会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
今月13、14日の2日間、日本ボクシング史上初めて、世界戦7試合の2日間興行(『Prime Video Boxing 10』)が東京・有明アリーナで開催される。初日の13日、元WBC&WBAスーパー統一世界ライトフライ級王者で現WBCフライ級1位の寺地拳四朗は2階級制覇をかけて、同級2位のクリストファー・ロサレス(ニカラグア)と王座決定戦に挑む。現在国内では世界主要4団体すべて日本人が世界王者というバンタム級に注目が集まっているが、拳四朗の参戦で、ユーリ阿久井政悟(WBA)やアンソニー・オラスクアガ(WBO)が世界王者のフライ級も俄然目が離せなくなった。
ライトフライ級では安定王者と呼ばれた男は、フライ級でも主役になれるのか。転向初戦でいきなり勝負をかける拳四朗に独占取材。連載最終回の今回は、拳四朗がボクシング人生の集大成に向けて実現を願う、井上尚弥に継ぐ軽量級の若き怪物、「バム」ことジェシー・ロドリゲスとの対戦について聞いた。(全4話/第4話)
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2024年9月21日(土)、東京・後楽園ホール。
同日、著者はフライ級転向初戦に挑む拳四朗のスパーリング相手をつとめた19歳、伊藤千飛の試合を見るため会場に足を運んだ。
アマチュア戦績21戦20勝1敗、高校二冠という実績を引っ提げ、長谷川穂積など数々の世界チャンピオンを育てた山下正人会長率いる真正ボクシングジム入りした伊藤は、今年4月のデビュー戦ではタイ人選手を強烈なボディ攻撃で沈めて1回55秒KO勝ち。この日はプロ2戦目ながらセミファイナル、バンタム級8回戦に抜擢された期待の大型新人だ。
スパーリングをした拳四朗も伊藤について、「すごく良いジャブを打つ。いまでも世界に挑戦できるレベルにある。とても楽しみな選手」と話すなど、実力を高く評価していた。
同日、会場で第1試合スーパーフェザー級4回戦のサブ、そして第4試合ライト級8回戦ではチーフとしてセコンドに付く加藤の姿を見かけた。加藤は、普段は拳四朗以外に11人の担当選手を抱え、名門三迫ジムのチーフトレーナーとして、チームのまとめ役も担っていた。メディアを通じて「世界チャンピオン、寺地拳四朗のトレーナー」という事で紹介されることは多いが、他にも大勢のボクサーと関わり支えているのだ。
加藤は出場選手のサポート、著者の自分も別途取材があり話す事は出来なかったが、戦況を冷静に分析して指示を出しつつ、情熱的に鼓舞して選手を支える様は、世界戦という大舞台で拳四朗のセコンドに付く際と何ら変わらなかった。
第1試合スーパーフェザー級4回戦に出場した二十歳の保谷勇次(ほうや・ゆうじ)は、加藤が三迫ジムのトレーナーに就任したのち立ち上げたキッズコースの一期生だ。キッズコース卒業後は、駿台学園ボクシング部に所属。3年間は部活で揉まれ、プロテストを受けるタイミングで三迫ジムに戻ってきた。
プロデビュー後は横井龍一トレーナーが担当についた。横井トレーナーは、名門ヨネクラジムで10年間指導し、同ジム閉鎖後、三迫ジムに移籍した。指導歴20年以上のベテランは明るい人柄で一般練習生にも慕われる、『チーム拳四朗』にとっても欠かせないムードメーカーだ。
ボクシングを通じて忍耐力や精神力を養い、礼儀作法やコミュニケーションスキルを身に付けると同時に、将来はプロとして活躍できる選手を育てたい。加藤はそんな思いを持って、キッズコースを2014年に立ち上げた。
当初は遊びの延長で通う子供ばかりだったそうだが、保谷は最初からプロを目指して入門して来たという。デビュー戦となった昨年5月、東日本新人王フェザー級予選は初回にダウンを奪われてしまい、その後挽回したものの判定負け。しかしこの日は最後まで果敢に攻め続け、嬉しいプロ初勝利を判定で飾った。
