「人生の最期」について語った五十嵐氏(左)と里崎氏(右) 「人生の最期」について語った五十嵐氏(左)と里崎氏(右)

里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール! 日本を代表するレジェンドプレイヤーの2人が、野球からの学びをライフハックに翻訳、「生き抜く知恵」を惜しげもなく大公開。連載の第39回では、「人生の最期」に関する考え方に迫ります!

■父の死に直面して思ったこと

----前回は、「中高年になったら、まずは人間ドックを」という、極めて真っ当な話題となりました(笑)。引き続き今回も、「老いること」「死ぬこと」について伺っていきたいと思います。里崎さんは「死はあらかじめ決まっているもので、人間は抗うことはできない」と話していましたね。

里崎 人間の力ではどうしようもできないものがあって、そのひとつが「死」だと思います。よく、人間の命をろうそくの火に例えることがあるけど、生まれたときからろうそくの長さは決められていて、それが少しずつ短くなっていって、時が来たらフッと消えてしまう。僕の中ではそんなイメージですね。

五十嵐 最近、僕の周りでも亡くなる方が増えてきました。実は、昨年の夏に父を亡くしたんですが、「自分もそんな年齢になってきているんだな」という実感はあります。

里崎 近しい人、特に身内の死は悲しいけど、それは避けられないものでもある。「天寿をまっとうしたのだ」と考えて、ご冥福をお祈りするしかないよね。

五十嵐 父親が亡くなって悲しいけど、僕が先ではなかったということもあって、どこかで「受け入れられたかな」っていう感じもあります。同時に、「親よりも長く生きなきゃいけない」と思ったし、「子どもよりも自分が先でありたい」と思いましたね。

里崎 自分は両親にとっての「子ども」でもあるし、一方では子どもたちにとっての「親」でもある。だから、「親より先に死んではいけない」という昔からの考えも、あらためて意味合いが変わってくる気がするね。

五十嵐 「僕が先に」という気持ちはありつつも、「子どもの成長を長く見ていたい」「もっと家族や友人との楽しい時間を過ごしたい」という思いも強くあります。その時間は、自分が健康であれば長くなる。その上で死が訪れるとしたら、「それは仕方ないな」と受け入れるしかないんですけど、それまでは、仕事、遊び、家族の時間も含めてなるべくいい時間を過ごしたいですね。サトさんには、「死のイメージ」ってあるんですか?

■死の瞬間に関する考え方

里崎 特にないかな。その瞬間が訪れたとしても、「あ、もう終わりなんだな」と思うだけじゃないかな?

五十嵐 でも、そういう気持ちの準備ができない形だったら、考える間もないわけじゃないですか。

里崎 まぁ、それはそれで仕方ないよね。死については特に理想はないし、シンプルに「その先はどうなるんだろう?」と考えることもあるけど、正直なところ「なんでもいいや」って感じかな? 「なんでもいい」というのは語弊があるかもしれないけど......さっきも言ったように、いつ死ぬかはあらかじめ決まっている、と考えているからね。

五十嵐 その考え方には、どうやってたどり着いたんですか?

里崎 例えば、日ごろからかなり健康に気を遣っている人が大病を患ったり、その逆のケースもあるよね。いくら理想を描いて努力したとしても、人間の力ではどうにもならないことがある。その代表格が「死」だろうから、感覚として「なんでもいい」となったんだと思う。

五十嵐 確かに食生活でも、無頓着な人だけが病気になるわけじゃないですもんね。カロリーや塩分を気にして、栄養バランスに気をつけて、不足がちな栄養素をサプリで摂っていても身体を壊す人もいるわけだし。

里崎 努力して健康を保てていたとしても、それこそ亮太がさっき言ったように、不可抗力でいきなり最期の瞬間が訪れることもあるわけだから。

五十嵐 そう考えていくうちに、「どうせいつかは死ぬんだから、どうなってもいいや」って自暴自棄になってしまう人も出てくるかもしれないですね。もちろんサトさんは、そういう生き方はしていないでしょうけど。

里崎 さっきの「なんでもいいや」という感覚は、死という「抗えないもの」に対する考え方であって、そこに至るまで自堕落に生きていいというわけじゃないからね。抗えなくても、必要以上に不安になることはない、ということを頭の片隅で意識しておくことは、意味があると思うよ。

■親が「要介護」になったら......

