明日、WBA世界フライ級王者、ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)と東京・両国国技館で2団体王座統一を懸けて対戦する、WBC世界フライ級王者、寺地拳四朗(BMB)。史上初、2度目の日本人同士による世界王座統一戦となる拳四朗は、いまや日本ボクシング史に残る名王者として評価される存在だ。ただし、今日に至る道のりは平坦ではなかった。33歳、現役ボクサーとして集大成に向かう心境。そして、かつての騒動についても取材した。(4回連載/最終回)

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「拳四朗さんは自分のボクサー人生にとって、ラスボスのような存在」

そう話す阿久井は、拳四朗とスパーリングで拳を交える事で成長のきっかけを掴んだ。そんな阿久井について、拳四朗は「ガードは堅いし、安定していてぶれない。崩すまでに時間のかかる選手」と評価しつつ、「やりにくさは感じません。当日までにしっかり自信をつけて挑みたい」と答えて勝利に自信を深めていた。しかし、ボクサーとしての拳四朗と誰よりも長く過ごし、人柄も含めて誰よりも理解している加藤は、一抹の不安を覚えていた。

■「プラスアルファの強み」を準備したい

「拳四朗の特徴、戦い方を知られている事が一番気になっています。過去にそういう対戦相手はいませんでした。今回と同じように、日本人同士で世界王座統一を懸けて対戦(2022年11月1日)した京口選手は、『こんなにテンポが良いのか』とか『ジャブはこんなに力強いのか』といったような、拳四朗に対して映像で分析しただけでは把握出来ない、意外性や想定外の感覚があったと思います。

でもユーリ(阿久井)選手には、拳四朗の戦い方だけでなく、意外性や想定外の感覚まで知られてしまっています。もちろんお互い同じ条件ではありますが、それはすごく嫌なポイントです。なので、知り尽くされている事を前提に『プラスアルファの強み』を準備したいと考えています」

2022年11月1日、WBC・WBA世界ライトフライ級王座統一を懸けて京口紘人(右)と対戦し、7回TKO勝利した拳四朗。会場のさいたまスーパーアリーナには、11,500人のファンが詰めかけた(産経新聞社) 2022年11月1日、WBC・WBA世界ライトフライ級王座統一を懸けて京口紘人(右)と対戦し、7回TKO勝利した拳四朗。会場のさいたまスーパーアリーナには、11,500人のファンが詰めかけた(産経新聞社)
過去4度、スパーリングで拳を交えた拳四朗と阿久井――。

連載初回で紹介したように、最初は2019年4月。当時拳四朗はWBC世界ライトフライ級王座を5度防衛中で、対する阿久井は日本フライ級4位。阿久井はこの時から数えて半年前、WBA世界フライ級11位のジェイセバー・アブシード(フィリピン)に挑戦するも、初回に右肘を負傷するアクシデントも影響して最終回TKO負け。その再起戦の直前、三迫ジムに出稽古に行った時だ。

2度目は2021年7月の桑原拓(大橋)戦前で、3度目は2022年2月の粉川拓也(角海老宝石)戦前。そして2024年1月23日、当時22戦無敗でフライ級の絶対王者と呼ばれていたWBA世界フライ級王者、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)相手に世界初挑戦する1ヶ月前だった。

初スパーリング時、加藤は阿久井の潜在能力を感じる一方、精神的な不安定さも感じたそうだ。翌2020年10月、三迫ジム所属で加藤担当の日本フライ級1位藤北誠也が、阿久井の持つ日本フライ級王座に挑戦した。

当時加藤は、拳四朗とのスパーリングで感じた精神的な不安定さから攻略出来ると自信を持っていたそうだが、結果は阿久井が大差の判定勝利で初防衛に成功。阿久井は1年数ヶ月で想像を超える成長を遂げていた。

2度目のスパーリング時は精神的な逞しさはさらに増し、技術面も含めてボクサーとして急成長を遂げていた。加藤はこの頃から拳四朗と「ユーリ選手はいずれ世界を獲るだろうね」と話していた。

3度目のスパーリング時は拳四朗が王座奪還を目指し、矢吹正道と2度目の対戦をする1ヶ月前。フットワークを駆使したアウトボクシングだけでなく、積極的に打ち合って倒せるスタイルも身に付けようとモデルチェンジを目指している最中だった。

倉敷守安ジムで練習するユーリ阿久井。破壊力あるパンチでサンドバッグを大きく揺らした 倉敷守安ジムで練習するユーリ阿久井。破壊力あるパンチでサンドバッグを大きく揺らした
昨年11月に倉敷守安ジムで取材した際、阿久井は当時について

