会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
7月20日、東京・両国国技館。WBC世界バンタム級王者・中谷潤人はWBC同級1位のビンセント・アストロラビオ(フィリピン)を初回、ボディへの左ストレート一発でキャンバスに沈めて初防衛に成功した。試合翌日、「勝利に要した時間はわずか157秒」という圧巻KO劇を披露した中谷に、試合の振り返りや今後について聞いた。(全3回の第3回)
WBO世界スーパーフライ級王座を獲得した2023年5月のアンドリュー・モロニー(オーストラリア)戦。中谷はアメリカの老舗ボクシングメディア『ザ・リング』やスポーツ専門局『ESPN』から年間最優秀KO賞に選ばれるほどの衝撃的なKO勝利を見せた際、リングを駆け回り喜びを全身で表現した。
今回のアストロラビオ戦では、勝利の瞬間、大歓声に湧く観客席に向かい両腕を上げ、力強く胸元でグローブを叩き合わせ雄叫びを上げた。
同じように衝撃的なKO勝利でも、喜びの表現は無邪気な少年のようだった1年前のモロニー戦と今回のアストロラビオ戦では大きく違っていた。
2020年、22歳で初めて世界チャンピオンになって以来、今回で7回目となった世界のリング。自身の夢を叶えるためだけではなく、多くの期待を背負い、日本のボクシング界全体を牽引して戦う王者の風格が漂っていた。
「(試合前)入場するときも(観客に対して)『もうすぐ積み上げた成果を発揮しますから、見守っていてください』という気持ちで向かいました。皆さんの期待が高まっていることも感じていたので、『期待以上のものを発揮しなければ』と緊張もしました。ただ、それは身体が硬くなるような緊張とは違って、鼓舞される理由のひとつで活力になっています。皆さんに期待していただけるおかげで、より成長できているなと実感しています」
普段は寡黙で、ボクシングに関しても大袈裟な発言はしない。まして対戦相手を挑発するような態度やパフォーマンスをすることなど一切なく、常に尊敬と感謝の気持ちを持ってリングに上がっている。世界戦はフライ級から積み上げて3階級制覇を達成し7戦7勝6KO。しかも数字以上に印象に残る内容ばかりで、試合を重ねるたびに勝利の凄みは増し続けている。
今回のアストロラビオ戦も、ファン、関係者とも中谷勝利の予想が大方で、「最終回を待たずにKO勝利するのでは」という声も多かった。中谷本人も試合前の会見でKO勝利を目指すと答えていたが、まさか初回、タフな1位指名挑戦者を一発で沈めてしまうとは、さすがに誰も予想できなかったに違いない。
予想をはるかに超える勝利だったと伝えると中谷は、「(試合前に)言葉が先行してしまうのは、僕自身は『違うのかな』と思っています。言葉ではなんとでも言えたりはしますが、やっぱりボクシングで魅せたい、納得させたい。ボクシングそのものを見ていただき、納得していただけることが一番、プロとしてあるべき姿ではないでしょうか」と、いつものように穏やかな笑みを浮かべつつ淡々と答えた。
前回紹介した武術家、山城美智(やましろ・よしとも)氏との出会いなど、ボクシングとは違う世界の教えや考えも柔軟に吸収し、周りの支えや期待を力に変えることができる。そんな中谷潤人というボクサーを語る上で欠かせない人物がトレーナーのルディ・エルナンデスだ。
世界最高のカットマンとして有名なルディは、指導者としても数々の世界チャンピオンを育ててきた。ルディは自身を「トレーナーではなくコーチ」と表現する。
コーチの語源は、ハンガリーのコチ(Kocs)という町に由来する。コチで生産される馬車は評判がよく、ヨーロッパ各地にコチの名で広まった。「大切な人をその人が望むところまで送り届ける」の意味から、コーチに転じたとされる。
以前、とあるスポーツの指導者から、「コーチの役目は、技術を教えること以上に、選手自身が行きたい場所(目標)を決めて判断し、個性を発揮できるように見守ること」と聞いたことがある。トレーナーは競技の技術を教える人。コーチは個性や判断力を育み見守る人。ルディもまたそのような考えの持ち主なのかもしれない。
ルディの弟はボクシングの実力だけでなく人格者としても知られたヘナロ・エルナンデス。1992年、WBA世界スーパーフェザー級王者だったヘナロが防衛戦で二度来日した際(7月15日・竹田益朗戦/11月20日・渡辺雄二戦)、ルディもセコンドとして帯同した。
世界チャンピオンを目指し中学卒業後に15歳で渡米した中谷は、知人の紹介でルディと出会った。それから10年。ふたりは1選手と1トレーナーという関係だけでは語れない強い絆で結ばれていた。ルディのもとには、有名無名問わず、現在も日本から大勢のボクサーが指導を求めてやって来る。ただしプロテストも受けられない15歳という若さで弟子入りを熱望しロサンゼルスまで訪ねてきたのは、後にも先にも中谷だけだそうだ。
アストロラビオ戦の翌日、帝拳ジムで行なわれた会見に、ルディと中谷は、中谷が所属するM.Tジム村野健会長、前日にWBO世界フライ級新チャンピオンになったアンソニー・オラスクアガ(アメリカ)とそろって出席した。「トニー」の愛称で呼ばれるオラスクアガもルディの愛弟子で、デビューからわずか8戦目で今回の戴冠となった。単独インタビューではなくあくまで共同会見の場だったが、以前から聞きたかったことをルディに質問した。
中谷とトニー。10代半ばで出会い、選手としてだけでなく息子のように向き合い育ててきた愛弟子ふたりが世界チャンピオンになったことについてどう思っているのか。そして、ボクサーとしてだけでなくひとりの人間として何を伝え、今後どんな期待をしているのか、と。
