WBC世界バンタム級王座の初防衛を果たし、花道でファンから祝福を受ける中谷潤人 WBC世界バンタム級王座の初防衛を果たし、花道でファンから祝福を受ける中谷潤人

7月20日、東京・両国国技館。ボクシング世界3階級王者でWBC世界バンタム級王者の中谷潤人は、WBC同級1位のビンセント・アストロラビオ(フィリピン)を初回、ボディへの左ストレート一発でキャンバスに沈めて初防衛に成功した。

勝利に要した時間はわずか157秒。世界バンタム級4団体統一を目指す中谷の勝利を信じて疑わなかったファンも、ランキング1位の指名挑戦者にまさかここまで圧勝するとは予想できなかったに違いない。

中谷は勝利インタビューで、「ちょっと早すぎたかな、というのはあるんですけど。すいません」と、少し照れたような笑顔を見せて思わずファンに謝罪の言葉を口にした。しかしこの日見せたパフォーマンスは、生観戦するため旅費と時間をかけて遠方から足を運んだファンも十分満足できたのではないか。試合時間はわずか157秒でも、緊張感漂う見応えのある戦いだったからだ。

試合翌日、中谷に「濃密な157秒」を振り返ってもらった。相手を悶絶させた左ボディストレートや師匠ルディ・エルナンデスの存在、そしてこれからについて聞いた。(全3回の第1回)

■ファーストコンタクトで見せた「逆ワンツー」

「(アストロラビオの特徴から)ボディで倒せる、ということは試合前から想定していました。ただそれを当てるためには狙いすぎると警戒されるので、時間をかけてボディ攻撃を意識させなくする必要がありました。リングに上がる前、ルディからは威嚇というか、上(顔)を意識付けさせるために『ファーストコンタクトで強いパンチを顔面に打ち込め』とアドバイスされました」

中谷よりひとつ年上、27歳のアストロラビオは2022年2月、オリンピック2大会連続金メダリスト(2000年/2004年)で元世界2階級制覇王者のベテラン、ギジェルモ・リゴンドー(キューバ)からダウンを奪い判定勝ち。23年5月のWBO王座決定戦ではジェイソン・モロニー(オーストラリア)に僅差判定で敗れたものの、互角に渡り合った実力者だ。今回の戦前予想は中谷優位の声が大方を占めていたが、決して油断できない難敵だった。

オーソドックススタイルのアストロラビオはガードを固め、被弾してもお構いなしに接近戦で仕掛ける典型的なファイタータイプ。ただ、タフなファイターだけに守りでは穴のできる場面もあった。中谷陣営はアストロラビオのそんな特徴を把握し、ボディ攻撃に対する警戒の意識を遠のかせてから本格的に攻撃を仕掛ける戦略だった。恒例の米ロサンゼルス合宿では、アストロラビオの右ストレートに対してカウンターで左ボディフックを合わせる練習を繰り返したそうだ。

試合時間はわずか157秒。しかし高度な技術と戦略が凝縮された戦いのポイントになった場面をひとつずつ振り返りたい。

試合開始20秒――。サウスポーの中谷はルディからのアドバイスどおりアストロラビオの左ジャブの打ち終わりを狙い、左右ストレートの「逆ワンツー」を、力を込めてお見舞いした。力感あるこの逆ワンツーは、振り返れば157秒でつかむことになる勝利の戦略を象徴するような攻撃だった。

「ロス合宿のときから、ルディからは『(アストロラビオは)なかなかガードが硬いぞ』とアドバイスされていました。ガードの上からでも構わないので、『強いパンチがあるという印象を相手に与えられた』と思えるまで顔面に打ち続けようと思いながら戦っていました。

(アストロラビオは)パンチの強さもあるし、機動力もある選手。リングで向き合ったとき、身体の大きさやタフネスさも感じたので、もし自分の攻撃を耐えられたときは相手の距離にされる場面も多くなるので、『長い試合になる可能性もあるな』と思いました」

ちなみに前日計量時の53.2kgから5.5kg戻しの58.7kgでリングに上がった中谷に対して、アストロラビオは前日計量53.3kgから6.3kg戻し。59.6kgでリングに上がっていた。

31秒――。中間距離から飛び込みながら顔面に単発の左ストレート。アストロラビオは左腕を伸ばしステップバックして対応した。

「(想定した戦略以外にも)もちろんさまざまな場面や状況をイメージしながら練習して準備しました。一番嫌な状況は、相手の距離にされること。攻撃に繋がる誘いをかけるため、『敢えて相手の距離にする』のではなく、『相手が主導権を奪える距離にしないこと』を第一に考えてボクシングを組み立てました。ただし、もしアストロラビオ選手の距離にされても、近距離で攻め立てる準備もしていました」

56秒――。真っ直ぐ、にじり寄るように距離を詰めてきたアストロラビオはいきなりテンポアップし踏み込みながら強烈な右フック。重心を下げたまま身体を後傾させてアストロラビオの攻撃を空転させ右フックで応戦。しかしこれはかわされた。