「2度目のスパーリングをした時、『少しは差も縮まったかな』と思いました。でも矢吹さんと再戦する直前にスパーリングをしたら、ファイターにモデルチェンジしていて、さらに強くなっていました。『あのスタイルで勝負したら絶対勝つだろうな』と思っていたら、マジでそれをやって矢吹さんを倒した。あの試合はすごかったですよね」

と答えた。

一方、当時について加藤は加藤で

「拳四朗のフィジカルに負けずに打ち返してきてくれる相手はユーリ選手だけでした。もの凄く良い練習になった事を覚えています」

と阿久井の成長を実感していた。阿久井がダラキアンに勝利して世界チャンピオンになる前、4度目のスパーリングは拳四朗も世界戦前でコンディションが仕上がっていた。そのため互いに積極的に攻撃を仕掛け合い、試合さながらの見応えある内容だったそうだ。

昨年11月に倉敷守安ジムで取材した際、「尊敬する相手だからこそ思い切り殴れる。でも試合が終われば恨みっこなし。自分はそう考えています」と話した阿久井の言葉を伝えると、拳四朗は「ユーリ選手からそう思ってもらえる事は嬉しいですね。後悔しないように、正々堂々と戦いましょう」と答えた。

当時はまだ両者の対戦は決定しておらず、阿久井も「2、3試合した後になるのではないか。新米の世界チャンピオンなので、もう少し自分自身の価値を高めてから戦いたいですね」と話した。しかし1月27日、都内ホテルで開催された試合開催発表の後、記者会見場から出た所で阿久井に声をかけると、拳四朗との対戦について淡々とした表情でこう話した。

「お互い全力で戦うだけで、特別伝えたい言葉はありません。実績には差があるので、自分が勝てば『大金星』と言われるかもしれません。でも、初めて追い越せるチャンスが来た。おそらく我慢比べの戦いになる。消耗戦か、技術戦か、それなりに準備はしています」とーー。

鏡に映る自分と会話をするようにシャドーを繰り返すユーリ阿久井。周囲は張り詰めた空気が漂っていた 鏡に映る自分と会話をするようにシャドーを繰り返すユーリ阿久井。周囲は張り詰めた空気が漂っていた
午後6時30分――。

拳四朗はインタビューを終えるとすぐに着替えを済ませて練習を始めた。

両拳にバンテージを巻くといつものように準備体操をして体をほぐし、軽くシャドーを繰り返す。少しして、他の練習生の邪魔にならないようリング脇にある僅かなスペースにフロアマットを敷いて滑らないようにしたのち、短棒を両手に持った加藤相手に、距離や攻撃、防御の確認、修正するためのトレーニングを始めた。

阿久井戦に向けて、加藤は拳四朗の「プラスアルファの強み」を模索し、スパーリングを中心とした実戦練習で対策を練っていた。

「スパーリング相手は、距離で攻撃を外すタイプというよりも、ガードを堅めて押し上げるタイプを多く選んでいます。あとは動き方の確認。例えば、前回のロサレス戦で良いと思えた動き方が、ユーリ選手相手だと良くなかったりもします。その逆もあったりするので、そのあたりの擦り合わせ。どのパターンが当てはまるかの確認作業を、スパーリングを通して繰り返しています。ユーリ選手が好きに動ける展開にしない事が、勝負のポイントになると考えています」

何ラウンドかこなすとヘッドギアを付けてスパーリング開始。

取材に伺ったこの日は、階級が上の三迫ジムの若手相手にしていた。1月末にはWBA世界バンタム級王者、堤聖也(角海老宝石)と試合を控えた元WBC世界フライ級王者、比嘉大吾(志成)とも拳を交えた。

取材同日のスパーリング。拳四朗は若手相手とはいえ、左リードジャブを軸にライトフライ級時代と変わらない軽快なステップと小気味良い出入りで翻弄し、ここぞ、という場面では強烈な右ストレートやアッパーを叩き込んでいた。

フライ級転向を決めてから1年足らず。しかも次の阿久井戦が2戦目。しかし素人目にも、減量苦から多少なりとも解放された事で、スピードは落とさずパンチの威力が増した事が感じ取れた。
阿久井戦に向けてスパーリングで調整する拳四朗。三迫ジムの若手相手にタイミング良く次々とパンチを叩き込んだ 阿久井戦に向けてスパーリングで調整する拳四朗。三迫ジムの若手相手にタイミング良く次々とパンチを叩き込んだ

■拳四朗の魅力は誰に対しても偉ぶらない人柄

阿久井は中学2年で倉敷守安ジムに入門した当時から、自分自身で練習内容や試合の作戦を考えて取り組んできた。守安竜也会長も、阿久井のそうした性分を理解し、自分から質問して来ない限りは特に指導やアドバイスはせず、黙って見守っていた。