以下、ルディの言葉――。
「まず、『ふたりが努力を重ねなければ今この場にはいない』ということが何よりも大事だと思います。(世界チャンピオンになれたのは)ふたりの努力の賜物です。ジュントは、今まで出会った中でも最高のファイターであり最高の弟子です。ボクシングに対する姿勢も本当に素晴らしいと思っています。
トニーは、『いつでもハッピー(ご機嫌)トニー君』なんですけれども(笑)。もちろん高い期待を持ちながら指導し、いずれ世界チャンピオンになれると思っていました。ただ気が散りやすいタイプなので、そこは心配していました。でも今回はこれまでとは全く違う、本当に真剣にボクシングと向き合ってくれました。
それはやはりそばにジュントがいるからこそ、だと思います。ジュントのボクシングに取り組む姿を見て、そして彼の足跡を追うことでトニーも成長できているように思っています。ジュントの素晴らしい所は、(指導に対して)まずはなんの疑問も持たずに取り組みます。それで、練習を続けながら理解していくタイプです。それが何よりも素晴らしい所だと思います。
ボクシングの指導者として、たくさんの若者と向き合ってきました。今も私の教え子には10代の選手も大勢いますが、全員が世界チャンピオンになれる才能を持っているとは思っていませんし、プロになるわけでもありません。なので、彼らにはボクサーになるための準備以上に、『大人に成長するための準備』ということに対して考えを巡らせています。彼らの多くは、いずれは警察官になったり教師になったりします。その過程で『ボクシングが役に立ってくれたら』という思いを持って指導しています。
でもジュントとトニーは、プロになりボクシングが仕事になりました。ボクシングが仕事になってからは、ふたりのやるべきことは変わりましたし、私の目線も変わりました。今は世界チャンピオンですから、期待もさらに高くなっていくはずです。でもそれは、ふたりが乗り越えていけると信じているからこそ期待できるのです」
来日から試合当日まで中谷家にホームステイして調整したトニーは、休暇を兼ねてもう少し残り、日本観光を楽しむつもりだと話していた。アグレッシブな戦いぶりと明るい人柄で日本のファンからも愛される存在になったトニーにとって、日本という国は、今では第二の故郷と呼べる場所かもしれない。
一方、ルディは翌日会見を終えたその足で羽田空港に向かい慌ただしく帰国した。ロスにはルディの教えを必要とするトップ選手、そしてかつての中谷のようにまだボクシングを始めたばかりの、未来を夢見る若者が何人も待っているからだ。
アストロラビオ戦の少し前、前述した『ザ・リング』は「5年後、2029年のPFP(パウンド・フォー・パウンド)ランキング予想」という記事を掲載した。PFPとは、全階級を通したプロボクサーの格付けである。
中谷は日本人ボクサーとして唯一ランク入り。驚異の身体能力と技術を兼ね備え、圧倒的なKO率を誇るジャロン・エニス(27歳。現IBF世界ウェルター級王者/33戦32勝29KO1無効試合)、「バム」の愛称で呼ばれ、高い技術力とボクシングIQの持ち主のジェシー・ロドリゲス(24歳。現WBC世界スーパーフライ級王者/20戦20勝13KO)に次ぐ3位という高評価を受けていた。
記事には、5年後に31歳になる中谷はバンタム級からフェザー級まで3階級制覇(フライ級から通算では5階級制覇)を達成した後、井上尚弥と対戦してプロ初黒星を喫するが、その後4団体統一を果たす、という架空の物語まで綴られている。
これについて中谷に聞くと、「(井上尚弥相手に)勝手に負けにされている所は気に食わないですけど......。そういうプランではないので」と笑いながら答えた。
中谷自身は5年後にランキング3位ではなく、あくまで全階級を通じて誰もが最強のプロボクサーと認めるPFP1位を目指している。寡黙で大袈裟な発言を嫌い、試合の内容で評価されることにこだわる中谷だが、PFP1位を目指していることだけは、取材で誰にどんな形で質問されても明言する。
インタビューの最後に、「後世に語ってもらえるとすれば、どんなボクサーでありたいか」と中谷に質問した。
「ずっと『強さ』というものを求めて戦ってきたので、『強さに貪欲なチャンピオン』というふうに記憶してもらえたら嬉しいですし、自分自身、常にそうでありたいなと思っています」
日本中のボクシングファンが期待するバンタム級の世界4団体統一。日本だけでなく世界中のボクシングファンからも大きな関心を寄せられる〝モンスター〟井上尚弥との世紀の一戦。そしてPFP1位。
実績をひとつひとつ積み上げて結果で実力を証明し、ビッグマッチを「求める選手」ではなく「求められる選手」になり始めた今、中谷が少年の日に見た夢は目標に変わり、実現に向けて着実に形になりつつあるように思えた。
(おわり)
●中谷潤人(なかたに・じゅんと)
1998年1月2日生まれ、三重県東員町出身。M.Tボクシングジム所属。左ボクサーファイター。172㎝。2015年4月プロデビュー。20年11月、WBO世界フライ級王座獲得。23年5月、WBO世界スーパーフライ級王座獲得。今年2月24日にはWBC世界バンタム級王座を獲得し3階級制覇達成。28戦全勝(21KO)。ニックネームは〝愛の拳士〟
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。