13日、現WBC世界フライ級王者で世界2階級制覇王者の寺地拳四朗(BMB)は、WBA世界フライ級王者ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)と東京・両国国技館で、2団体統一を懸けて対戦する。史上初、2度目の日本人同士による世界王座統一戦になる拳四朗は、いまや日本ボクシング史に残る名王者として評価される存在。ただし、今日に至る道のりは平坦ではなかった。33歳、現役ボクサーとして集大成に向かう心境。そして、かつての騒動についても聞いた。(4回連載/第3回)

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28歳の時、拳四朗は気の置けない地元の友人と久しぶりに再会した嬉しさで深酒をしてしまった。酩酊状態で帰宅中、他人のマンション敷地内に迷い込んだ際、故意に車を傷付けて警察沙汰になり、週刊誌にて報道された。被害者とは示談が成立したものの、JBCからは3ヶ月のボクサーライセンス停止と制裁金300万円の処分を科せられた。

しかし、併せて課せられた社会奉仕活動を3ヶ月間続けるうち、稼げる仕事と割り切って続けてきたボクシングに対しても、「自分が生きた証としてボクシングと向き合い、人生を見つめ直したい」と考えるようになった。

当時の拳四朗について加藤は師と仰ぐトレーナーの加藤はこう話した。

「拳四朗には『反省して生まれ変わるというよりも、深酒で記憶を無くした挙句の失敗とはいえ、『自分の心の中にはそういう一面もある』と言う事を理解して気をつけなければいけない』と伝えました。現役世界チャンピオンという立場で起こした不祥事で『ボクシング界に泥を塗ってしまった』みたいな大きな事は、拳四朗は考えられるタイプではないんです。ただ試合の準備をして下さっていたプロモーターや関係者、お世話になっている人たちに迷惑をかけてしまった事は、相当堪えていたように思います。

何か気になる事があれば未だに説教しますよ。お酒の失敗とは違いますが、気持ちが緩んでいると感じた時は『試合に勝てたからと言って調子に乗るなよ』とか。世界チャンピオンという立場でも、苦言されても素直に受け入れて反省出来る度量がある所、『言えば心に響くだろうな』と思える素直な人柄だからこそ、当時もみなが協力して支えてくれたのだと思います」

試合控室でセコンド陣(左から丸山、横井、加藤トレーナー)とリラックスして談笑する拳四朗。戦術面だけでなく、安心感を与えてくれる存在だ 試合控室でセコンド陣(左から丸山、横井、加藤トレーナー)とリラックスして談笑する拳四朗。戦術面だけでなく、安心感を与えてくれる存在だ

■人生の再起を懸けた戦い

ボクサーライセンス停止処分は2021年3月1日に解除され、一旦は中止になった8度目の防衛戦は4月24日、大阪のエディオンアリーナで開催決定した。相手は中止された時と同じ、WBC世界ライトフライ級1位、久田哲也(ハラダ)だった。

正式に試合が決まってからは気持ちも切り替えて、ボクサーとして生き残り、世界チャンピオンとしてボクシングを続けるために、ひたすら勝利する事だけを考えた。

パンチの精度を高めて攻撃に磨きをかけると同時に距離感も再確認し、「自分の動きを極める」という事をテーマに取り組んだ。かつて久田と日本王座を懸けて対戦経験があり、当時OPBFライトフライ級王者だった堀川謙一や日本ミニマム級王者だった田中教仁。そして、のちにIBF世界ミニマム級王者になる重岡銀次朗(ワタナベジム)と、WBOアジアパシフィックミニマム級タイトルマッチを控える現日本ライトフライ級王者、川満俊輝という三迫ジムのトップボクサーが連日、スパーリング相手を務めてくれた。

拳四朗自身も圧倒的な強さを見せられる事を自身に求めた。

練習でも加藤の指示だけに頼っていた姿勢は一変し、より目的意識を明確に持って取り組むようになった。鬼気迫る様子でスパーリングに取り組む様子を見た三迫貴志会長も、「うちの選手がみんな壊されちゃう」と冗談とも本気ともつかない言い方をしつつ、拳四朗の成長ぶりに感心したそうだ。

開催地の大阪は当時、府内の新型コロナ新規感染者が急増し、緊急事態宣言発令が迫っていた。プロモーターの真正ジム・山下正人会長は2日前の調印式で、「行政の判断に従う方針ではあるが、エディオンアリーナが閉館にならない限り、開催します。せっかくここまで頑張ってきた選手たちの試合を延期するわけにはいかない。『無観客でやりなさい』となれば無観客でもやります」と明言した。

拳四朗にとっては「人生の再起戦」とも言える世界戦はこうして、仲間の協力や関係者の尽力により、どうにか開催出来る運びとなった。

拳四朗の練習を見守る加藤。拳四朗は加藤について「ボクサーとしても人としても、なくてはならない存在」と信頼を置く 拳四朗の練習を見守る加藤。拳四朗は加藤について「ボクサーとしても人としても、なくてはならない存在」と信頼を置く
■勝負の行方を左右した死角からの右ストレート