普段は誰よりも優しい夫であり、ふたりの娘をこよなく愛する良き父親。初めての取材にも丁寧に応じ、紳士的な対応が印象的だった。しかし、練習中は誰も寄せ付けないような雰囲気を全身から発していた。

無駄な会話は一切なく自分の世界に入り込んで黙々と練習する様は、山に籠り剣術の鍛錬を積み重ねる野武士を連想させた。

孤高のボクサー。

阿久井にはそんな表現が当てはまる気がした。試合のたびに上京して繰り返した出稽古は、最初の頃は費用を少しでも節約するために深夜バスを利用していたそうだ。

前回ロサレス戦の試合直前の控室。加藤と最終調整する拳四朗を三迫ジムの選手全員で囲んで見守った 前回ロサレス戦の試合直前の控室。加藤と最終調整する拳四朗を三迫ジムの選手全員で囲んで見守った
地方ジムのハンデを克服して世界チャンピオンまで上り詰める事が出来た理由は、プロデビュー前からボクシング、自分自身と向き合い、苦労を厭(いと)わず地道な努力を積み重ねてきたからに他ならない。

では、拳四朗の強みは何か。それはチームで戦う「一丸力」ではないか。

三迫ジムで練習を見ていてもそんな強みは伝わってきた。2年前の2023年9月、ヘッキー・ブドラー(南アフリカ)相手にWBAスーパー・WBC世界ライトフライ級の防衛戦に臨む直前、初めて三迫ジムで取材した際、こんな景色を見て新鮮な驚きを覚えた。

サンドバックの打ち込み練習ではプロアマ関係なくペアを組み交代しながら行なう。世界戦を控えた拳四朗も一緒にこなし、自分がインターバルの合間は「あと少し!」「頑張って!」と他の選手や会員を鼓舞した。

「ボクシングは一人黙々と練習する個人競技」というイメージが強かったが、三迫ジムの練習は、ひとつの成果を目指す団体競技に取り組むような雰囲気がした。

■まわりを大切にできるボクサーには、「選手のために」という気持ちの人が集まる

「普通に一般会員さんとマス(『マス・ボクシング』当てずに軽くパンチを出し合うスパーリング)とかしますもん。むしろ『練習一緒にやってくれてありがとう』って感じです。やって欲しいくらい。(追い込むような練習は)ひとりじゃできないですよね、ひとりは寂しいじゃないですか(笑)」

と拳四朗。加藤は

「世界チャンピオンでも偉ぶらない人柄。それが拳四朗の魅力です。もし人柄が良くなければ、相手が世界チャンピオンでも、別のジムの選手にリングを気持ちよく譲りたいとは思えませんよね」

と話した。試合では毎回、控室でセコンド陣だけでなく応援に来た選手やスタッフ全員でスクラムを組み、大きな掛け声をかけてからリングに向かう。それが「チーム拳四朗」のスタイルだ。

ボクサーは、リングの中では一人で戦わなければならない。しかし、試合当日を迎えるまでにはさまざまな協力に支えられ、試合開始の鐘の音が鳴ってからも、セコンドからの指示、観客席から届く声援に励まされて戦う。加藤はこう話す。

「自分のことしか考えられない人のまわりには、自分の利益ばかり優先するような人ばかり集まる。ボクシングの世界も同じです。まわりを大切にできるボクサーには、やっぱり『選手のために』という気持ちの人が集まり、それが大きな力になります。トレーナーも、自分のことしか考えられないような選手のためにミットを構えたいとは思えません。ピンチの時、背中を押すような掛け声もできないと思います」

地方ジムのハンデを自らの拳で打ち砕いて世界チャンピオンにまで上り詰めた孤高のボクサー、ユーリ阿久井政悟。

迎え撃つ拳四朗は「これからのボクサー人生は、防衛回数やタイトルという数字の記録を残す以上に、みなが感動できる試合を見せる事で恩返ししたい」と話した。

人生は決して楽ではない。苦労も多ければ、時に大きな失敗をする時もある。それでも、人生はそんなに悪いものではない。いまはそう思えるようになったという。

明日もチーム一丸。拳四朗は心に感謝の気持ちを抱いて、通算17度目の世界戦、2階級目の世界王座統一を懸けてリングに向かう。

■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう) 
1992年生まれ、京都府出身、33歳。B.M.Bボクシングジム所属。プロ6戦目で日本王座、8戦目で東洋太平洋王座獲得し、2017年5月、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも直接再戦で奪還。同年11月、WBA世界王者・京口紘人(ワタナベジム)に勝利し世界2団体王者に。昨年10月、フライ級転向初戦でWBC世界王座決定戦に挑み勝利し、2階級世界王者に。13日、史上初めて2度目の、日本人同士による世界王座統一戦に挑む。通算成績25戦24勝(14KO)1敗。

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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