開幕投手を務め、3回目の登板では完投勝利を記録した早川太貴。元DeNAの田中健二朗のアドバイスが成長のきっかけになったという 開幕投手を務め、3回目の登板では完投勝利を記録した早川太貴。元DeNAの田中健二朗のアドバイスが成長のきっかけになったという

今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。

開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。

今回は、「元公務員」と「医師免許取得者」という異色の経歴を持つ、期待の若手投手ふたりを紹介したい。(全15回連載の6回目)

■地方公務員を辞めて夢にかける男

開幕直後には大量失点の惨敗が目立ったくふうハヤテだが、筆者が訪れた6月には、同じ負けでも接戦を演じることが多くなっていた。赤堀元之監督が目指す、「ファンが球場に足を運びたくなる、わくわくするような野球」が少しずつ実現してきているようだった。

戦える集団になりつつあるチームにあって成長著しいのが、異色のキャリアを持つふたりの選手。北海道江別市出身で「元地方公務員」という肩書きを持つ早川太貴投手と、入団後に医師国家試験に合格した竹内奎人投手だ。

まずは、フレッシュオールスターに選出されるなど、安定した成績を残して先発投手陣を支える早川太貴に話を聞いた。

「(北海道)北広島市役所の福祉課に勤務しながら地元の社会人クラブで活動していました。高校まではプロ野球を目指せるような投手ではありませんでした。大学時代に取り組んだ筋トレの成果で体重が10kg増えて130キロ台だった球速が147キロまで上がりました。

本当は、大学で野球は辞めるつもりでしたが、限界までやってみたいという思いが強くなり社会人クラブに入りました。社会人では150キロまで出るようになって、地方公務員という話題性もあってメディアでも紹介されて、それがきっかけでNPB12球団のスカウトの方も見に来てくださるようになりました。そんなタイミングで運良く(くふうハヤテの)トライアウトがあることを知って受けました」

市役所職員時代は「平日は午前3時に起床して4時半から2時間、週2回はグラウンドを借りて、週3回はジムに通って練習してから出勤」という生活を続けた。「昼間は常に眠い状態でした」と話すように、"二足のわらじ生活"は簡単ではなかったが、「野球を続けられるのは職場の仲間の理解や協力があるおかげ」と感謝の気持ちを忘れず、くふうハヤテに入団するまで、どちらも手を抜くことなく続けた。

入団して最も変わったことはなんだろうか。

「野球だけに集中できる環境を手にしたことと、かつ、同じように上(NPB12球団)を目指している仲間に囲まれて刺激になることですね。NPBで実績のある先輩もいらっしゃるので、貴重なお話を伺えたりもします。

僕は開幕戦で全然ダメですごく落ち込んでいたんですが、そんなときに(田中)健二朗さん(元DeNA)がアドバイスしてくださって、それが自分自身を見直すきっかけになりました。

健二朗さんほどの実績があって、抜群の制球力がある投手でも、最初は狙いすぎず、ざっくり考えながらカウントを整えていることを知りました。そして最後、決めるところは決める、みたいな考えで投げていると教えていただき、とても勉強になりました。あとはマウンドでの気持ちの整え方とか。そういうお話を伺っているうちに、少しずつ調子も上向いてきました」

開幕投手を務めた3月15日のオリックス戦では4回7失点(自責点5)とNPB球団の洗礼を浴びて降板したが、同22日の阪神戦では、7回無失点の好投で期待に応え、くふうハヤテ初の勝利投手になった。ちなみに同試合、8回1死1、2塁のピンチで救援して9回まで抑えたのは、早川が開幕戦で落ち込んでいたとき、アドバイスをくれた田中健二朗だった。

早川は続く3回目の登板、3月31日の広島戦では最終回までひとりで投げ抜き(1失点)、これまたチーム初の完投勝利投手になった。4回目の登板でも6回2失点で3連勝を飾るなど同時点ではリーグトップの勝利数を記録し、チームに欠かせない先発投手の座を不動のものにした。

NPB12球団入りを目指し、「1年勝負」と覚悟を決めてくふうハヤテに入団した早川。夢はかつての職場、北広島市役所から徒歩10分の距離にあるエスコンフィールドHOKKAIDOのマウンドで活躍し、公務員時代、過酷な環境で野球を続ける自分を支えてくれた仲間、関係者に恩返しすることだ。

「(12球団にドラフト指名されるためには)奪三振率や防御率など、安定した成績を残せるようになることが必要だと考えています。1イニングで大量失点してしまう試合もあります。そのあたりは改善していかなければと。

球速も、他の1軍で活躍する投手と比べるとまだまだ足りない。僕は投げ方が独特でリリースの位置が前にある。それは相手に球を速く感じさせる要因のひとつでもあるらしいのですが、逆に球速は出にくいフォームでもあるらしいです。一長一短ですけど。そのあたりはすり合わせをしつつトレーニングを積んで、今のフォームを安定させて球速も向上させたいと考えています」