自身が立ち上げたキッズコース一期生でプロ第一号選手でもある保谷の初勝利は、加藤にとっては拳四朗が世界タイトルを奪還した矢吹戦と同じように感慨深い試合となった。拳四朗のスパーリング相手をつとめた19歳、伊藤も8回TKO勝利を飾り、夢に向かい前進した。
「拳四朗に限らず、選手に対しては技術よりも、人間的な成長を一番に考えます」
「人間的に成長すればボクシングは勝手に強くなりますからね」
ボクシングを通じて、人としても大きく成長して行くに違いない二十歳の若者と向き合い、リングで勝利の喜びを分かち合う加藤の姿を見ていると、三迫ジムで拳四朗と並びインタビューした際の加藤の言葉が思い浮かんだ。
加藤が拳四朗に伝えたい事。それは技術や戦略以上に心の成長。それをあらためて実感した気がした。
拳四朗が加藤と出会い成長したように、加藤もまた拳四朗との出会いが、トレーナーとして成長する大きなきっかけになった。
加藤は、拳四朗が世界初挑戦(2017年5月20日)したガニガン・ロペス戦で初めてセコンドに付き、6度目の防衛戦となったジョナサン・タコニング戦(2019年7月12日)からチーフを任された。今月13日のフライ級転向初戦、クリストファー・ロサレス(ニカラグア)とのWBC王座決定戦はともに戦う16度目の試合。いずれも世界戦という稀な経験を積んでいた。
「世界戦に15度も携われるなど、拳四朗と出会えていなければ、こんな経験は出来ませんでした。見た事のないような景色を見せてもらい、たくさんの事を学ばせてもらっています。例えばバンテージを巻く作業ひとつとっても、海外の凄い選手の陣営から威圧的な態度で言いがかりをつけられるような事があったとしても、堂々と対応出来る自信が持てるようになりました。ルールミーティング、調印式、公開採点の仕組みだったり、世界戦という大きな舞台の中で起きるあらゆる出来事をこれだけたくさん体験出来ている事は貴重な財産です」
ボクサー拳四朗とトレーナー加藤。
いまふたりは新たな課題に向き合っていた。それはある意味、蜜月だった師弟関係を見直す取り組みでもあった。
「最近は自分の指示を減らして、拳四朗の感性を信じるようにしています。拳四朗は『ここで攻めろ!』と指示すればその通り動きます。でも本人は、まだ攻める距離感ではないと感じているかもしれない。例えば相手にプレッシャーをかけられている場面で、自分としては距離をとってまわって欲しい場面であえて指示を出さず判断を任せたら、意外と良いパンチを当てたりもします。指示されなければ、拳四朗自身の感性で、いまが攻めるチャンスと思える場面もあったはずです。でも拳四朗は、『まわれ』と指示すればその通り行動します。
拳四朗は自身の感性を、どこかで抑えてボクシングをしていた部分もあるのではないか。トレーナーである自分が指示を出してその通り動く事で考えなくなってしまい、アイデアも生まれなくなってしまっているのではないか、と考えたりもします。
もちろん指示は最善の判断と思い伝えています。でも、意外と拳四朗の感性を信じた方がうまくいくこともあって、それが最近、より見えて来るようになりました。あれこれ言わず、拳四朗の感覚に任せたほうがうまく行く場面が増えて来た事は、すごく良い状況と捉えています」
加藤の話を横で聞きながら、拳四朗は「どっちが良いかはわかんないですよね。どっちも正解というパターンもあるし」と付け加えた。
確かにどちらが正解かはわからない。「勝つか、負けるか」という結果次第で、正解は不正解にもなり、不正解は正解になったりもする。それが勝負事だからだ。
