里崎智也さとざき・ともや
1976年5月20日生まれ、徳島県出身。鳴門工(現鳴門渦潮)、帝京大を経て1998年のドラフト2位でロッテに入団。正捕手として2005年のリーグ優勝と日本一、2010年の日本一に導いた。日本代表としても、2006年WBCの優勝に貢献し、2008年の北京五輪に出場。2014年に現役を引退したあとは解説者のほか、YouTubeチャンネルなど幅広く活躍している。
公式YouTubeチャンネル『Satozaki Channel』
里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール! 日本を代表するレジェンドプレイヤーの2人が、野球からの学びをライフハックに翻訳、「生き抜く知恵」を惜しげもなく大公開。連載の第28回では、「人生設計」に関する考え方に迫ります!
――突然ですが、お2人はどれくらい具体的な将来設計を立てていますか? 里崎さんは常々、「もうユニフォームは着ない」と公言されていますが、今後、50代、60代と生きていく上で、具体的な夢や展望などはありますか?
五十嵐 えっ、サトさんは「ユニフォームを着たい」とか、「現場復帰したい」という思いはまったくないんですか?
里崎 ない(キッパリ)。ないからこそ、遠慮も忖度もせず、これだけ好き勝手に評論できるわけだから。コーチの年俸もなんとなく知っているし、優勝してもそれほどの昇給はないと聞くし、成績が悪ければ「無能だ」と叩かれる。いろいろ踏まえて、今の仕事よりも魅力を感じるのは難しいかな(笑)。逆に、亮太はどうなの?
五十嵐 サトさんの言うこともわかるけど、「もし現場に戻るチャンスがあるのなら、もう一度ユニフォームを着たい」という思いはありますね。ただ、こちらが一方的に望んでも実現するものでもないし、タイミングや縁もありますから、そう簡単に実現するものじゃないとは理解してます。
里崎 今はこうやって、メディアの仕事を中心に忙しく活動させてもらっているけど、いつまでもこのペースで働けるわけでもない。60歳ぐらいまでにはキャンピングカーを買って、夫婦で日本一周をしたいな。その頃には子どもも成人しているので。
五十嵐 意外ですね(笑)。これだけ多忙なサトさんが、キャンピングカーで日本一周なんて。そのとき、仕事はどうするんですか?
里崎 仕事があるときだけ東京に戻ってくればいいし、リモートでできる仕事もたくさんあるわけだし、特に気にしてないね。そもそも60歳を過ぎてから、今みたいなハードワークは絶対に無理でしょ。だからある程度はヒマになって時間もできるし、キャンピングカーでのんびり旅をする時間もできるはず。逆に、亮太はどんな人生設計を持っているの?
五十嵐 恥ずかしい話なんですけど、特に人生設計ってないんです。「こうなったらいいな」とか「これができたらいいな」っていう漠然とした思いはあるけど、「どうせその通りにはいかないだろうな」という思いもあって......。結局、今までもそうだったけど、成り行き任せでこれからも進んでいくんじゃないのかな?
里崎 でも、今はそれで楽しいんでしょ?
五十嵐 楽しい(即答)。これまでも「楽しくない」「なんか違うな」と感じたときに、無意識に軌道修正してきたんだと思うけど、切羽詰まった状態にならないと、今後のことを真剣に考えられない性格なのかもしれない(笑)。
里崎 現状が楽しくて、満足できているなら、それでいいよね。
五十嵐 周りの人に恵まれて、ストレスを感じることなく、自由にやらせてもらえる今の環境は本当に幸せですね。サトさんは以前、「現役時代に1億稼ぎ、引退後にも1億を目指す」と宣言して、それを実現した。そして今では「不労所得で1億稼ぐ」と言っているけど、その先のビジョンはあるんですか?
