オグマナオトおぐま・なおと
1977年生まれ。福島県出身。雑誌『週刊プレイボーイ』『野球太郎』『昭和40年男』などにスポーツネタ、野球コラム、人物インタビューを寄稿。テレビ・ラジオのスポーツ番組で構成作家を務める。2022年5月『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』(ごま書房新社)を発売。
球団創設以来、最高のレジェンドが楽天を去ることになった。高校野球でその名をとどろかせ、プロ入り後も日米で大活躍を続けてきた田中将大が岐路に立っている。今季は日米通算200勝まであと3勝に迫りながらも、キャリア初のシーズン未勝利。崖っぷちの状態だが、ここから大復活できるのか!?
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楽天を電撃退団した田中将大について、世間ではさまざまな意見が飛び交っているが、「球団の意向も、田中の考えもどちらも理解できる」と語るのは『週刊プレイボーイ』本誌おなじみの野球評論家、お股ニキ氏だ。
「選手として期待されていないのだから、新天地を探そうというのもわかります。ただ、球団側にとっては、年俸の減額制限を超えたダウン提示も致し方なし。それほど力は衰えています。
MLBから復帰後の4年間で20勝33敗の投手に対し、楽天はすでに25億円支払っているわけですし。とはいえ、球団史上最高のレジェンドを失ってはいけなかったとも思います」
実はお股ニキ氏、SNSで田中から先にブロックされた経験があり、その際、ダルビッシュ有(当時レンジャーズ)の仲介でブロックを解除してもらったという。そのような経緯もあり、田中の投球に関しては一家言ある。
「甲子園で活躍した高校時代、『田中のスライダーは消えるからどうやっても打てなかった』と関係者たちが証言していましたが、これは私が『スラッター』と呼ぶ左斜め下に落ちる軌道の変化球であり、高校生でありながらプロでも通用するレベルでした。
実際、当時球団創設3年目だった楽天でも高卒1年目でいきなり11勝、186イニング登板を記録。今年の西武で高卒ルーキーが同じ成績を残したと考えてみれば、どれだけすごい成績かわかるはずです」
その後は、日本一になった2013年の24勝0敗、防御率1.27の印象が強いが、お股ニキ氏は「本当の全盛期はその2年前」と語る。
「ブライアン・ファルケンボーグ(当時ソフトバンク)のスプリットを覚え、手がつけられなくなりました。
19勝5敗、防御率1.27の成績で、18勝6敗、防御率1.44だったダルビッシュ(当時日本ハム)を抑え、最多勝と最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得。MLB移籍前の山本由伸(ドジャース)と同じく球史に残る傑出度でした」
14年、ポスティング移籍でヤンキース入団。ルーキーイヤーから6年連続2桁勝利と抜群の安定感を発揮する。だが、勝利数とは裏腹に、投球内容は日本時代から変化した。
きっかけは1年目の夏に右肘靱帯を部分断裂してしまったこと。早期復帰を目指した田中はトミー・ジョン手術ではなく、PRP注射による対症療法を選択した。
「確かに復帰は早まったものの、それ以降の田中はのらりくらりとした投球がベースになり、最大出力を出すのはプレーオフくらい。ただし、ギアを上げて投げるプレーオフでは、ピンチになるほど好投することが多かった。気迫の投球で球場を盛り上げ、味方打線の援護が生まれやすい空気をつくっていました」
しかし、生命線のスライダーの質が変わったことで、成績は下降線をたどることとなる。
「MLB6年目の19年頃から、横に大きく曲がるスイーパー成分を加えた結果、スプリットの質が悪化。また、データを極端に数字どおりに導入してしまう傾向があり、高めはストレート、低めはスライダーかスプリットという見切りやすい投球内容に。
ヤンキース最終年の20年はコロナ禍の短縮シーズンとはいえ3勝に終わり、日本に復帰することになりました」
こうして21年、古巣・楽天に年俸9億円で復帰。当時の契約内容について、先日、「もっと上のオファーを蹴って戻ってきた」と本人が語ったことで物議を醸した。
「結果的に楽天で活躍できなかったのだから、言うべきではなかった。そもそも年俸は過去の実績ではなく、今の実力に対して払われるべきもの。若手からすると、『俺はこれだけ頑張っているのに......』という不満が生まれてしまう原因にもなります」
とはいえ、今季の0勝はともかく、復帰1、2年目は防御率3点台。そこまで悪い数字でもない。
「復帰2年目の22年は25試合登板で163イニング。先発の役目を果たしたといえますが、この頃からボールがあまり飛ばなくなり、投高打低傾向でした。
その環境で防御率3点台では負け越すのも当然。援護点が少なかったのも確かですが、MLB挑戦前やヤンキース時代のような味方の奮起を促す投球ができなかった」
MLBから古巣への復帰という意味では、ヤンキース初年度でチームメイトだった黒田博樹が39歳で広島に復帰し、リーグ優勝に貢献している。田中よりも年齢を重ねたタイミングでの復帰だったが、なぜ活躍できたのか?