ただひとつ言える事。それは互いに信頼、尊重しながら試行錯誤を繰り返すふたりはまだまだ成長し、強くなれる、という事。29歳のユーリ阿久井、25歳のトニーという成長著しい王者ふたりにとって、来年1月の誕生日で33歳、「現役生活は長くてもあと2年」と話し、ボクサー人生の集大成に向けて歩み始めた拳四朗は間違いなく大きな壁になるに違いない。そして、拳四朗はさらに大きな夢を見ていた。
昨年大晦日、拳四朗は自身のX(旧Twitter)で「誰とやりたいとかあるけど、それがかなうまで勝ち続けなあかんのよなー!!」と綴った。
「誰」の正体はジェシー・ロドリゲス。スペイン語で爆発を意味する「バム」の愛称で知られる元IBF・WBO世界フライ級統一王者で、現WBC世界スーパーフライ級正規王者だ。
「バムとの試合が一番盛り上がるかなと思って。そういう高い目標があった方がモチベーションも上がるし。バムとの対戦を実現させるためには、フライ級のベルトは絶対取らないといけないですね」と拳四朗。それに対して加藤は「相性は悪い感じはないんですよね。実現すれば勝てると思います」と答えた。
じつは8度防衛した1度目のWBC世界ライトフライ級王者時代、当時同階級だったバムとは「14度目の防衛戦あたりで対戦するかもしれない」とふたりで話していたそうだ。
いまや米老舗ボクシングメディア、『リング誌』のPFPランキングでも常に上位に入り、井上尚弥に次ぐ軽量級きってのスターになったバムとの対戦を実現させるためには高額なファイトマネーの準備も必要だ。ましてバムは現在スーパーフライ級で、しかも24歳という若さ。これからフライ級に転向し、まもなく33歳になる拳四朗が夢を実現させるには時間的な余裕もない。実現は、現実的にはかなり難しいと言わざるを得ない。
拳四朗はそれでも夢を追いかける。バムとの一戦。それは尊敬してやまないパートナー、加藤も見る夢でもあるからだ。
9月28日(土)――。ふたたび三迫ジムをたずねた。
拳四朗は午後5時入り予定。その一時間前に始まるキッズボクシングのクラスで、他のトレーナーと一緒に大勢の子供たち相手に指導する加藤の姿があった。
「まずは基礎をしっかり覚えて、それから応用していくように。みんな『応用』って言葉の意味、わかるかな?」
「はい」と明るい返事をして頷く子、「うーん」という表情で首を傾げる子、ぽかんとした表情の子とリアクションは千差万別。メンバーは小学1年生から中学2年生までで、ボクシングに向ける情熱も様々。それだけに、優しく丁寧に指導しつつ、時に厳しさも必要となるなど、プロ選手に対してとは違った難しさもあるが、ただ加藤は、自身の言葉ひとつで子供たちが困難を乗り越えたり、逞しく成長したりする様をリアルに見られる所にやりがいや魅力を感じていた。
「A級ボクサーやチャンピオンになってからの選手に技術を教える事は、自分自身は、得意とは思っていません。ボクサーとしての心構えを伝えることや、人間的な成長を見守ることの方が、自分は興味があります」
キッズコースの指導は「これからもずっと続けていきたい」との事。プロボクサーのトレーナーとしては「いずれは4回戦など、新人ボクサー専門のトレーナーがしてみたい」と話した。それが、加藤が思い描く未来地図だった。
プロボクサーとして世界の最前線を戦い続ける拳四朗とコンビを組むトレーナーとしては意外な答え。しかしある意味、心技体で言えば「技術」と「体力」は天賦の才能を持つ一方、精神面では不安定な顔も覗かせる拳四朗にとっては、加藤のようなタイプのトレーナーは相性も良く、かつ必要な存在だったのかもしれない。そんな加藤が唯一、拳四朗のトレーナーとして見る夢が、軽量級の世界的なスター、ジェシー・ロドリゲスとの一戦だった。
「いまはまだ『拳四朗とバムが対戦したら面白い試合になるよね』と期待してくれるファンは少ないと思います。フライ級では『あのバムを拳四朗はどう崩すのか』と期待が高まるレベルまで引き上げたい。もっとひろく、拳四朗がボクサーとして評価していただけるようになるためにも、バムとの一戦は実現させたい。
