっとピリピリしていたら疲れるし、楽しくないでしょ。選手とはどうでもいい話もするし、その関係性は昔はお父さんと娘、最近はおじいちゃんと孫って感じです(笑)」

厳格な指導者とハードな練習に耐えかねて退部者が出るのは〝強豪校あるある〟だが、桜花学園では途中退部者はほぼなく、井上監督は「全員にバスケを好きなまま卒業してほしい」と願っている。

いい選手に来てもらうためにユニフォームのデザインなどにもこだわった。

「なるべくカッコいいと思ってもらえるように考えました。だって、いい選手が来てくれなければ勝てないですから」

指導者として一番うれしいことは選手の成長を感じたときだという。東京五輪に続いてのメダル獲得を狙うパリ五輪でも、4人の教え子が日本代表の主力として出場することは大きな喜びだ。

センターで長身の髙田、シューターとして期待のガード山本は今の日本代表に欠かせない存在だが、高校時代はどんな選手だったのだろう。

「髙田は入学したときはヘタクソで何もできなかった。ただ、サイズはあったし、中学まで空手をやっていたのでコンタクトには強く、化ける可能性は当時から感じていました。山本はお母さんも実業団でプレーした選手。小柄だけどセンスがあって1年生の頃からよくシュートを決めていました」

エブリンとステファニーも、それぞれタイプは異なるが、やはりチームに不可欠な選手だ。

「エブリンは小学5年生の頃には身長175㎝くらいあって、その頃から桜花の練習に来ていたので、付き合いは一番長いかもしれない。明るい性格で、誰からもかわいがられた選手。

(東京五輪後に)1年間休養したことは理解できなかったけど、よく復帰できたなと思っています(笑)。ステ(ファニー)はなんでもできるし、一番成長したかな」

今回、井上監督にとって残念だったのは、OGで長く日本の女子バスケを牽引してきた渡嘉敷来夢のメンバー落ちだった。

「193㎝の高さがあるのに、なぜ選ばれなかったのか。Wリーグで8度もシーズンMVPを取った選手。桜花の歴史の中でも髙田(3年)と渡嘉敷(1年)がいた07年度は、高校三冠を果たすなど最強だった。いくら3ポイント(シュートが大事)といっても、インサイドがあっての外だと思うんですけどね......」

22年から23年にかけて井上監督は肺がんを患い、チームを離れた時期もあった。ただ、無事に回復し、今は現場復帰している。昨年度は無冠に終わっただけに、目下の課題はタイトルの奪還と自身の後継者探しだという。

「できれば、後任は卒業生に託したい。でも、なかなか適任が見つからなくて......。あと3年で80歳。そこまでは頑張りたいと思っています」

栗原正夫

栗原正夫くりはら・まさお

1974年生まれ。埼玉県出身。ノンフィクションライター。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年独立。得意ジャンルはスポーツ。週刊誌やWEBを中心にインタビューやレポートを寄稿する。サッカーW杯は98年フランス大会から22年カタール大会まですべて現地観戦、取材。そのほかオリンピック、サッカー欧州選手権、女子サッカーW杯、ラグビーW杯など多数の国際大会を取材し、訪問国は約60ヵ国を数える。近年はスポーツに限らず、俳優やアーティスト、タレントなどのインタビューも多数。

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