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「スポーツと政治は切り離すべきだ」。そんな言葉を、私たちはこれまで幾度となく耳にしてきました。前回のコラムでも書いたように、私自身も長らくその考えを疑うことはありませんでした。しかし現実には、東京オリンピックの開催可否や自治体の予算配分、学校現場での部活動政策まで、スポーツは常に政治や社会の動きと交差しています。今回はその関係性を、もう少し大きな視点で見つめ直してみたいと思います。

なぜ「スポーツと政治を切り離すべきだ」と言われるようになったのか。その背景には、スポーツが政治に「利用された」歴史があります。1936年のベルリン五輪では、ナチス政権が大会をプロパガンダに活用。冷戦時代には米ソのボイコット合戦が繰り広げられ、アスリートたちは国家間の駆け引きに巻き込まれました。

日本も例外ではありません。1980年のモスクワ五輪、日本は政治的判断で参加を見送りました。そのとき男子柔道の代表候補だった山下泰裕さん(現JOC会長)が、涙ながらに五輪への思いを語った記者会見の映像を、私は後にオリンピックを志すようになってから目にしました。子どもながらに、「こんなことがあってはいけない」と強く思ったのを覚えています。4年に一度の舞台にすべてを懸けてきたアスリートにとって、あまりにも残酷な出来事だと感じました。

スポーツの本質は、国家やイデオロギーのためではなく、個人の努力と挑戦にあります。その純粋性を守るためにこそ、政治的中立性は重視されてきたのです。しかしその「中立性」が、時にアスリートの「表現の自由」を制限してしまう場面もありました。

1968年メキシコ五輪では、黒人差別に抗議したアメリカの選手が表彰台で拳を掲げましたが、当時は厳しく処分されました。今ではその勇気と意味が再評価されています。スポーツが社会とつながる存在である以上、アスリートが声を上げることは決して「政治的な利用」ではなく、時に「人として当然の意思表示」でもあります。

こうした背景のもと、IOCは2023年にオリンピック憲章の「規則40」を改正しました。

「すべての競技者、チームスタッフは、オリンピックの価値とオリンピズムの根本原則を踏まえ、IOC理事会のガイドラインに従い、表現の自由を享受できるものとする」

これは、スポーツが国家に利用されないこと、そしてアスリートの尊厳と自由が保障されることの両立を目指す大きな方針転換です。

IOCは2023年にオリンピック憲章の「規則40」を改正。「すべての競技者、チームスタッフは、オリンピックの価値とオリンピズムの根本原則を踏まえ、IOC理事会のガイドラインに従い、表現の自由を享受できるものとする」とした。写真は昨年のパリ五輪取材時のもの IOCは2023年にオリンピック憲章の「規則40」を改正。「すべての競技者、チームスタッフは、オリンピックの価値とオリンピズムの根本原則を踏まえ、IOC理事会のガイドラインに従い、表現の自由を享受できるものとする」とした。写真は昨年のパリ五輪取材時のもの
一方で、政治的・宗教的・人種的な宣伝や、競技会場・表彰式などでの混乱を招くようなパフォーマンスは禁止されています。表現は自由であると同時に、他者への敬意や場の秩序と調和も求められるという、成熟したバランス感覚が必要になっています。

さらに、この新たな憲章の運用において示唆的だったのは、「アスリートの意思表明のあり方が、その国のオリンピック委員会(NOC)や国際競技団体(IF)の民主主義の度合いを映す」と明記されていた点です。つまり、声を上げられる環境が整っているかどうかは、スポーツ組織や社会の成熟度のバロメーターでもあるのです。

また、アスリートの社会的な意思表示は、その人の価値を高める要素にもなり得るとされ、近年はコンプライアンスや多様性を重視するスポンサー企業にとっても、信頼につながる重要な判断材料になっています。

こうした動きは、単に「発言が許されるようになった」だけでなく、「発言するアスリートを育てていくこと」そのものが、これからのスポーツ界に必要とされる視点になっていることを意味しているのではないでしょうか。

日本国内はどうでしょうか。日本ではまだ「アスリートは政治的な発言をするべきではない」という空気感が残っています。これは世間からの圧力だけでなく、アスリート自身が「発言しないほうが無難だ」と感じていることも背景にあるように思います。SNSでの炎上を恐れたり、誰かを不快にさせたりすることへの気遣いから、黙っているほうが安全だと感じてしまう。

しかし、その"無難でいる"という選択は、裏を返せば意思表示を避けているということでもあり、本来アスリートが持っているはずの社会に対する視点や思いが、伝わらないままになってしまいます。前回のコラムでも触れたように、アスリートも社会の一員です。教育、健康、地方創生、防災――スポーツが貢献できる領域は広がっています。その中でアスリートがどんな価値観を持ち、どんな社会を望むのか。その意思を表明することは、民主主義社会において当然の権利であり、責任でもあると思います。

私は、政治家を志すアスリートが増えていくことは、社会とスポーツの距離を縮めるうえで重要なことだとも考えています。自らの競技で得た経験を、制度や政策に反映させようとする試みは、スポーツが社会に価値を還元するひとつの形です。一方で、社会を動かす一員として、現状に関心を持ち、自分の言葉で意思表示できるアスリートが増えていくことは、さらに重要です。

スポーツは社会を構成する一要素であり、同時に社会の縮図でもあります。そこには多様な価値観、利害、課題が存在し、それを乗り越えながら前進していく点において、まさに社会そのものです。ここで大切なのは、アスリートが「スポーツだけやっていればいい」という考えから抜け出すことです。

人として、社会の課題や歴史、価値観の違いについて学び、自分の頭で考える姿勢を持つこと。そうした日々の学びと向き合いがあってこそ、発する言葉の深みや、行動の質も高まっていくのだと思います。

切り離すべきは「政治」ではなく「利用」。そして、守るべきは「自由」と「声を上げられる環境」。スポーツと社会のより良い関係を築くために、アスリート自身がその在り方を問い続けていくことが、これからますます求められていくのではないでしょうか。

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松田丈志

松田丈志Takeshi MATSUDA

宮崎県延岡市出身。1984年6月23日生まれ。4歳で水泳を始め、久世由美子コーチ指導のもと実力を伸ばし、長きにわたり競泳日本代表として活躍。数多くの世界大会でメダルを獲得した。五輪には2004年アテネ大会より4大会連続出場し、4つのメダルを獲得。12年ロンドン大会では競泳日本代表チームのキャプテンを務め、出場した400mメドレーリレー後の「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」の言葉がその年の新語・流行語大賞のトップテンにもノミネートされた。32歳で出場した16年リオデジャネイロ大会では、日本競泳界最年長でのオリンピック出場・メダル獲得の記録をつくった。同年の国体を最後に28年の競技生活を引退。現在はスポーツの普及・発展に向けた活動を中心に、スポーツジャーナリストとしても活躍中。主な役職に日本水泳連盟アスリート委員、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)アスリート委員、JOC理事・アスリート委員長、日本サーフィン連盟理事など

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