それは美しくも、寂しい風景でした。

今シーズン限りでの現役引退を表明している青木宣親選手の引退試合となった、10月2日のヤクルト対広島。「1番・センター」で先発出場した青木選手は2回にレフト前ヒット、6回にはライトにツーベース。ヤクルトファンはもちろん、両軍の選手、そして広島のファンからも暖かい拍手が贈られました。最盛期を彷彿とさせるバッティングフォームは今もなお美しく、「本当にこの試合で引退する選手なの?」とため息をつかずにはいられませんでした。

日米通算2730安打はイチローさんに次ぐ2位。みんなから愛された偉大な左打者は、21年間にわたるプロ生活に幕を下ろしました。私は現地に行くことが叶わずテレビで観戦したのですが、最初から最後まで涙が止まりませんでした。

前々回では青木選手への思い出を綴りましたが、今回は青木選手へのリスペクトを込めて、私の好きなヤクルトの左打者をご紹介したいと思います。

その1:稲葉篤紀さん

稲葉さんといえば"イケメン"の代表格。姿勢とスタイルがいいことが印象に残っています。凛とした立ち姿でバットを構える姿はまるで侍のようでしたね。稲葉さんは2番や3番を打つことが多かった印象がありますが、足があってチャンスメイクができるだけでなく、パンチ力もあるので投手からしたら怖い打者だったでしょう。

私にとって稲葉さんは、トランプゲームの大富豪でいうところの「1」。手元にあったら気分が上がりますし、大事な勝負をかけたい場面、ここぞという時に切りたいカードです。もし自分が監督で、チームに稲葉選手がいたら、きっと打線も組みやすいはず。バットコントロールも巧みで、懐が深く、とにかく素晴らしい選手でした。その後の日ハムや日本代表監督としての活躍は、みなさんもご存じのとおりです。

その2:真中満さん

真中選手といえば、ヒットを打った後に、一塁に体が流れることが印象に残っています。1歩でも早く一塁に着くために、クルッと腰を回転させて走り出す様子は、左打者ならではといえます。

体は大きくはありませんでしたが、シュアなバッティングと長打力を兼ね備えていた真中さん。学生時代から、ヤクルトの大先輩である若松勉さんになぞらえて「若松2世」との呼び声も高かったとか。

ところで、私が子供の頃は今ほど左打者が多くなかったような記憶があるのですが、気のせいでしょうか。イチローさんが活躍を始めた頃から、「右投げ・左打ち」の選手が増えたような......。左打者は1塁に到達する距離が近く有利、ということも影響しているのかもしれませんが、昔は左打者というだけで特別な感慨を抱いたことを思い出します。

本拠地最終戦を現地で見届けてきました。 本拠地最終戦を現地で見届けてきました。

閑話休題。真中さんの話に戻りましょう。

真中さんの魅力は打撃のマトリクス図(縦軸・横軸で構成されたチャート)があったとしたら、すべてのバランスがいいこと。そして高い身体能力と、勝負強さ。スタメンとして試合に出なくなってからも、その打撃技術はチームから必要とされ、2007年には「1シーズン98代打起用」という日本記録を作っており、それはいまだに破られていません。同年に「1シーズン代打最多安打(31安打)」もマークし、こちらもいまだに日本記録です。

またまた余談ですが、私は真中さんのような体型の野球選手が大好きなんです。日大の後輩でもある山崎晃大朗選手も非常に近い体型なのですが、その山崎選手も今シーズン限りで引退。本拠地最終戦である10月3日に、勇姿を見届けてきました。結果はマルチヒット。スタメンフル出場した本拠地最終戦に自ら花を添え、温かな拍手に包まれながら、最後まで笑いを誘って球場を後にしました。ファンからもチームメイトからも愛され、記録よりも記憶に残るような山崎選手の引退はとても寂しいですが、本当にお疲れ様でした。

さて、真中さんは現役時代はストイックなイメージがあったのですが、監督になってからはなぜか"いじられキャラ"になりました。2015年のドラフト会議では、前代未聞の「くじ引きに当たったと勘違いする事件」を起こすなど、気がつけばお茶目なおじさんキャラが定着しているのもまたいいですよね。

ご本人はどうやら高田純次さんが目標だそうで、真中さんが朝の散歩番組を担当する日も遠くはなさそうです。

その3 ロベルト・ペタジーニさん

我が家の愛猫の名前は「バレンティン」ですが、一時はペタジーニにするか悩んだくらい、大好きな選手でした。

ホームラン王のタイトルを2度獲得するなど"大砲"のイメージがありますが、どちらかというと細身でしたよね。それまでの「外国人助っ人=ごつくてデカい」というイメージを刷新した選手かもしれません。

私生活でも、友達のお母さんと結婚するなど話題性にあふれた選手でしたが、打撃意外でも私に大きなインパクトを残した選手でした。

ヤクルトは2001年に日本一に輝き、ペタジーニさんもそれに大きく貢献しました。しかし......翌年にまさかの、巨人への移籍が決まったのです。チームの中心だったスター選手がいなくなるなんてことがあるのか。それも同じ東京の、同リーグのライバルチーム(向こうは思ってないかもしれませんが)に......。小さい頃の私はとてもショックを受けました。

「愛するチームを出ていくなんて!」と恨めしく思ったこともありましたが、今にして思えば、少しでも年俸が高いチーム、自分を必要としてくれるチームに行くのはプロとして当然です。ペタジーニさんは、巨人を退団した後にメジャーに復帰。一度は現役を引退しましたが、その後、メキシコや韓国を経てソフトバンクで日本球界に復帰を果たします。

いくつになっても最後まで野球選手でいたかった。ペタジーニさんの姿からは、そんな強い矜持が感じられるのでした。

ということで、今回はつらつらと好きな左打者を挙げてみましたが、みなさんのお好きな選手も教えてくださいね。それではまた来週。

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山本萩子

山本萩子やまもと・しゅうこ

1996年10月2日生まれ、神奈川県出身。フリーキャスター。野球好き一家に育ち、気がつけば野球フリークに。
2019年から5年間、『ワースポ×MLB』(NHK BS)のキャスターを務めた。愛猫の名前はバレンティン

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