自分の頭の中では結構バムの分析はしていて、拳四朗とは何度も戦っています。相性は決して悪くない。拳四朗の強さは、日本独特のボクシングスタイルを追求できる所、横の動きよりも縦の動きに特化したボクシングです。拳四朗とバムの戦いは、日本スタイルとアメリカスタイルの戦い。横の動き、サイドのステップワークを駆使して攻撃を仕掛けるバムに対して、拳四朗が日本独特のボクシングスタイルと極めることができれば、勝算を見出せると信じています。
世紀の一戦を実現させるためにも、フライ級で絶対的な地位を確立させなければならない。そういう意味でも次戦のロサレス戦は絶対負けられない。でも拳四朗は、ずっと負けられない試合を戦い、乗り越えてきた。いつもと同じ気持ち、変わらない拳四朗で戦って欲しいなと思います。そうすれば結果は自ずとついてくるはずです」
午後5時過ぎ。拳四朗が到着。
「こんにちは!」
修羅場をくぐり抜けてきた男とは思えぬ笑顔でみなに挨拶。リングシューズに履き替えて、バンテージを巻き始めた。
次戦、13日のロサレス戦に向けて、今回は減量苦からも多少は解放され、順調に調整できていた。拳四朗より身長は7センチ、リーチは10センチも長いロサレス対策として、2階級上のバンタム級の選手を相手に、ここまで過去最多となる170ラウンド以上のスパーリングをこなした。
相手との距離感をより意識して、ここ何戦かのように「肉を切らせて骨を断つ」ような殴り合いではなく、タイミングで倒せるパンチで勝利を掴めるボクシングをテーマに戦うつもりだ。
拳四朗に、バムとの一戦についてたずねると、「いいっすね、そういうビッグマッチは、一度は経験したい」と答えた。さらにそれは加藤にとっても、拳四朗と一緒にかなえたい夢であることを伝えると「だったらなおさらですね。加藤さんにやれと言われたら自分はやりますよ。それはモチベーションも上がります。ラスベガスで実現したら、最高っすね」と答えた。
拳四朗はリング上でミット打ちをする練習生に遠慮するように、脇でゆっくりとシャドーを始めた。
加藤はキッズコースの子供たちを見送るとスポーツドリンクを一口だけ含み、すぐに拳四朗との練習に備え始めた。
■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)
1992年生まれ、京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし6戦目で日本王座、8戦目で東洋太平洋王座獲得し、2017年10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。8度防衛成功し9戦目で矢吹正道に敗れ王座陥落するも翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利しWBA王座も獲得し2団体王者に。今年7月、フライ級転向発表し王座返上。今月13日、クリストファー・ロサーレス相手にWBC世界同級王座決定戦に挑む。通算成績24戦23勝(14KO)1敗
■加藤健太(かとう・けんた)
1985年生まれ、千葉県出身。2005年三谷大和スポーツジムから20歳でプロデビュー。2006年東日本新人王トーナメントはスーパーライト級で決勝進出。右拳の怪我で1年間ブランクの後出場した2008年同トーナメントはライト級で準々決勝進出し、のち日本王座に就く細川バレンタインと引き分けた。網膜剥離を煩い、24歳で現役引退。通算成績9勝(7KO)1敗1分。26歳で三迫ジムトレーナー就任。現在はチーフトレーナーとして名門ジムを支える。2019、2022年度最優秀トレーナー賞受賞
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。