里崎 新しい時代になれば技術も進化するし、新しい環境、新しいアイディアも生まれてくるでしょ。20年前にはYouTubeなんて考えられなかったし、スマホなんて誰も持っていなかったわけだから。
五十嵐 サトさんのように、いつも前向きで新しいことを積極的に始めることのできる人が人生をうまくやっていける人なんだろうなぁ......。僕も見習いたいですよ。
里崎 いやいや、そんな大げさなものじゃなくて、単に「やるか、やらないか」という問題だけ。これまで何度も言ってきたように、僕の場合は「誰でもできるのに、みんながやらないことをただやっているだけ」というスタンスだから。
五十嵐 これも何度も言っているけど、「でも、それがなかなかできないんですよ」と、サトさんには返したいですね(笑)。みんな、それで悩んだり、苦労したりしているわけだから。どうすればサトさんのようになれるのか、何かコツでもあれば教えてください。
里崎 別にコツなんて何もないよ。シンプルに、「やるか、やらないか」だけのことだから。僕の感覚では、「これはこうするべきだ」と頭で理解していても、世の中の9割の人がやらない。でもね、大切なのは「できるか、できないか」じゃない、ということ。そこが大きなポイントだと思うな。「やるか、やらないか」と、「できるか、できないか」はまったく違うことだから。
五十嵐 「やるか、やらないか」と、「できるか、できないか」は確かに違うとは思うけど、具体的にはどう違うんですか?
里崎 何かやりたいことや望みがあった場合、「できるか、できないか」はひとまず無視して、まずアクションを起こすだけで、そこへの"仲間入り"ができる。そして、それをやり続けていると必然的に成功にたどり着く可能性が高まる。もしも成功しなくても、それは努力の方向性が間違っているだけだから、新たなプロセスで取り組んでみればいい。諦めない限りは、成功の可能性はどんどん高まっていく。それが、僕の考え。
五十嵐 でも、それでも失敗する可能性もありますよね。
里崎 もちろん。でも、何もアクションを起こさない限り、大きな失敗はない代わりに大きな成功もない。これは断言できるね。ただ、どんなことにも"賞味期限"があることを忘れちゃいけない。たとえば「プロ野球選手になりたい」という願いをかなえるためにいくら努力しても、20代半ば、ましてや30歳を過ぎれば実現の可能性はなくなってくるから。
五十嵐 サトさんは、YouTubeを始めるときも、迷いなくアクションを起こしたんですか?
里崎 もちろん。僕の場合、何事においてもとっかかりが早いというだけで、ここまで持ちこたえているわけだから(笑)。最近の試合中継では、ビジターチームの応援に特化した副音声「ビジボ」が定番になっているけど、僕はかつて、「ミスター副音声」と言われていたほど、かなり早い段階から副音声に活路を見出していたから。
五十嵐 僕も副音声のお仕事をする機会も多いけど、主音声と違って、多少の緩さがあったり、私情を挟みやすくなったりするから楽しいですよね。確かにサトさんは副音声でのびのびしゃべっている印象があるな(笑)。
――盛り上がってきたところですが、そろそろ時間となりました。次回はこの続きからと思います。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
里崎・五十嵐 また次回、よろしくお願いします!
1976年5月20日生まれ、徳島県出身。鳴門工(現鳴門渦潮)、帝京大を経て1998年のドラフト2位でロッテに入団。正捕手として2005年のリーグ優勝と日本一、2010年の日本一に導いた。日本代表としても、2006年WBCの優勝に貢献し、2008年の北京五輪に出場。2014年に現役を引退したあとは解説者のほか、YouTubeチャンネルなど幅広く活躍している。
公式YouTubeチャンネル『Satozaki Channel』
1979年5月28日生まれ、北海道出身。1997年ドラフト2位でヤクルトに入団し、2004年には当時の日本人最速タイ記録となる158キロもマークするなど、リリーフとして活躍。その後、ニューヨーク・メッツなどMLBでもプレーし、帰国後はソフトバンクに入団。最後は古巣・ヤクルトで日米通算900試合登板を達成し、2020年シーズンをもって引退した。現在はスポーツコメンテーターや解説として活躍している。
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターとなり、主に野球を中心に活動を続ける。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。主な著書に、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ──石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)、『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)、『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』(KADOKAWA)ほか多数。近刊は『大阪偕星学園キムチ部 素人高校生が漬物で全国制覇した成長の記録』(KADOKAWA)。日本文藝家協会会員。