■医師免許を持つ「静岡のドクターK」

「もともと、両立しようと思って取り組んでいたわけではなく、野球は大学で終わりにして医学の道に打ち込もうと考えていました。大学3年秋、コロナ禍で右肘の手術をして、割と時間のとれる期間があったので、自分の体を見直してトレーニングしました。トレーニングの成果で球速も145キロを超えるなど手応えをつかめたので、そこでもう一度、NPB12球団入りを目指してみようと考えるようになりました」

竹内奎人はこちらの質問に対して明瞭な答えを返す様から頭の良さを感じさせた。日々の練習で日焼けした顔と胸板の厚い逞しい体躯。その姿しか知らない人は、竹内が「医師免許取得者」というもうひとつの顔を持つことは想像できないはずだ。


医師免許取得者という顔も持つ竹内奎人投手 医師免許取得者という顔も持つ竹内奎人投手

中学時代に侍ジャパンU-15に選出された竹内は、くふうハヤテの監督、赤堀元之と同じ静岡高校出身。2年秋までエースだったが、同級生の池谷蒼大(元DeNA/現くふうハヤテ)にその座を奪われた。卒業後は東京六大学からの誘いもあるなか、整形外科医を志して群馬大学医学部に進み準硬式野球部に所属した。

大学時代は、練習は週3日で、自主練に付き合ってくれる仲間もいなかった。趣味とまでは言わないが、本気でプロ野球を目指すような仲間も雰囲気も皆無だった。竹内自身も、中学・高校時代のような本気の気持ちではいなかったかもしれない。

NPB12球団にドラフト指名されるという、封印したはずの夢をふたたび追いかけるようになったきっかけは、前述したようにトレーニングで成果が出たこと。もうひとつ、高校時代の仲間でありライバルでもあった池谷が社会人を経てドラフト指名(5位)されたこともあった。

医師国家試験合格を目指して毎日5、6時間の勉強と日々の病院実習と平行してトレーニングを続けた。大学在学中はドラフト指名漏れしたが、くふうハヤテのトライアウト開催を知り挑戦した。無事に合格すると、DeNAを戦力外になった池谷とふたたび同じユニフォームを着て、ともにNPB12球団入りを目指すことになった。

「NPB12球団を目指す勝負は2年間と決めています。くふうハヤテに入団が決まった際、侍ジャパンU15でお世話になった鹿取(義隆)監督からは『プロ野球選手よりも、医者になったほうが良いんじゃないの』と言われましたが、すごく応援してくださっています。

医師を志す道からもう一度、本格的に野球に取り組む環境に戻ってきて、『自分は心底、野球が好きなんだな』と実感することが多くなりました。ここ(くふうハヤテ)は野球を本気で愛して、取り組む人間の集まりなので、より野球に対する愛着を実感します。自分にとっては、生活になくてはならないものが野球です」

3月15日の開幕戦、竹内は早川に続く二番手で初登板した。3回被安打3、与四球4で2失点と結果を残せなかったものの、同日、医師国家試験の合格の知らせが届いた。

「NPB12球団入りを目指す門出の日と、医師を目指す節目、ひとつのゴールを迎えた日が重なったことは、感慨深い気持ちもありました。ただやはり『これからは野球により集中して取り組まなければ』という気の引き締まる思いのほうが強かったですね」

取材時点で、竹内は17試合に登板。当初は中継ぎだったが、5月以降はおもに先発を任されるなどチーム内での存在感を増していた。初勝利はまだお預けだが、取材直近の6月16日のオリックス戦では先発で6回3失点(自責点2)と安定した投球を見せていた。

医学部は6年制のため、大卒1年目のルーキーとはいえすでに25歳。NPB12球団のドラフト指名を目指す年齢としては、若いわけでもない。自身が言うように、夢を叶えるために勝負できる時間は限られている。

最後に、30歳になったときの自分は何をしていると思うか、と聞いてみた。

「なかなか難しい質問ですね(笑)。このチームで結果を残せて上(NPB12球団)の世界に行けたら、もちろん今と同じようにひたすら野球に打ち込んでいる姿も想像できますし......。もしくは医師として独り立ちして働いている。そんな姿も想像できます。今の段階では、もちろん野球に打ち込んでいる姿がベストと考えています」

(つづく)

●早川太貴(はやかわ・だいき) 
1999年生まれ、北海道江別市出身。185cm、96㎏。右投右打。小樽商科大卒業後、北広島市役所に就職。公務員として勤務しながら、市職員労働組合では軟式野球部に所属。社会人チームのウィン北広島では硬式野球部に所属した二刀流。くふうハヤテのエースとして、7月のフレッシュオールスター戦にも出場 

●竹内奎人(たけうち・けいと) 
1999年生まれ、静岡県出身。181cm、83kg。右投右打。中学時代に侍ジャパンU-15日本代表に選出されW杯7位。静岡高校から群馬大学医学部に進学し、準硬式野球部でプレー。NPB12球団入りを目指し、くふうハヤテに入団。2番手として登板した3月15日の開幕戦と同日に医師国家試験合格の報を受けた

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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