13日、現WBC世界フライ級王者で世界2階級制覇王者の寺地拳四朗(BMB)は、WBA世界フライ級王者ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)と東京・両国国技館で、2団体統一を懸けて対戦する。史上初、2度目の日本人同士による世界王座統一戦になる拳四朗は、いまや日本ボクシング史に残る名王者として評価される存在。ただし、今日に至る道のりは平坦ではなかった。33歳、現役ボクサーとして集大成に向かう心境。そして、かつての騒動についても聞いた。(4回連載/第2回)

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池袋から東武東上線、各駅停車で13分。東武練馬駅の南側、下町情緒溢れる北一商店街を少し歩いた所に、本来は京都にあるBMBボクシングジム所属の拳四朗が、東京で練習拠点とする三迫ジムあった。

三迫ジムは昭和のボクシング人気全盛期、輪島功一はじめ3人の世界チャンピオンを輩出した老舗ジム。令和の現在は洒落たフィットネスジムのような外観で「ハングリーに生きる男の世界」といったイメージとは程遠いが、いまも変わらず明日を夢見る大勢の若者が汗を流していた。

「こんにちは、よろしくお願いします」

大一番を1ヶ月後に控えた練習前にも関わらず、拳四朗は腰を据えたインタビューの申し出を快く引き受けてくれた。

大学卒業後、22歳でプロデビューして3年、プロ10戦目、25歳で世界チャンピオンになった拳四朗。キャリアを積み重ねて33歳になった現在では、日本ボクシング史に残る名ボクサーのひとりと呼ばれる存在だ。そして間もなく、ボクサーとしての経歴をさらに高める大一番に挑む。だからこそ、いまのタイミングで聞いてみたい事があった。

2020年11月、28歳の時に週刊誌で報道され、世間を騒がせてしまった騒動についてだ。

東京・東武練馬駅近くにある三迫ジム。洒落た外観の窓ガラスは選手の熱気で曇っていた 東京・東武練馬駅近くにある三迫ジム。洒落た外観の窓ガラスは選手の熱気で曇っていた 三迫ジムは日本や地域タイトルなど数多くの王者が揃う名門で、かつての阿久井のように、遠方から出稽古に来る有力選手も多い 三迫ジムは日本や地域タイトルなど数多くの王者が揃う名門で、かつての阿久井のように、遠方から出稽古に来る有力選手も多い
■中止になった8度目の防衛戦

「最初に警察から連絡が来た時は、『なんのこっちゃ!?』という受け止め方でした。当時、社会人として決して許されない、あるまじき不祥事を起こしてしまったのですが、連絡が来た最初は自分が何をしたのか理解出来ず、実感がわかないというか......。徐々に事の重大さを理解して『どうしよう』と。ただ反省する一方で、まさか一般の週刊誌で報道されるとは思っていませんでした」

拳四朗は2020年11月26日発売の週刊誌で、「同年7月、飲酒を伴う会食後に酩酊状態となり、自宅と間違えて他人の敷地に立ち入った上、車庫に停めてあった車を破損させた」と報じられた。

被害者とは示談が成立して事件とはならなかったが、翌12月2日、拳四朗陣営から報告を受けた日本ボクシングコミッション(JBC)からも事情聴取を受けた。JBCが設置した倫理委員会で審議された結果、拳四朗には3ヶ月のボクサーライセンス停止と制裁金300万円の処分が課せられた。

さらに6ヶ月以内での48時間以上200時間以内の社会奉仕活動も義務付けられた。

上記の理由により、12月19日に大阪・エディオンアリーナで予定されていたWBC世界ライトフライ級1位、久田哲也(ハラダ)との8度目の防衛戦は中止に追い込まれてしまった。

■誹謗中傷も含めてすべて真摯に受け入れた

「当時は少し街を歩くだけでも、まわりの人たちから白い目で見られているような気がして、家を出る事も怖くなりました。でも家にいて、ふとスマートフォンをいじっているうち、気になってSNSで自分に関係する情報を見て落ち込んだりしていました。すべて自分の責任ですし、自分自身で招いてしまった事態だったんですけどね」

仕事関係の誘いでない限り、拳四朗は普段、夜な夜な飲みに出かけたりはしない。どちらかと言えばインドア派で、自宅で愛猫の面倒をみたり料理に挑戦したりなどして過ごす事の方が好きだった。しかしこの時は、地元関西から上京した気の置けない友人と久しぶりに再会出来た嬉しさもあり、記憶を無くすほど深酒をしてしまった。

本人が振り返る通り、責任はすべて拳四朗にある。どんな理由があるにせよ、不祥事を深酒のせいにする事は出来ない。ただ事実とは異なる内容も含め、過激な言葉での誹謗中傷がSNS上に氾濫した。なかには騒動とは関係ない事、人格否定までするような書き込みも少なくなかった。

世間の反応や事の重大さを実感して落ち込む拳四朗を支え、ボクサーとして再起するまでの道標になってくれたのは、三迫ジムの面々だった。

ボクサーライセンス停止後も変わらず練習場所を提供してくれた三迫貴志会長はじめ、スタッフ、トレーナーそして練習仲間。誰一人として穿(うが)った見方をする事なく、自然体で接してくれた。当時について、拳四朗がボクシングの技術を学ぶだけでなく、人生の師と仰ぐトレーナーの加藤健太はこう話した。

「まわりの近しい者は、本来の礼儀正しい、誰に対しても丁寧に接している拳四朗の事を知っているので、何も変わる事はありませんでした。それは拳四朗自身が積み上げてきた信頼があったからだと思います。

