25年4月にはラスベガスでの試合を控えている井上(左)。23年、S・バンタム級に転向してからもその勢いはとどまるところを知らない 25年4月にはラスベガスでの試合を控えている井上(左)。23年、S・バンタム級に転向してからもその勢いはとどまるところを知らない

フライ級、スーパーフライ級、バンタム級の3階級を制覇した中谷(左)。井上の好敵手になれる唯一の存在として期待が集まっている フライ級、スーパーフライ級、バンタム級の3階級を制覇した中谷(左)。井上の好敵手になれる唯一の存在として期待が集まっている

"モンスター"と称されるほど桁違いの実力・実績を持つ井上尚弥。そんな彼との対戦が熱望されているのが、"ネクストモンスター"中谷潤人だ。世紀のドリームマッチの行方は? ボクシング評論家の増田 茂さんに占ってもらった。

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■無敗同士のドリームマッチ

2024年の日本ボクシング界は何かと話題が豊富だった。話題の主は世界スーパーバンタム級統一王者の井上尚弥(大橋ジム)。

昨年5月6日、東京ドームで〝悪童〟ルイス・ネリ(メキシコ)に逆転KO勝ちを収めた瞬間、場内の盛り上がりは最高潮に達した。来たる1月24日はサム・グッドマン(豪州)を挑戦者に迎え、王座防衛戦に臨む。

4月にはラスベガスでの試合も予定されているが、ちまたではWBC世界バンタム級王者・中谷潤人(M.T)との一戦を待望する声が多い。昨年12月18日の記者会見で大橋ジムの大橋秀行会長は「来年(25年)はない」と断言したが、ビッグマッチのプロモーターを兼任する立場なら世論は無視できまい。

それとも、本当に〝絵に描いた餅〟に過ぎないのか? 忖度なしの評論で支持を得るボクシング評論家の増田 茂氏に聞いた。

「井上といい勝負が期待できる相手。そのナンバーワン候補が中谷です」と増田氏は語る。確かに井上はデビュー以来28戦全勝(25KO)と無敗の快進撃を続ける、〝日本ボクシング界の神〟というべき存在。

対する中谷は「もしかしたら井上に初めて土をつけることができるかも」と熱い視線を注がれている若き実力者だ。中谷もデビュー以来29戦全勝(22KO)といまだ負けを知らない。

増田氏はキャリアを重ねるにつれ中谷の戦い方に変化が出てきたことに注目する。

「以前は蓄積した技術の引き出しの中身を試合で全部出したがるようなところがあり、そこに隙が生じていた」

ところがバンタム級に階級を上げたあたりから戦い方に変化が表れた。その一例として増田氏はジャブの用途変更によるヒット率の上昇を挙げる。

「23年5月のジェイソン・マロニー(豪州)戦で4.4%だったジャブのヒット率を、昨年10月のペッチ(タイ)戦では35.4%まで上げてきたんですよ」

史上ふたり目の2階級4団体統一を成し遂げた「モンスター」井上。プロ無敗の戦績を誇る 史上ふたり目の2階級4団体統一を成し遂げた「モンスター」井上。プロ無敗の戦績を誇る

では、井上のジャブのヒット率はどうなのか。バンタム級時代のそれは34.7%、S・バンタム級でのそれは39.4%と大きな差はない。

「井上の戦い方は打たせずに打つというスタイルに徹底しているので、昔も今も正攻法でまとめている。だから階級は変わっても、パワー、スピード、精度のレベルを上げていくスタイルを貫いている」

一方、ジャブのヒット率の飛躍的な上昇は、中谷のレパートリーが拡散ではなく、集約の方向に向かっている兆しなのか。

「要するに武器は何を持っているかではなく、いかに使うか。中谷も自分のベストスタイルを確立しつつある」

もっとも、直接対決の実現には多くのハードルがある。現時点ではふたりが主戦場とする階級が違う。中谷も、井上を前にしたら青コーナーに回らざるをえない。「結局、中谷のスケジュールは井上の影響下に置かれることになると思う」と増田氏は言う。

となると、中谷の選択肢は「バンタム級の王座統一を果たしてから井上との一戦に臨む」、あるいは「バンタム級は途中で見切りをつけ、世間が最も注目する大一番に備える」のふたつしかない。

増田氏は「バンタム級に関しては交渉妥結の難しいIBFやWBO王者とのマッチメイクに時間をかけず、その時点でのWBA王者との統一戦にとどめて王座を返上し、S・バンタム級に転向というプランも〝アリ〟だと思います」と提言する。

「そしてS・バンタム級のリミットである122ポンド(約55㎏)に慣れるためにルイス・ネリやWBA世界同級暫定王者になったムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)を破って井上戦に備えるのも一案でしょう。もし井上vsネリ以上に一方的な試合内容でネリを圧倒したら、中谷のネームバリューはまた一段と上がります」

一方、アフマダリエフは「なぜ俺の挑戦を受けない?」と井上にラブコールを送り続けているので、対決すれば井上への挑戦者決定戦とでもいうべき組み合わせになる。増田氏は語る。

「ネリ、アフマダリエフを倒せば、世界的にも『次はぜひ井上とやってほしい』というムーブメントになってくる」

■実現の道筋は?

ひとつ気になる話がある。昨年11月上旬、井上がサウジアラビアの観光プロジェクト「リヤド・シーズン」と30億円(推定)の高額なスポンサー契約を結んだという報道だ。増田氏は「試合契約は入っていないということだけど」と前置きした上で、「無言の圧力はある」と打ち明ける。

周囲の情報をまとめれば、25年の井上の3試合目はサウジアラビア開催でも不思議ではない。4月のラスベガス決戦後にサウジの試合が入り込んでくるなら、主催者はアフマダリエフをプッシュしてくると思われる。増田氏はその理由はふたつあると分析する。

「ひとつはアフマダリエフがサウジと関わりが深い英マッチルームの契約選手であること。もうひとつはサウジとウズベキスタンは中央アジア5ヵ国首脳会議の同盟国同士。国家事業としてサウジからウズベキスタンへの投資も多い関係なんですよ」

あくまで仮定の話になるが、井上の日本での試合はその次になる可能性が高い。

「そうなれば、25年の井上の日本でのファイトはあっても1試合になるでしょう」

たった1試合! 中谷が前述したふたつのプランのどちらを選択したとしても、年度末に大一番を迎えることは非常に難しい。しかしながら25年のテーマを〝ROAD TO 井上尚弥〟と想定したら、仮に年内に実現しなかったとしても、すべての試合が数珠つなぎとなって大きな大河ロマンを描くことになる。

第1ラウンドの試合展開を予想してもらおうすると、増田氏は「今はまだちょっと難しい」とあえて言及を控えた。

「中谷も精神的に図太いし、1ラウンドを見てみないとわからない。お互い向き合ったときに何を感じるか。最初の1分間である程度のことはわかってくると思います」

井上vs中谷は、深読みすればするほど味がにじみ出てくる黄金カードになるのか。

布施鋼治

布施鋼治ふせ・こうじ

1963年生まれ、北海道札幌市出身。スポーツライター。レスリング、キックボクシング、MMAなど格闘技を中心に『Sports Graphic Number』(文藝春秋)などで執筆。『吉田沙保里 119連勝の方程式』(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『東京12チャンネル運動部の情熱』(集英社)など。

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