2021年4月24日、試合当日――。

リングに向かう直前、いつものように「チーム拳四朗」全員で円陣を組んだ際、加藤は気合をいれるようにこう話し、みなを鼓舞した。

「今日はみんなで、感謝を伝える戦いにしよう」とーー。

「技術的な部分はさらに磨きをかけて修正はしましたが、何かを大きく変えたわけではありませんでした。それよりも、『拳四朗が再起出来るチャンスを頂き、戻ってくる事が出来た。それは本当に、いろいろな方の協力で実現出来た。勝利を目指す事だけではなく、チーム全員で感謝を行動で示せるような戦いにしなければ』という思いを強く持ち、リングに向かいました」

試合開始を告げる鐘の音が、大阪・エディオンアリーナいっぱいに鳴り響いた。

初回、1年4ヶ月ぶりの試合で硬さの見られる拳四朗は、生命線とも言える左リードジャブに、いつもの伸びが見られない。スパーリングで三迫ジムの誇るトップボクサー相手に見せた圧倒的な強さ、躍動も感じられず、チーフセコンドの加藤にも拳四朗の緊張が伝わってきた。

2回、動きの硬い拳四朗に対して、挑戦者の久田が積極的に攻勢を仕掛ける。しかし、拳四朗は一瞬の隙を見逃さなかった。1分16秒、互いに左ジャブをヒットさせたのち僅かに先、右ストレートを死角から久田の左頬に叩き込みダウンを奪った。

見事なタイミングで決めた死角からの右ストレート。

拳四朗に質問しても「自然と身体が反応しただけで、まったく覚えていない」と答えた。しかし、加藤はいまも、勝負の流れを決める鍵になった拳四朗の右ストレートについて、鮮明に記憶していた。

「早い段階でダウンを奪えた事は幸運でした。セコンドに付いた自分自身も、だいぶ楽な気持ちになれたというか。初回、拳四朗が緊張している様子を見て、どちらに勝負の流れが行くかわからないな、と思っていた時、一気に引き寄せる事が出来た。それは大きかったですね」

加藤とミット打ちをする拳四朗。加藤は単にパンチを受けるだけでなく、細かな距離と動きを確認してミットを構える 加藤とミット打ちをする拳四朗。加藤は単にパンチを受けるだけでなく、細かな距離と動きを確認してミットを構える

■「最後の世界挑戦」に執念を燃やした久田

本来の動きを取り戻した拳四朗は、以降は終始ペースを握り続けた。

久田も休まず手数を増やして積極的に攻めて試合にかける闘志を見せるが、技術に勝る拳四朗は的確にパンチを当て続けた。

4回終了時点の公開採点は、「40-35で拳四朗優勢」と見るジャッジがひとり。「38-37で拳四朗が1ポイント優勢」という接戦と見たジャッジがふたり。しかし1ポイント差という接戦と見たふたりの採点以上に、試合の流れは明らかに拳四朗に傾いていた。

公開採点を聞いて「印象よりも差は開いていない」と知った拳四朗陣営は、より積極的に攻撃を仕掛け始めた。

槍で突き刺すような左リードジャブをあらゆる角度や距離から仕掛けて試合を支配。8回終了時点の公開採点は、「79-72で拳四朗優勢」と見たジャッジがひとり。「78-73で拳四朗優勢」と見たジャッジがふたり。4回終了時点では接戦と見て久田にポイントを与えたジャッジふたりも、5回から8回まではすべて拳四朗にポイントを与えた。

判定勝利は厳しくなった久田は、右のオーバーハンドなど一発逆転を狙う。拳四朗は冷静に対応し、練習で取り組んだ「自分の動きを極める」を実践するかのごとく距離を支配し、練習を積み重ねて精度を高めたパンチを次々とクリーンヒットさせた。

攻撃を仕掛けてくればバックステップでかわし、そこからカウンター攻撃。縦だけでなく横にも動いて自分の距離を保ち、11回には右、左、右という1、2、3のストレートをすべてヒットさせ、久田の上体を仰け反らせた。

迎えた最終12回――。

両鼻から鮮血が滴り落ちる久田はそれでも諦めず、開始と同時にワンツーを打ちながら飛び込み、残された力をすべて振り絞るようにして攻めてきた。

被弾しても前進を止めない久田。残り20秒を切ってもなお勝負に対する執念を見せ、拳四朗の倍以上パンチを打ち続ける。拳四朗と同じように、久田もまた「最後の世界挑戦」とボクサー人生を懸けてリングに上がっていたのだ。

8度目の防衛戦は拳四朗(右)にとって1年4ヶ月ぶりの試合に。2回、死角からの右ストレートで久田からダウンを奪い、以降は試合の主導権を握った(産経新聞社提供) 8度目の防衛戦は拳四朗(右)にとって1年4ヶ月ぶりの試合に。2回、死角からの右ストレートで久田からダウンを奪い、以降は試合の主導権を握った(産経新聞社提供)