事実関係を聞かされた時、自分自身も『記憶を無くすほど深酒をして、そういう事をしてしまったのは事実かもしれない。でも本来の拳四朗はそんな人間ではない』という思いの方が強かったですね。ただ当時は良い行い、悪い行いに関係なく、自分の行動ひとつがどれだけまわりに影響を及ぼすのか、深く考える事は出来ていなかったように思います。

『何も考えず、のらりくらりと自分勝手に生きていたら、迷惑をかける事もある』と気付かせてくれたという意味では、得難い経験になったはずです。失敗は帳消しには出来ない。でも、もし再出発の機会を与えていただけるのであれば、拳四朗は真摯に制裁や批判、すべて受け入れる事。見守る自分たちはそれを全力で支えていこう、と思いました」

練習中は1分のインターバル以外はひたすら動き回る拳四朗。無尽蔵のスタミナはこうして養われている 練習中は1分のインターバル以外はひたすら動き回る拳四朗。無尽蔵のスタミナはこうして養われている
大学卒業後、22歳でプロデビューした拳四朗はわずか3年、プロ10戦目、25歳で世界チャンピオンになった。

騒動を起こした当時は世界タイトルを7度防衛中で、アメリカのボクシング専門メディア、「Boxing Scene.com」による世界王者の格付けランキング特集、「チャンプ・フォー・チャンプ(CFC)」では、当時WBAスパー&IBF世界バンタム級王者だった井上尚弥が9位に選出された一方、拳四朗は4位という高評価を受けていた。

家族と過ごす京都から都内マンションに引っ越して一人暮らしを始め、試合のたびに通っていた三迫ジムに練習拠点を本格的に移し、目標にする元世界ライトフライ級王者、具志堅用高氏の世界戦連続防衛記録13回の更新を目指し始めた。そんな最中に騒動を起こしてしまった。

防衛を重ねるごとに知名度も上がり、テレビのバラエティーや情報番組のゲストとして呼ばれる機会も増え、さまざまな催し、会食等の機会も増えた。拳四朗は「当時は多少なりとも、天狗になっていたかもしれません。プロになって負けた事もなく、苦労もなかった。いま考えれば恥ずかしい限りですが、『ボクシングさえやっていれば生きていける』『人生余裕だ』と勘違いしていたかもしれません」と話した。

■これは罰ゲームじゃない

拳四朗に、制裁金に加えてJBCから義務付けられた「6ヶ月以内に48時間以上200時間以内の社会奉仕活動」について質問した。すると、

「ネガティブに受け止める事はありませんでした。反省するために課せられたペナルティだったかもしれませんが、『これは罰ゲームじゃない』と思いました。どれも楽しく取り組めました」

と答えた。

小学生の登下校の「見守り隊」、介護施設でのサポート、高齢者福祉施設で畑仕事、地域のゴミ拾い、子供食堂に納める野菜の収穫、神社の清掃など、地元京都を始め、練習拠点のある東京、千葉、神奈川など、さまざまな場所、さまざまな内容の奉仕活動に取り組んだ。時には、父親でもあるBMBボクシングジムの寺地永会長も、一緒にゴミ拾いをして汗を流した。

拳四朗の父、寺地永会長(右)は現役時代、元日本ミドル級&OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者として活躍した 拳四朗の父、寺地永会長(右)は現役時代、元日本ミドル級&OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者として活躍した
1日あたり2時間から7時間、48時間を大幅に上回る時間を費やし2月末まで続けた社会奉仕活動。街が綺麗になれば、自分を知らない誰かからも喜んでもらえる。収穫した野菜を食べた子供たちの笑顔を想像するだけで、嬉しい気持ちになれた。

「ボクシングさえやっていれば生きていける」

「人生余裕だ」

騒動前は思い上がった気持ちを抱いた時期もあったが、それは間違った感覚だと気付かされた。「他にこれ以上、稼げる仕事はないから」という割り切った気持ちで取り組んでいたボクシングに対しても、それまでと違う意識を持つようになった。

「自分が生きた証としてボクシングと向き合い、人生を見つめ直したい」

成功、失敗そして出会い。

すべてはボクシングを通して経験し、仲間も得た。汗を流し、息を上げて無心にサンドバックを叩いている間は、不安に苛(さいな)まれたり落ち込んだりする事もなかった。ボクシングで成功していた事も少なからず、無関係ではない失敗だったが、救ってくれたのもまたボクシングだった。

一時は引退という選択肢もよぎった。しかし、「信頼を取り戻すためにはやはりボクシングを通じてしか出来ない。いまここで辞めてしまえば、お世話になった人、心配をかけた人、迷惑をかけてしまった人たちに、何も返せなくなる」と拳四朗は思った。

ライセンス停止処分が解除された3月1日、本格的に練習再開。世界タイトル8度目の防衛と同時に「人生の再起戦」とも言える試合は、4月24日に決まった。

■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう) 
1992年生まれ、京都府出身、33歳。B.M.Bボクシングジム所属。プロ6戦目で日本王座、8戦目で東洋太平洋王座獲得し、2017年5月、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも直接再戦で奪還。同年11月、WBA世界王者・京口紘人(ワタナベジム)に勝利し世界2団体王者に。昨年10月、フライ級転向初戦でWBC世界王座決定戦に挑み勝利し、2階級世界王者に。13日、史上初めて2度目の、日本人同士による世界王座統一戦に挑む。通算成績25戦24勝(14KO)1敗。

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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