3大会連続で五輪メンバー入りした町田瑠唯を中川絵美里が直撃!
東京五輪2020では、日本のバスケにおいて男女通じ、史上初のメダルを獲得。その立役者となったのが、町田瑠唯。その後、総本山である米国WNBAへの挑戦や度重なるケガなど、紆余曲折を経てきたが、土壇場で3大会連続の五輪メンバー入り。
アシスト数で五輪新記録をマークするほど、人を支えるのが信条だという彼女が語った、花の都・パリへ向けた秘めたる思いをスポーツキャスター・中川絵美里が聞いた。
■4度目の正直でWリーグの頂点に
中川 あらためて、23-24シーズンのWリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)優勝おめでとうございます。富士通レッドウェーブとしては16年ぶりの頂点、町田選手はこれまで3度準優勝を経験(14年、15年、21年)。4度目のファイナル挑戦でようやく栄冠を手にしたわけで、喜びもひとしおですよね。
町田 ありがとうございます。11年に入団して、Wリーグでの優勝をずっと目指してやってきたので、やっぱりうれしいですね。
中川 ただ、昨シーズンは決して順風満帆とはいえなかったですよね。例えば、昨年12月の皇后杯準々決勝では左足首を負傷、2ヵ月以上実戦から遠ざかっていました。
町田 昨シーズンは骨折やねんざが続いて、チームには本当に迷惑をかけてしまいました。でも、私がケガをして出られなくなった状況でほかの選手たちが奮起して、その分頑張ってくれました。あと、若い選手たちは責任を自覚したんでしょうね、それがステップアップにつながったかと。
中川 町田選手のケガが、結果としてチームの成長につながり、優勝へのきっかけのひとつになったと。
町田 はい。ポジティブに考えれば、それは間違いなくあると思います。
中川 試合後の場面で私が胸を熱くしてしまったのは、BTテーブスヘッドコーチと町田選手が力強く抱擁を交わすシーンでした。富士通で9年間チームを率いてきた彼と、13年間在籍している町田選手はずっと苦楽を共にしてきたわけですよね。
町田 BTが富士通に入ってきてから、私をずっと見てくれていることもあって、お互いを知り尽くしている。私も思ったことはBTにどんどん言えるし、BTもまた柔軟性がある人なので、ちゃんと受け止めてくれます。
中川 テーブスヘッドコーチは、町田選手やチームにとってどんな存在ですか?
町田 お父さんのような存在ですね。実際、BT自身も選手やスタッフみんなのことをファミリーと呼んでいます。プレーはもちろん、コート外では人生について語ってくれたり、本当に家族的です。
中川 そうした温かさ、絆の深さというのは、チームが掲げてきたテーマである「オーバーコミュニケーション」によって築き上げられたものなのでしょうか。
町田 ええ。コート内はもちろん、コートの外でも深くコミュニケーションを取るということはずっとやってきました。少しでも気づいたことは上下関係なく言い合える、話し合える環境づくりを意識して取り組んでいましたね。
中川 町田選手は抜きんでた経歴の持ち主ですから、若手選手からすると話しかけられただけで緊張するのではないかと。どのようなコミュニケーションを心がけましたか?
町田 もっぱら聞き役ですね。おっしゃるとおり、若い選手からぐいぐい話しかけるのはなかなか難しいと思うので、「どう思ってるのかな?」ってこちらが質問を振って、聞くという。みんながいる前だと話しづらいという選手もいると思うので、できるだけひとりひとり、個別に話を聞くようにしました。
もともと、私自身はしゃべるのがあまり得意じゃないし、自分から積極的に話すほうではないんですが(笑)。
中川 いえいえ、そんな。十分話しやすいですよ! でも、そんなお話をお聞きしていてもうひとつ思い出したのは、優勝後に場内を一周されているときに、客席から見守っていた歴代の先輩たちの姿を見つけて感極まった町田選手のお顔です。あれは泣けました。レッドウェーブは本当に温かいチームなんですね。
町田 あのときはいろんな思いが入り交じっていましたね。先輩たちとはずっと優勝を目指してやってきて。けれど、いつもあと一歩のところで届かなくて。
引退された後も、先輩たちは常に連絡をくれて、励ましてくれました。できればコートの中で一緒に喜びたかったという思いと、感謝の気持ちがずっと交錯していました。