大学3年時、松田がモントリオールでの世界選手権で銀メダルを獲得した際に開催された祝賀会での写真。4歳の頃から師事する久世由美子コーチ(左)と共に歩んだ競技人生に一点も悔いはないと語る松田が、それでも時折考える人生の岐路について――。今回は、自身の経験をもとに日本の若きアスリートたちにエールを送る
28年間にわたる競泳人生を振り返ると、ある程度やり切ったという実感がありますし、その時々の自分にとって最善の選択をし、全力を尽くしてきたと感じています。しかし、ひとつ選択が違えばまったく異なる人生を歩んでいたかもしれません。「もし別の選択をしていたらどうなっていたのだろう?」と考えることもあります。その中でも特に心に残るのが、「アメリカの大学への進学」という選択肢です。
私は高校3年生で初めて日本代表に選ばれ、2002年の釜山アジア大会や横浜で開催されたパンパシフィック選手権に出場しました。当時、高校生で日本代表入りを果たしたことで、国内の多くの大学から進学の誘いを受けました。しかし、私にとって最優先事項は「ここまで私を育ててくれた久世由美子コーチと共に世界に挑戦すること」でした。そのため、久世コーチの指導を受け続けることができる中京大学への進学を決めました。
一方で、アメリカのふたつの大学からもオファーが届いていました。しかし、当時の私は「アメリカの大学に進学する」という考え自体が頭になく、詳しい話を聞くことなくその機会を見送りました。この選択があったからこそ今の自分があると確信しており、後悔はありません。ただ、もしあのときアメリカの大学に進学していたら、今の自分はどうなっていたのだろう、と考えることがあります。
近年、日本の水泳界でも現役高校生がアメリカの大学に進学するケースが増えています。例えば、岡留大和(おかどめ・やまと)選手(東邦高校卒)はUCバークレー大学、長岡豪(ながおか・ごう)選手(栄東高校卒)はスタンフォード大学に進学し、それぞれの1年目のシーズンをスタートさせています。また、昨年のパリ五輪で100mバタフライ7位入賞を果たした平井瑞樹(ひらい・みずき)選手(日大藤沢)は、今年9月にテネシー大学に進学することが決まっています。
2012年のロンドン五輪前年に、アメリカのレジェンドスイマー、ライアン・ロクテを訪ねて武者修行したフロリダ大学での写真。松田は当時27歳で、アメリカの大学のスケール感に驚嘆したという
岡留選手や平井選手がアメリカの大学に進学するに至った過程を聞くと、彼らが最初からその道を目指していたわけではないことがわかります。ふたりとも、初めてアメリカの大学に興味を持ったのは高校生で出場した世界ジュニア遠征のときで、その際に海外選手やコーチとの交流からグローバルな視野を広げ、アメリカの大学が持つ可能性に気づいたと言います。
その後、自ら積極的に大学側とコンタクトを取り、進学に向けた具体的な準備を始めました。このように、自ら道を切り開いた姿勢が彼らをアメリカの大学へと導いたのです。特に平井選手は、五輪ファイナリストとしての実績により高額な学費が全額免除される奨学金を受けています。この事例は、日本でトップレベルの高校生アスリートであれば、同様にアメリカの大学から奨学金を得る可能性が十分にあることを示しています。
岡留選手は進学後、後輩たちから多くの相談を受けるようになり、自身の経験をもとにアドバイスをしたり、ネットワークを活用して各大学とのコンタクトをサポートしたりしています。このような先輩たちの活躍が日本の高校生スイマーたちに新しい道を示し、今後アメリカの大学進学を目指すケースがさらに増えていく予感がしています。
日本の高校生アスリートがアメリカの大学進学を選択肢のひとつとして早い段階から意識し、準備することは、彼らの将来の可能性を大きく広げると感じています。アスリートは競技に全力を尽くすために「今」に意識を向けがちですが、引退後の生活も同じくらい大切です。スポーツという自分の強みを活かすためにも、その強みをどこで、誰と、何に使うかを考えることが将来の可能性を広げる鍵になります。
結局のところ、進学や就職といった人生の大きな決断には絶対的な正解はありません。その時点でできる最大限の準備や情報収集を行ない、納得感を持って選択することが重要です。そして、その後の取り組みによって、その選択を正解にしていくしかないのです。
アメリカの大学は多様な国からの留学生が集まるグローバルな環境が特徴です。各国からアメリカの大学に集まったスイマーがNCAAだけでなく、五輪や世界選手権でも活躍しています。このような環境で学ぶことでコミュニケーション能力や異文化理解が深まり、引退後のキャリアにも役立つスキルが培われます。アスリートとしてだけでなく、グローバル社会に通用する人材として成長する機会が得られるのです。
フロリダ大学は、収容人数9万人のスタジアム、長水路プール2面、広大なトレーニングルームなど設備面のほか、外国人の受け入れ態勢も素晴らしかったと松田は振り返る
私自身、フロリダ大学で約1ヶ月トレーニングをした経験がありますが、その大学のスケールの大きさに圧倒されました。収容人数9万人のスタジアム、長水路プール2面、そして広大なトレーニングルームの設備は、日本の大学とは比較にならない規模でした。また、外国人の受け入れ態勢も素晴らしく、滞在中には当時のヘッドコーチ、グレッグ・トロイ氏が学内の日本語学習グループと連携し、私のトレーニングをサポートしてくれました。多国籍チームならではのサポート体制が整っており、各国の代表選考スケジュールに応じた柔軟な対応にも慣れている様子が印象的でした。
また、アメリカの大学では学業とスポーツの両立が基本であり、単位が取得できていないと練習にも参加できません。アスリートとして活動する時間は限られており、すべての大学アスリートが卒業後にアスリートとして生計を立てるわけではありません。したがって、卒業後に自立して生きていく術を学び、学業とスポーツを通してその基盤を築くという姿勢が求められます。これはより将来を見据えた教育体制を提供しているという点で、日本の大学の現実と大きく異なります。
スポーツはグローバルな分野であり、日本のアスリートが世界で活躍することは喜ばしいことです。しかし、日本の大学やクラブチームが国際的な競争力を持たなければ、人材の流出は止められないでしょう。大学には、世界から優秀な人材を集め育てること以外にも、地域との連携を強化し街づくりのハブとしての機能を果たす役割が求められていると私は考えます。こうした取り組みが進むことで、アスリートをはじめとする若者たちが、世界で活躍しながらも日本の社会にも貢献できる道を切り開いていけるのではないでしょうか。
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