「黒田の場合、『MLBでもまだやれるが、ギリギリの水準。日本でならまだ十分やれる』という絶妙な時期でした。そのため、球に力強さがあり、2桁勝利をマーク。結果を残すから若手も慕い、チーム全体に好影響をもたらしていた。
一方、田中の場合、逆に若手の登板機会を奪うカタチに。さらに、安樂智大(現メキシコシティ・レッドデビルズ)のパワハラ騒動への関与も疑われる状況では、放出も致し方なしといえます」
加齢により勝てなくなるのは勝負事の道理。だが、先述の黒田以外にも、38歳ながらMLBで活躍するダルビッシュ(パドレス)や、今年43歳で引退する間際まで奮闘した和田 毅(元ソフトバンクほか)ら、40歳前後でも衰えない投手もいる。彼らと田中の違いは何か?
「ダルビッシュと和田は若い頃からしっかりとトレーニングを積んでいたので、年齢の割に体が若い。一方の田中はそこまでトレーニングで追い込むタイプではない。試合後のロッカーの様子をYouTubeで見ましたが、上半身はかなりたるんでいました。そのせいか、近年は肝心のストレートの球威がありません」
一度は球威を落としながら、現役終盤に力強いストレートを取り戻した投手もいる。来季から阪神の新監督を務める藤川球児(元阪神ほか)だ。
「藤川はMLBから日本球界に復帰する際、阪神からオファーがあったにもかかわらず、まずは独立リーグでのプレーを選びました。実戦感覚を養いながら体を鍛え直す目的だったのでしょう。
また、和田もダルも藤川も、肘を故障した際にブランク覚悟で手術を受けリハビリで体を鍛え直した。この過程が大事なのかもしれません」
復活を目指す田中にとって参考事例となるのは、ソフトバンクでの3年間でわずか1登板に終わった後の松坂大輔だろう。その後、中日に移籍した松坂は1年目の2018年に6勝を挙げ、カムバック賞を受賞している。
「力としては当時の松坂と同じくらい落ちている印象です。ただ、中日1年目の松坂は年間を通じてローテを守るのではなく、休み休みの登板で6勝を挙げました。この起用法も参考になりそうです」
いずれにせよ、復活の大前提は体を鍛え直すことだ。
「昨オフは右肘関節のクリーニング手術を受けた影響もあって体を追い込めなかった可能性はあります。本人も『今の体の状態はいい』と言っているので、どこまで体をつくり上げ、球威を取り戻せるか。持ち味である制球力と球種の豊富さを生かすことができれば、活路はあるはずです」
参考にしたい例として、MLB通算225勝のザック・グレインキー(ロイヤルズ)の名を挙げる。
「グレインキーは若手時代、98マイル(約158キロ)のフォーシームとスライダーで勝負するタイプでしたが、フォーシームの球速が落ちた35歳頃からは、そのフォーシームよりもあえてチェンジアップを速くする奇策で延命。これまでの田中は真面目で教科書どおりの投球をしがちでしたが、遊び心も欲しい。持っている球種をフル活用し、何を投げるかわからないスタイルに変貌できるかどうか」
その新たなスタイルに最適な球団はどこか?
「松坂も復活を果たした中日です。小笠原慎之介がポスティングで抜ければ先発陣も手薄になる上、広いバンテリンドームなら打たせて取る投球もしやすい。逆に、興味があると報じられたヤクルトは狭い神宮球場なので、移籍しても好投できるか不透明です」
現状、どの球団も獲得に二の足を踏む状況だ。今オフに所属先が決まらなければ、来年7月末の支配下登録期限まで浪人もありえるのか?
「田中の野球人生において、ここまでの大きな挫折はなかったはず。今こそ、『独立でも構わない』といったハングリーさが欲しい。独立リーガーがアルバイトをしながら夢を追いかけるように、何があっても200勝を目指す気概を見せてほしいです」
カムバック賞受賞となれば、松坂以来、7年ぶりの快挙。果たして、レジェンド右腕はどんな選択をするのか?
1977年生まれ。福島県出身。雑誌『週刊プレイボーイ』『野球太郎』『昭和40年男』などにスポーツネタ、野球コラム、人物インタビューを寄稿。テレビ・ラジオのスポーツ番組で構成作家を務める。2022年5月『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』(ごま書房新社)を発売。