1分11秒――。さらに圧を高め距離を詰めてきたアストロラビオに、右ジャブから左ストレートのワンツー。アストロラビオは反応しガードで防ぐも勢いに押されて後退。中谷はたたみかけるように、力を込めてワンツーから返しの左フックを踏み込みながら打ち込んだ。

アストロラビオはガードで防ぎ、怯(ひる)まず右ボディフックを打ち込み前進。お返しとばかりに気迫溢れる左ジャブ、右ストレートのワンツーをねじ込むようにして打ってきた。素早いステップバックでかわす中谷。ここからお互い距離を取って様子を探り合った。

飛び込んで接近戦を仕掛けたいアストロラビオ。

中谷は腰を落とし、懐を深くして追撃を許さない。

目には見えない両者の思惑と駆け引きが会場全体に緊張感を張り巡らせる。息を潜めるように静かに見守っていた観客から手拍子とジュント・コールが沸き始めた。中谷はこのとき、距離を測るため軽くジャブを出しつつ「あること」を確認していた。

試合時間はわずか157秒だったが、高度な技術と戦略が凝縮された濃密な戦いだった 試合時間はわずか157秒だったが、高度な技術と戦略が凝縮された濃密な戦いだった

■前戦とは違う戦略で決めた「見えないパンチ」

1分50秒――。中谷は中間距離から右ジャブ、左ストレートのワンツー。さほど力感のない基本通りのワンツーに、アストロラビオはガードを固めて防いだ。

2分5秒――。テンポの良い右ジャブでいったんアストロラビオを後ろに下げ、中間距離からややフック気味の軌道、伸びのある左ストレートを追いかけるようにして顔面に放った。ひとつ前の左ストレートと同じように、スピードはあるが力感はない。続けざまにショートの右フックで距離を詰めるも硬いガードに阻まれ、逆に被せるようにして側頭部付近に軽く左フックを浴びた。

ダメージはないが、アストロラビオからこの試合で被弾した数少ない攻撃。しかしこのとき中谷は、アストロラビオの守りの意識は顔面に集中し、ボディ攻撃に対する意識は完全に遠のいたことを確認した。試合前の想定よりずいぶん早く時は訪れたが、中谷はここから、獲物を仕留める準備に取り掛かり始めた。

ふたたび距離を取りジャブで様子を伺う。懐を深くするため下げ続けてきた腰を初めて持ち上げ、やや前傾、踏み込んで攻撃を仕掛けやすい体制にモデルチェンジ。

そして2分21秒――。

前足を踏み込みながらの右ジャブ。即座に反応し両腕を上げてガードを固めるアストロラビオ。足が揃ってガードの意識も完全に遠のき、かつガラ空きになったアストロラビオのみぞおちに、中谷は長い槍で突き刺すように真っ直ぐ左ストレートを打ち込んだ。

一瞬何が起きたのか理解できないように立ちすくみ、動きの止まったアストロラビオ。少し間を置いて身をよじりながら苦悶の表情を浮かべ、キャンバスに両膝と両拳を突いた。一度は立ち上がるもふたたび拳と膝をキャンバスに突き、しゃがんだままレフリーに抱きかかえられた。

中谷の槍のような左ストレートにボディを打ち抜かれ、キャンバスに手をつき苦痛に顔をゆがめる挑戦者のアストロラビオ 中谷の槍のような左ストレートにボディを打ち抜かれ、キャンバスに手をつき苦痛に顔をゆがめる挑戦者のアストロラビオ

1ラウンド2分37秒KO勝ち――。

要した時間はわずか157秒。

勝利の瞬間、中谷は観客席に向かい両腕を上げ、胸元でグローブを叩き合わせながら雄叫びをあげた。

試合後、アストロラビオは「彼のパンチは見えませんでした。まだまだ戦いたいと思い、その気持ちを振り絞って立ち上がりました。でもダメージが大きすぎました。呼吸が途切れ途切れになってしまいました」とコメントした。

どれだけ強靭な肉体の持ち主でも、意識しないタイミングでみぞおちにパンチをもらえばひとたまりもない。「ボディ攻撃に対する警戒の意識を遠のかせてから本格的に攻撃を仕掛ける」という中谷陣営の戦略は見事にはまった。

世界バンタム級王座を獲得した前戦でも、相手のアレハンドロ・サンティアゴ(メキシコ)は「倒されたパンチは見えなかった」と振り返っていた。

いずれも見えないパンチ、つまり「死角からの攻撃」という点では共通する。しかし、サンティアゴ戦と今回のアストロラビオ戦では「死角の作り方」は大きく違っていた。ではいったいどのような違いなのか。中谷は一撃で仕留めた左ボディストレートにまつわる秘話を明かしてくれた。

(つづく)

●中谷潤人(なかたに・じゅんと) 
1998年1月2日生まれ、三重県東員町出身。M.Tボクシングジム所属。左ボクサーファイター。172㎝。2015年4月プロデビュー。20年11月、WBO世界フライ級王座獲得。23年5月、WBO世界スーパーフライ級王座獲得。今年2月24日にはWBC世界バンタム級王座を獲得し3階級制覇達成。28戦全勝(21KO)。ニックネームは〝愛の拳士〟

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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