福西崇史ふくにし・たかし
1976年9月1日生まれ 愛媛県新居浜市出身 身長181cm。1995年にジュビロ磐田に入団。不動のボランチとして黄金期を支える。その後、2006年~2007年はFC東京、2007年~2008年は東京ヴェルディで活躍。日本代表として2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップにも出場。現役引退後は、サッカー解説者として数々のメディアに出演している
不動のボランチとしてジュビロ磐田の黄金期を支え、2006年開催のドイツワールドカップには、日本代表の中心メンバーとして出場。日本サッカーが世界水準へと飛躍していく瞬間をピッチの中央から見つめていた福西崇史。
そんな福西崇史が、サッカーを徹底的に深掘りする連載『フカボリ・シンドローム』。サッカーはプレーを深掘りすればするほど観戦が楽しくなる!
第117回のテーマはジュビロ磐田のシーズンレビュー後編。シーズンを通して攻守に安定感を欠いた理由をOB・福西崇史が解説する。
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――厳しい前半戦となったジュビロ磐田は16位で折り返しました。後半戦のスタートとなる第20節・東京ヴェルディ戦は3-0と快勝でした。
福西 後半戦の入りは良かったと思います。ただ、それ以降は6戦3分3敗と続きませんでしたよね。とくに第21節・浦和レッズ戦は完敗だったと思います。
相手にプレッシャーに来られた時に、個人でもチームとしてもどうにかすることができず、受け身になってしまいました。第23節・湘南ベルマーレ戦は、前半にリカルド・グラッサが退場となって厳しい状況で5-0の大敗となりましたが、このあたりには磐田は研究されてきていました。
対策されたあとに、どう打開するかというのが、なかなか見えてこなかったことが難しい状況になってしまったと思います。
――FWジャーメイン良選手も怪我から復帰してから思うように調子が上がらなかったですか?
福西 ジャーメインのコンディションがなかなか上がらなかったこともあるとは思いますが、前半戦にあれだけ得点を取っていれば研究されるのは当然ですよね。それは磐田もわかっていたと思います。
ジャーメインが抑えられたときにどうするかとなったときに、中盤の選手が前に出て厚みを加えるのか。でもそうなると空いた後ろのスペースを使われてしまって、相手にうまくやられてしまったところはあると思います。
――第26節・鹿島アントラーズ戦では、これまでの4-4-2から4-1-4-1システムにしたり、後半の交代策が功を奏して逆転勝利しました。
福西 鹿島戦は試行錯誤しながら結果が出た試合だったと思いますね。MFレオ・ゴメスをアンカーで使って、DFハッサン・ヒルもこの試合から出場するようになりました。中盤や守備全体の安定感を模索しているというのはすごく感じました。
――しかし、次のFC町田ゼルビア戦で0-4と大敗して続きませんでした。
福西 その次の北海道コンサドーレ札幌にも負けて、チームとして不安になりますよね。前半戦でもそうでしたが、結果がついてこないと攻撃も守備もなにかを変えなければとなってしまいます。
そこで変えることで、例えば攻撃の立ち位置とか、リズムが必ず変わってきます。それがハマったときはいいですが、安定感という面ではチーム全体で対応し切れず、戸惑いはあったのかなと。逆に相手に対応されてしまったように見えました。そういったところにもチーム力の差というのが見て取れたと思います。
――鹿島戦あたりからMF上原力也が出場機会を失ってしまったことはどう見られていました?
福西 僕は上原の良さが生きるのは前へ前へ行くプレーで、ゲームメイクというより、高い位置での攻撃参加が強みだと思っています。ただ、チーム事情もあってボランチを任されて奮闘していましたが、一方で戸惑った部分もあったと思うし、チームの調子が落ちていくのと一緒に自身の調子も落としてしまったと思います。
上原はすごく悩んでいたんじゃないかなと思いますね。開幕から軸としてプレーしてきたけどなかなかチームが安定しない。そして、その中で自身のプレースタイルが一番生きるポジションとは違うところで役割を果たさなければいけなかった。それはチームが調子に乗り切れなかった要因の一つにはなっていたと思いますね。
――第33節・サンフレッチェ広島戦あたりから3バックを試すようになりました。
福西 3バックにしたことで、中央の守備は安定感が出たと思いますね。広島にはチーム力の差で押し切られましたが、戦い方としてはよかったと思うし、その後のセレッソ大阪戦の勝ちにも繋がったと思います。
――ただ、次のヴィッセル神戸戦から3連敗してしまいました。
福西 やはり3バックで一時はよくても結局は相手に攻め手を見つけられてしまったのかなと。それに神戸は個の質が高く、そこでも打開されてしまいました。そうなったときに今度は自分たちがどう打開するかという策は、シーズン通して見出すことが難しかったと思います。
――第36節・ガンバ大阪戦では3-4と、上位相手に惜しい試合もありました。
福西 G大阪戦は先制しながら1-3にリードを広げられて、力を振り絞ってよく追いつくところまでいったと思います。
ただ、これは結果論になってしまいますが、あそこで勝ち点1を取りにいってもよかったのかなと。これはG大阪戦に限らずですが、勝ち点3を取りに行くのか、勝ち点1を取りに行くのか。そこの臨機応変さはもう少しあってもよかったかなとは思います。
――そこは前半戦から続いた守備の不安定さにも通じるところですか。
福西 そうですね。結局、守備の不安定さがずっとついて回ってしまったシーズンになりましたよね。そこに安定感がないぶん、チームとしてふらついたときに大量失点に繋がってしまいました。攻撃はハマったときの勢いはすごいものがありましたが、自分たちで主導権を握れていたかと言われるとそうではなかったなと思います。
――横内昭展監督が辞任されて、また来季のチーム作りというのはわからない部分もありますが、来季に向けて最後に一言お願いします。
福西 横内監督の辞任は残念ですが、J2のレベルもかなり高いので、時間はかかるかもしれないですが、チームとしてしっかり勝ち上がり、J1で戦えるチーム力をつけてほしいと思います。
1976年9月1日生まれ 愛媛県新居浜市出身 身長181cm。1995年にジュビロ磐田に入団。不動のボランチとして黄金期を支える。その後、2006年~2007年はFC東京、2007年~2008年は東京ヴェルディで活躍。日本代表として2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップにも出場。現役引退後は、サッカー解説者として数々のメディアに出演している