五十嵐 「死」については、サトさんの言うこともよくわかります。ただ、病気や不慮の事故などで、周囲の助けがないと生活が困難になる可能性もあるし、僕らの世代は、親の介護も想定しておかないといけないですよね。僕自身はその状況にはないけど、考えておかないと。

里崎 僕もまだそういう状況にはないけど、介護については、自分たちの能力や時間的に難しいことはプロの介護士さんにお願いすることになるのかな。そうなると、やっぱりお金の問題が出てくるね。

五十嵐 僕も「もし親が倒れたら」「介護が必要になったら」ということはある程度考えていて、「そのためのお金を準備しておこう」と思っています。「これぐらいかかるだろう」と逆算しながらお金の管理をしていますけど、実際に直面してみないとわからないことも多いでようね。

里崎 「もしも」のときに備えて資金を準備しておくのが最適解だと思うけど、それが難しい場合は近しい人のフォローが必要な場面が増えるはず。それでも、行政のシステムでカバーできる部分もあるだろうし、役所などに相談して「どこまで可能なのか?」「何ができるのか?」を事前に知っておくに越したことはないよね。

五十嵐 介護に関しては、家族が「なんでも自分たちでやらなくてはいけない」と責任感を強く持ちすぎて、いわゆる「介護疲れ」のような状況になってしまうこともあると聞きます。時には一歩引いて、「行政の補助や援助に頼る」という視点を持つことが大事そう。それは決して、「冷たい」ということではないでしょうし。

里崎 そうだね。行政の補助金システムについては、僕らも知らないことがたくさんあるはず。申請すれば補助金や助成金がもらえるのに、知らないからもらえていないケースも山ほどあると思う。その点についてはしっかり調べて、自分たちが追い込まれてしまわないように、どこまでサポートしてくれるのかを探るしかないかな。

----さて、そろそろ時間となりました。次回も、この続きからお願いします。

里崎五十嵐 僕らの世代がこれから直面する問題だから、真剣に考えなくちゃいけないですよね。次回もよろしくお願いします。

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里崎智也

里崎智也さとざき・ともや

1976年5月20日生まれ、徳島県出身。鳴門工(現鳴門渦潮)、帝京大を経て1998年のドラフト2位でロッテに入団。正捕手として2005年のリーグ優勝と日本一、2010年の日本一に導いた。日本代表としても、2006年WBCの優勝に貢献し、2008年の北京五輪に出場。2014年に現役を引退したあとは解説者のほか、YouTubeチャンネルなど幅広く活躍している。
公式YouTubeチャンネル『Satozaki Channel』 

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五十嵐亮太

五十嵐亮太いがらし・りょうた

1979年5月28日生まれ、北海道出身。1997年ドラフト2位でヤクルトに入団し、2004年には当時の日本人最速タイ記録となる158キロもマークするなど、リリーフとして活躍。その後、ニューヨーク・メッツなどMLBでもプレーし、帰国後はソフトバンクに入団。最後は古巣・ヤクルトで日米通算900試合登板を達成し、2020年シーズンをもって引退した。現在はスポーツコメンテーターや解説として活躍している。

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長谷川晶一

長谷川晶一はせがわ・しょういち

1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターとなり、主に野球を中心に活動を続ける。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。主な著書に、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ──石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)、『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)、『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』(KADOKAWA)ほか多数。近刊は『大阪偕星学園キムチ部 素人高校生が漬物で全国制覇した成長の記録』(KADOKAWA)。日本文藝家協会会員。

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