■消えた勝利後のダブルピース

両者激しく打ち合う中で鳴った試合終了を告げる鐘の音――。

死力を尽くした両雄に、コロナ禍で声を出す事を禁じられていた無言の観客からは、感動を惜しみなく伝える大きな拍手が延々と贈られ続けた。それぞれ自陣コーナーでグローブを外し、判定結果を聞くためふたたびリング中央に戻ると、互いに「ありがとうございました」と健闘を称え合い握手を交わした。

試合は3対0(119-108/118-109×2)で拳四朗が勝利し、8度目の防衛に成功した。

勝利後はダブルピースのパフォーマンスで喜びを表現する事が恒例だったが、この日は違った。勝利を告げられ右腕を掲げられても、小さく左手でガッツポーズをして安堵の表情を浮かべただけ。当時について拳四朗に聞くと「(ダブルピースをしなかった事については)意識はしていませんでした。とにかく必死で戦い、喜びよりも『どうにか生き残る事が出来た』という思いのほうが大きかったからだと思います」と振り返った。

「ありがとうございます......。自分の不祥事で本当にたくさんの方にご迷惑をおかけしてしまいました。嬉しいです。来てくれた方、ありがとうございます。こんな僕でも応援してくれたら嬉しいです。本当にありがとうございます。変わらず応援してくれた方がたくさんいた。ボクシングを続けられて本当に幸せだと思います。これから恩返しできればと思います。これからもっと頑張って行くので、また応援してくれたら幸せです。これからはもっとチャンピオンらしく、もっと強く、まだまだ強くなれると思うので、もっとボクシングを大好きになって、強い姿を見せて行きます」

リング上の勝利者インタビューで感謝の気持ちを言葉でも伝えた拳四朗は、涙で顔をくしゃくしゃにした。

敗れた久田は試合後、控室での囲み取材で「世界タイトルが取れなかったので悔いがないとは言えないが、やり切った。引退します」と答え、デビューから47戦目、18年間戦い続けたリングに別れを告げた。

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騒動を乗り越えて復帰した久田戦を経験してからの拳四朗について、加藤はこう話した。

「おそらく本人は意識していないと思いますが、試合だけでなく、普段の行動にもまわりに対する感謝の思いが感じられるようになりました。どちらかといえば不器用で、言葉で気持ちを表現する事は苦手です。でも、心の中ではしっかりと理解して取り組むようになったと思います」

拳四朗は久田戦以降、試合の勝利インタビューでダブルピースはしなくなった。そのかわり、「まずは僕のチームに拍手をお願いします」など、仲間に対する感謝を言葉で伝えるようになった。

久田戦から5ヶ月後、拳四朗はボクサーとしてさらなる試練と向き合う。2021年9月22日、9度目の防衛戦となった矢吹正道(緑)との試合でまさかの王座陥落(10回TKO負け)。相手のバッティングで負傷するなど物議を醸した試合で、デビュー以来の無敗記録と同時に、目指していた具志堅用高氏の世界戦連続防衛記録、13回の更新も遠のいた。しかし、それも乗り越えて世界2階級王者になり、まもなく2度目の世界王座統一戦に挑む。

28歳の時に失態を演じてしまった拳四朗は、33歳になった現在は日本ボクシング史に残る世界王者になり、同じボクサーからも尊敬される存在になった。そんなボクサーの一人が、「拳四朗さんは自分のボクサー人生にとって、ラスボスのような存在」と話した世界王座統一戦の相手、ユーリ阿久井政悟だった。

昨年11月、倉敷守安ジムまで取材に伺った際、阿久井は拳四朗について「尊敬する相手だからこそ思い切り殴れる。でも試合が終われば恨みっこなし。自分はそう考えています」と話した。

拳四朗にそれを伝えると「そう思ってもらえる事は嬉しいですね。後悔しないように、正々堂々と戦いましょう」と答え、健闘を誓い合った。

4度のスパーリングは「いずれも拳四朗が圧倒していた」と言われ、阿久井自身も「コテンパンにやられました」と話した。拳四朗自身も阿久井について「ガードは堅いし、安定していてぶれない。崩すまでに時間のかかる選手」と評価しつつ、「やりにくさは感じません。当日までにしっかり自信をつけて挑みたい」と勝利に自信を深めていた。しかし、ボクサーとしての拳四朗と誰よりも長く過ごし、誰よりも理解している加藤は、一抹の不安を覚えていた。

■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう) 
1992年生まれ、京都府出身、33歳。B.M.Bボクシングジム所属。プロ6戦目で日本王座、8戦目で東洋太平洋王座獲得し、2017年5月、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも直接再戦で奪還。同年11月、WBA世界王者・京口紘人(ワタナベジム)に勝利し世界2団体王者に。昨年10月、フライ級転向初戦でWBC世界王座決定戦に挑み勝利し、2階級世界王者に。13日、史上初めて2度目の、日本人同士による世界王座統一戦に挑む。通算成績25戦24勝(14KO)1敗。

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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