ボクシングライセンスはく奪など苦難を乗り越えてきた比嘉。試合後の会見では笑顔を見せた
9月4日、有明アリーナ。ボクシング世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥(大橋)が二度目の4団体王座防衛に成功した。その陰に隠れがちだが、その直前に行なわれたセミファイナルのWBO世界バンタム級タイトルマッチで、王者・武居由樹(大橋)と同級1位・比嘉大吾(志成)は見る者の心を揺さぶる、一進一退の死闘を繰り広げた。長年ボクシングを撮り続けてきた写真家のヤナガワゴーッ!氏が、ファインダー越しに見た一戦を振り返る。
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この日の対戦カードが発表された時から、僕の興味はセミファイナルの一戦に絞られていた。元K-1王者の武居はボクシングに転向後8戦全勝。そして迎えた今年5月、ジムの先輩である井上尚弥が返上したベルトを保持していたジェイソン・モロニーに12R判定勝利。WBOのベルトを再び大橋ジムに取り戻した。
キックボクシングの選手だったことを忘れさせる多彩なパンチ、その威力、そして何よりの魅力である「当て勘」は一級品(ちなみに、週一で理髪店に通う几帳面さも持ち合わせている)。
しかし、はっきり言ってしまうが、今回のお目当ては挑戦者の比嘉大吾だった。それはなぜか? 前日計量で「計量パスしただけでホメられる。"前科者"はホメられる」とうそぶいた比嘉のボクシング人生はまさに波瀾万丈だからだ。
同じ沖縄県出身の具志堅用高にあこがれ、19歳でプロデビュー。12戦連続KO無敗で迎えた世界初挑戦(WBC世界フライ級タイトルマッチ)は、メキシコ人王者が前日計量で200gの体重超過、試合を前にして王座はく奪となる中、比嘉は6RTKO勝利を収め、晴れて新チャンピオンとなった。
その後2試合連続でTKO防衛を果たすとともに、15戦連続KO勝ちの日本タイ記録を樹立。ここで陣営が新記録達成に向けて焦ったわけではないと思うが、わずか2ヵ月後に故郷・沖縄で行なわれた3度目の防衛戦では前日計量で痛恨の900gオーバー。泣きの2時間でも落とすことができずに王座はく奪。なんとか行なった試合も9RTKO負けを喫した。
そして、比嘉にはさらなる追い打ちが。日本人初となる世界戦での計量失敗という失態を受け、ボクサーライセンスの無期限停止処分が下されたのだ。2018年、22歳の時だった。処分は約1年半後に解除されたものの、その後の道のりも順調ではなく、ようやく迎えたこの日の世界戦。常に相手と正対し、とにかくキレのいいパンチを繰り出し、KOの山を築き上げた男がプロボクサーとして絶体絶命の挫折を乗り越え、いったい何をどう折り合いをつけてリングに上がってくるのか。
果敢に接近戦に持ち込もうとする比嘉、巧みにさばきながら的確にパンチを返す武居。スリリングな攻防が繰り広げられた
勝手にこちらの気持ちが昂(たかぶ)る中、当の本人は試合前日、報道陣から7年ぶりとなるタイトルマッチへの思いを問われると、「7年ぶりに会ったら、親でさえ変わってますからね」「水を飲めるって幸せですね」と笑って言った。
今回の試合でもうひとつ特筆すべきは、比嘉とコンビを組んで10年余りの名伯楽・野木丈司トレーナーの存在だ。普段から大橋ジムの合宿も手伝っていて、武居チャンピオンも、そのトレーナーの八重樫東も、野木トレーナーの教え子である。それでも試合を組んだ大橋秀行会長の懐の深さ、いい試合を提供したいという気概に感服する。
それぞれの人生をかけた闘い。武居28歳、比嘉29歳。ゴジラのテーマで花道に現れた比嘉は派手なガウンもまとわず、ただひとり歩き出す。この時点で僕はすでに半泣きだった。19時過ぎ、いざゴング。会場には意外に空席がある。ああ、こんな好カードなのにもったいないなと思いつつ、ファインダー越しのふたりの表情に集中する。
序盤、野獣のように挑みかかる比嘉を、冷静にやり過ごす武居。緊張感あふれるパンチの応酬に観客も徐々に湧き上がる。ラウンドが進むと、インターバルの合間に八重樫トレーナーと武居が、不安げな表情でリングサイドに陣取る大橋会長とアイコンタクトを取るようになる。八重樫トレーナーは試合後の記者会見で「厳しい試合。やはり野木トレーナー、恐るべしだった」と振り返った。
見る者すべてを引き込む、一進一退の死闘。そして迎えた11R、パンチの応酬の流れの中で武居がマットに手をつき、レフェリーがダウンカウントを取る。このまま新王者誕生か! だが、その後、比嘉はペースダウン。そして、最終12Rは武居が巻き返してゴング。武居が3-0で判定勝利を収めた。
比嘉は11Rにダウンを奪うも、倒し切れず、僅差の判定負けを喫した
判定を聞いて泣き顔の武居と、清々しいまでの笑顔の比嘉の対比。ジャッジは114-113がふたり、115-112がひとりという僅差。最終ラウンドにもう一回ダウンを奪えていれば、比嘉がチャンピオンになっていたかもしれない。
試合後、会見場に行くと、どこかの記者が「比嘉、最後逃げたな」と言っているのを聞いた。猛烈に腹が立った。
最終12R、比嘉はツラい坂道ダッシュを一緒にやったこともある武居に、最後まで目を見開いて対峙していた。決して逃げていなかった。ファインダー越しの姿は、再び世界戦の大舞台でボクシングが出来る幸せを、じっくりと噛み締めているようにも見えた。ボクシングが好きすぎて、酸いも甘いもすべて味わった男が、自分に送ったご褒美があの12Rだったのではないか。
比嘉は会見で「思い残すことはありません。本当に楽しいボクシング人生でした」と引退を表明したが、ボクシングを出来る幸せを噛み締めたからこそ、「またやる!」と言い出すのではないか。そんな期待をせずにはいられなかった。引退しようとしまいと、比嘉大吾のこれからがめちゃくちゃ楽しみになった。