堂安 律 1998年6月16日生まれ、兵庫県尼崎市出身。ガンバ大阪、FCフローニンゲン、PSVアイントホーフェン(共にオランダ・エールディヴィジ)、アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ・ブンデスリーガ)などを経て、2022年からSCフライブルク(ドイツ・ブンデスリーガ)でプレー。2018年9月からサッカー日本代表としても活躍し、昨年6月からエースナンバー背番号10を着用 堂安 律 1998年6月16日生まれ、兵庫県尼崎市出身。ガンバ大阪、FCフローニンゲン、PSVアイントホーフェン(共にオランダ・エールディヴィジ)、アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ・ブンデスリーガ)などを経て、2022年からSCフライブルク(ドイツ・ブンデスリーガ)でプレー。2018年9月からサッカー日本代表としても活躍し、昨年6月からエースナンバー背番号10を着用

新シーズン開幕前、堂安 律が自主トレの地に選んだのは南国・宮崎だった――。じっくりと時間をかけて自身の課題と向き合った充実の4日間の手応え、サッカー日本代表の"背番号10"を身にまとってプレーした1年間の軌跡、約1ヵ月後に迫る2026年北中米W杯アジア最終予選への覚悟を独占告白!

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■充実の4日間で〝横の動き〟を強化!

――そもそもなぜ宮崎を自主トレの地に選んだんですか?

堂安 ガンバ大阪時代に宮崎の綾町でキャンプをやっていたんですよ。ごはんがすごくおいしかった印象が強くて。ジャイアンツが好きなんで、春季キャンプの練習場を見に行った記憶もあります(笑)。

――今回、キャリアで初めて本格的な自主トレを実施したのはどうしてですか?

堂安 いろいろ理由はあるんですけど、昨季前半戦の調子が良くなかったことが大きくて。これまでのキャリアを通して、「堂安 律は後半戦から調子を上げて冬に活躍する」というイメージが強いと思うけど、やっぱりどこかで変えないといけないなと。

これまでオフはプレシーズンに合わせて体を動かすという感覚が強かったけど、今年は真逆。オフにしか克服できない課題、チャレンジできない練習を重点的にやり込みました。

4、5年前にPSVで壁にぶち当たってもがき苦しんで、「人より頑張ればうまくいく」という感覚を持つことができたけど、そこから少し時間がたって、「人より頑張っているのに、と考える時点で間違っている」と思うようになって。「人と同じ練習量でも、高い質でやれば結果が出る」という感覚がここ数年すごくありました。

実際、カタールW杯の前にイメージトレーニングなど含めて、いい準備ができたことで本大会でも結果を出せました。

とはいえ、最近は練習量をあまり増やせていないなとも感じていて。別に努力していないわけじゃないけど、いろいろ経験して調整の仕方がうまくなりすぎてしまったというか。

だから、今年はあえてオフを返上してでも自主トレを本格的にやることで、何か新しいきっかけが生まれればと思ったんです。

――PSVで葛藤し、その後、ビーレフェルトでひと皮むけた成長の過程は、著書『俺しかいない』(集英社)でも詳述されていますが、あの時期は練習やメンタルトレーニングなど、多種多様な取り組みをしていましたよね。

堂安 いろいろ手を出したことは絶対に間違っていなかったという自信はあります。ただ、あのときは「なんで結果が出ないんだ」と思っていたし、メンタリティが不安定だった。今は当時より経験を積んだし、サッカー選手として賢くなりつつある。

ただ、賢く練習しているだけじゃもうひとつ上には行けないし、俺の本来の姿は、4、5年前のもだえ苦しんで毎日追求していた姿だと思うので。2年後の北中米W杯に向けて、もう一度、自分に鞭を打つことでもうひとつ上に行きたいし、今のメンタリティなら絶対に結果が出る気がするんです。

――北中米W杯まであと2年を切りました。まだ2年あるのか、もう2年しかないのか、どんな感覚ですか?

堂安 俺は2年しかないと思いますね。9月からアジア最終予選が始まりますけど、アジア杯で今のアジアのレベルを見て、ヨーロッパから戻ってきたばかりでコンディションが整っていない状態で戦ったら負ける、というのが自分の肌感であって。今回、早めに体をつくっているのは、そのための調整でもあるんです。

――フィジカルトレーニングを中心に、表情や会話などから充実感がうかがえました。スプリントなどのトレーニングはかなり前から熱心に打ち込んでいましたが、課題は年々変わっていますか?

堂安 変わりましたね。今は縦の動きよりも横の動きにフォーカスしています。俺はサイドの選手なので、クロスオーバーやサイドステップで差をつけたくて、そこを重点的にトレーニングしました。

サッカーって20m、30mの動きはあまり必要じゃなくて、5m、10m、最初の10歩でいかに相手よりも早くトップスピードに乗るかが大事なので。

フィジカルトレーナー竹口正範氏の直接指導を受け、自身の課題である横の動きを徹底強化。「左足のアウトサイドでドリブルすることが多いけど、クロスオーバーがうまくできるようになれば、パターンが2倍、3倍に増える。伸びしろだらけです」(堂安選手) フィジカルトレーナー竹口正範氏の直接指導を受け、自身の課題である横の動きを徹底強化。「左足のアウトサイドでドリブルすることが多いけど、クロスオーバーがうまくできるようになれば、パターンが2倍、3倍に増える。伸びしろだらけです」(堂安選手)

――試合中の具体的なプレーについてトレーナーと話し合う姿もありました。

堂安 常に試合をイメージしてトレーニングしているし、意図がわからないと練習したくなくなるタイプなんですよ。

――シュート練習中、「ここ(フィニッシュの手前のドリブルシーン)でクロスオーバーを使えるな」とアイデアを出すなど、頭と体をフルに使っている姿が印象的でした。

堂安 試合中ならあんなに考えながらできないし、試合に落とし込むためのいい練習が今回できましたね。今、自分に必要なトレーニングをしたら、結果的に負荷がかかって体が仕上がってきました。

――日本代表の10番を背負い始めて1年。気持ちに変化はありますか?

堂安 いまだに慣れないですよ。試合前にロッカールームでユニフォームの番号がパッと目に入ると緊張しますしね。10番を背負ってきた先輩たちに大きなリスペクトがあるし、俺もちゃんとしないといけないと日々感じています。

だからこそ、より厳しい環境へステップアップしていかないといけないなと。俺がほかの選手だったら、「フライブルクでやっている選手が10番かよ」って言っちゃうと思うし、それが本音です。

とはいえ、「俺は毎試合出場して、結果や数字も出している」という自信もある。やっぱり、誰がどう見ても「代表でもクラブでも結果を出すし、日本の10番はあいつしかいないよね」という存在にならないといけない。

いずれそうなってやるという気持ちは強く持っているし、俺はもともとそういう環境が大好きなので。今年は夏から結果を出すので、見ていてください。みんなの見る目を変えてやりますよ。

宮崎はガンバ大阪時代の春季キャンプで訪れた思い出の地。「自主トレの場所は毎年変えようと思っていたけど、宮崎が良すぎて悩みますね」(堂安選手) 宮崎はガンバ大阪時代の春季キャンプで訪れた思い出の地。「自主トレの場所は毎年変えようと思っていたけど、宮崎が良すぎて悩みますね」(堂安選手)

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『週刊プレイボーイ33号』では、堂安 律選手の直筆サイン入り書籍『俺しかいない』3名さまプレゼント企画を実施中! 詳しくは、7月29日(月)発売『週刊プレイボーイ33号』の「堂安 律“ニッポンの10番”が再始動!!!」にて。