雨のセーヌ川沿いでの開会式。五輪史上初めて、競技会場の外で開会式が行なわれたことで、より多くの人々が五輪との接点を持つことが可能となった
私にとって、パリ五輪は現地観戦する観客の気持ちを初めて味わった大会となりました。
現役中は4度五輪に出場し、引退後も2018年の平昌五輪、2021年の東京五輪と中継に携わり、現地を訪れました。現役中の五輪は競技に専念していて、自分の競技の環境や選手村など内側のことはわかっても、五輪を「みる側」に立ち、その環境について実体験をもって知ることはできませんでした。引退後に携わった五輪ではメディアの一員としてさまざまな会場に行きましたが、仕事をする上での環境はすべてテレビ局側が整えてくれていましたので、まだまだ内側から五輪をみている感覚でした。
今回はアンバサダー契約をしている味の素さんが提供する栄養プログラム、「勝ち飯」の応援団長として、日本の皆さんの応援を現地で直接選手に伝える役割を持って現地入りしました。味の素さんの仕事をやりながら、普段から関係性のある各テレビ番組の中継への出演、競泳競技の取材・コラム執筆などメディアとして五輪と携わりながらも、開会式や競泳を含むいくつかの競技はチケットを自ら購入・観戦し、今回はまさに外側からも五輪と関わることができました。その中で、五輪がどこまで自分を楽しませてくれるのかを客観的に感じてみようと思っていました。
外から観戦する側に立ったときに、改めて意識した言葉があります。
「スポーツホスピタリティ」
聞き慣れない方も多いかもしれませんが、スポーツ界では浸透している言葉です。スポーツ庁の発表によると、スポーツホスピタリティとは、「『する・みる・ささえる』スポーツを行う人々が、そこに『あつまる』ことで、これまで以上に『より良く楽しむ』ことを可能とする取組・行為全般を示す概念」、とされています。私の解釈としては、「スポーツを使って空間を含めてエンターテインメントをデザインし、楽しさを享受してもらう」ことだと考えていて、それこそが「ファンを増やしていくこと」につながると思っています。
開会式の会場となったセーヌ川沿いにはフードトラックやビアトラックが並び、多くの観客で賑わっていた
パリ五輪でもさまざまなスポーツホスピタリティの施策が展開されていました。
私も参加したセーヌ側沿いでの開会式は、あいにくの雨模様でした。地下鉄を乗り継ぎ、自分のチケットの入場ゲートに着いた頃には長蛇の列ができていました。「開会式の時間に間に合うかな?」という不安がよぎりましたが、徐々に列は進んでいき、無事入場して自分の席を確認することができました。
その後、開始まで時間があったので会場内を散策することにしました。セーヌ川沿いの道路には大きなビジョンがいくつも設置され、フランスのレジェンドアスリートのインタビューが生中継されていました。たくさんのフードトラックやビアトラックではサンドウィッチ、ホットドッグ等の軽食やビールの販売もされており、多くの人で賑わっていました。私の大好きなクラフトビールも数種類売られていたので、私も1杯買って、一緒に行った知人と乾杯しました。開会式前の高揚感も相まってとても美味しく感じました。
セレモニーが始まり、いよいよ選手団が船に乗って登場してきます。各国の観客たちがそれぞれの国旗を持ち、自国の選手に大声援を送っています。日本チームが登場するときには私も立ち上がり、大声で「日本頑張れ~!」と叫んでいました。普段日本で生活しているだけでは感じられない、「自分は日本人である」というアイデンティティを強烈に感じる瞬間で、心から日本の選手たちには頑張ってほしいと思い感動すら覚えました。この開会式のチケットが900ユーロ、約15万円です。私はこの金額を払う価値のある開会式だったと感じました。
開会式だけでなく、そのほかにも観客を楽しませる仕掛けがありました。
【Clubhouse24】というホスピタリティ施設もそのひとつです。会場となった「パレ・ド・トーキョー」は1937年のパリ万博時に建てられたもので、現在は美術館として使われています。
この施設が有料のホスピタリティ施設として大会期間中は運営されていました。さまざまな食べ物や飲み物が提供され、中庭に設置された巨大なビジョンで競技が生中継されています。マスコットの【フリージュ】と写真を撮れる場所や、オフィシャルグッズストアもあり、競技会場に入れなくても一日中五輪を楽しめる場所になっていて、こちらも多くの人で賑っていました。
競技観戦チケットを持たない人々も思い思いに五輪を楽しめるような有料ホスピタリティ施設【Clubhouse24】館内の様子。会場となった「パレ・ド・トーキョー」は1937年のパリ万博時に建てられたもので、パリ五輪ではこうした歴史的建造物を運用・魅せる演出が随所にちりばめられていた
勝ち負けに一喜一憂することも五輪の醍醐味ではありますが、それだけでなく、スポーツイベントの雰囲気それ自体を楽しむためのさまざまな仕掛けを充実させ、スポーツホスピタリティを高めていくことが重要だと改めて感じましたし、私自身も五輪の勝ち負け以外の楽しみ方を体験することができました。
アスリートの一番の価値は「強いこと」――つまり結果を出せることです。ときに批判される勝利至上主義ですが、強いに越したことはありません。強くなり、結果を出すことで社会における一時的な認知度や伝達力も上がります。アスリートも各スポーツ団体も、強くなることを最優先することは正しい。パリ五輪において日本選手団は、海外開催の五輪では過去最多となる金メダル及びメダルを獲得しました。五輪のメダル数だけを見れば日本のスポーツ界は強くなり続けています。しかし、私は五輪スポーツが今後、強くなることだけを追いかけていても、今以上に各競技のファンを獲得することは難しいと考えています。
強いだけでは人々を惹きつけ続けることはできません。そこにホスピタリティがなければファンはついてこないのです。アスリートが長年の努力によって積み上げた強さの価値を積極的かつ継続的な情報発信によって知ってもらうことや、大会やイベントの告知、チケットの売り方の工夫など、試合会場にファンを集め、楽しんでもらうため施策が重要なのです。
五輪は4年に一度のビッグイベントですが、4年に一度しかファンにアプローチできないのだとしたら、いつまで経っても五輪でしか注目してもらえない競技のままです。だからこそ、各スポーツがそれぞれホスピタリティを高め、ファンとの接点を作り続け、日常的にそのスポーツを通して楽しむ人の数と時間の量を増やしていけるかどうかが大切だと私は考えています。
ロス五輪までの4年間はすでにスタートしました。この間の時間をいかにつないでいくか、その勝負も始まっています。