故郷の茨城県常陸太田市で「一日警察署長」を務めた和田良覚レフェリー 故郷の茨城県常陸太田市で「一日警察署長」を務めた和田良覚レフェリー

連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第43回 

立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。UWF系から本格的なMMAに発展したパンクラス。これらはすべて1993年にスタートした。後の爆発的なブームへとつながるこの時代、格闘技界では何が起きていたのか――。

前回につづき、30年以上にわたりさまざまな格闘技イベントでレフェリーを務め、トレーナーとしても多くの選手に慕われる、和田良覚(わだ・りょうがく)氏をフィーチャー。筋骨隆々な肉体で、自身がMMAの試合に出た経験もある〝最強レフェリー〟の濃厚すぎる人生に迫る!(前回記事はこちら)

■故郷で「一日警察署長」の大役

去る4月10日、和田良覚は一世一代の晴れ舞台というべき大役を担っていた。

「春の全国交通安全運動」において地元茨城県常陸太田市の「一日警察署長」を拝命し、道の駅の特設ステージでトークショーを行なったのだ。

「和田君、頑張って!」

ギャラリーの中には、小・中・高時代に和田と教室で机を並べていたという同級生も大勢集まっていた。声の主は女性の同級生からだった。地下格闘技イベントの大乱闘を身を挺(てい)して止める屈強な和田も、地元に帰れば「君づけ」で呼ばれるひとりの同級生に戻る。ご高齢者もたくさん集まっており、次々と記念写真をせがまれる和田は、シルバー界のアイドルのように映った。

同級生ら地元の人たちに囲まれ笑顔の和田一日署長 同級生ら地元の人たちに囲まれ笑顔の和田一日署長

もっともトークのほうは慣れていないせいか、それとも知っている顔が多々いる前で恥ずかしがってしまったのか、和田は「ええと」「あの......」としどろもどろになる場面も。東京ドームやさいたまスーパーアリーナで何万人もの大観衆の前でレフェリーを務めても全く緊張しないというのに。

しかし、それも実直を絵に書いたような人生を送る和田らしさなのかなと思った。

和田を育てた父・保さんは茨城県で高校の校長を歴任する教育者だった。和田は言う。

「大正生まれの厳格で、それはそれは怖い、カミナリ親父でした。第二次世界大戦時にはニューギニア戦線で戦っていました。途中で腕を撃たれ、傷痍(しょうい)軍人として日本に帰還したんです。骨が見えるほどの重傷で、出血してウジがわいている傷をヨードチンキでグリグリ消毒され、あまりの痛さに暴れだすと5~6人がかりで抑えつけられ、激痛に耐えきれず失神したそうです。

そのままジャングルの中で戦っていたら、間違いなく戦死していたでしょうね。撃たれた瞬間、首にぶら下げていた成田山のお守りが真っ二つに割れたそうです。身代わりになってくださって感謝をしたと言っておりました」

戦争中のケガが原因で保さんは障害者手帳を持っていたという。

「僕はずっと父から戦争の話を聞いて育ちました。家族のため、お国のために、尊い命を落とされた多くの方々のおかげで、今の平和な世の中があるのだと思います。その人達の遺志を継いで、今の世の中を守っていただいているのが、まさに警察官、自衛官、消防士の方々だと思っているので、ぼくはその人達への尊敬の念が人一倍強いんです」

父親の保さんと(和田氏提供) 父親の保さんと(和田氏提供)

保さんの教えを受け、常陸太田の野山を駆け回って育った和田の将来の夢は、プロスポーツ選手か、体育教師か、刑事になることだった。だから、一日警察署長のオファーが舞い込んだときには素直に喜んだ。「幼少の頃から強い者への憧れがひじょうに強かったので、言葉にならないほど感動しました」。

体育教師になるという夢も、フィジカルトレーナーという職業に就くことで成就したと思っている。「それこそ、レフェリーより早く始めていますからね。トレーナーはもう39年くらいやり続けています」。

プロスポーツ選手になるという夢も、二度MMAファイターとしてリングに上がったことで実現させている。2002年3月30日に覆面レスラーのアステカと、同年6月9日にMAX宮沢と闘っているのだ。結果はアステカにKO勝ち、宮沢にはKO負けを喫した。

ファイターとしてリングに上がり勝利した和田。このとき39才。173cm、90kg、体脂肪10%とバキバキに仕上がっていた ファイターとしてリングに上がり勝利した和田。このとき39才。173cm、90kg、体脂肪10%とバキバキに仕上がっていた

舞台はいずれもDEEPだったが、その件に触れると和田は「やめてください」と話をさえぎった。「あれはしょっぱかった。やっぱり練習と本番は違うことを痛感しました」。

それにしても、なぜファイターとしてリングに上がったのか?

「あれはね、お金がなかったということもあったんですよ。当時生活が苦しかったので、ファイトマネーが出るということでやることにしたんです。試合を組んでくれた恩義があるので、(DEEPを運営する)佐伯繁さんには頭が上がらない。あのときは闘うだけで1~2ヵ月食べることができましたからね。前田日明さん、髙田延彦さん、そして佐伯さん。食えないときに使ってくれた人への恩義は一生忘れないですよ」

アステカに勝利した直後、和田は自分の息子・武尊(たける)さんと、桜庭和志の息子をリングに招き入れた。人に歴史あり。武尊さんは現在父の足跡を追うかのようにトレーナーの修行中。桜庭の息子は現在RIZINで活躍中の大世(たいせい)だ。

試合に勝利し、自身の息子・武尊さん(左)と、桜庭和志の息子・大世(右)をリング上で抱きあげる 試合に勝利し、自身の息子・武尊さん(左)と、桜庭和志の息子・大世(右)をリング上で抱きあげる 現在の和田親子、桜庭親子の4ショット(和田氏提供) 現在の和田親子、桜庭親子の4ショット(和田氏提供)

■幕内力士も驚いた和田の強さ

和田にとってファイターとしての活動は苦い思い出のようだが、実戦を経験することでレフェリー、トレーナーとして得られたものも大きかったはずだ。

90年代初頭、和田がレフェリーとして第一歩を踏み出したUWFインターナショナルは、時代を先取りするようにレスリング、キックボクシングなど分野別にコーチを雇っていた。選手たちと同じ練習を積んでいたおかげで、和田はそれぞれの専門分野の基礎をしっかりと身体に叩き込んだ。

トレーナーとして和田は、大相撲で西前頭5枚目まで昇進した小兵力士の石浦を指導したこともある。石浦とは一度相撲をとったこともあるが、本職の力士が和田の強さに驚いたという。

「変な話、十両並みに強いと褒められました(微笑)。『なぜ相撲の差しができるの?』と驚かれもしましたね。いろいろやっていて本当によかったと思いました」

トレーナーとして指導した元幕内力士、石浦の断髪式に参加(和田氏提供) トレーナーとして指導した元幕内力士、石浦の断髪式に参加(和田氏提供)

トレーナーをやっていることで、もうひとつの仕事であるレフェリーに活かされる能力もある。

「トレーナーって、指導している相手のフォームや重心・バランスなどの身体の使い方をチェックしながら、『もうこのあたりが限界かな?』とかいろいろ先読みをするんですよ。レフェリーも一緒で、劣勢の選手にもう反撃する力が残っていなくて、相手の攻撃が効いている状態なら続行は危ないと判断し、必要最小限のダメージで済むようにストップをかけるようにします」

他人より優れている点をひとつ挙げるとすれば何か?と和田に問うと、「洞察力ですね」と即答した。それはレフェリー、トレーナーに加え、以前も本連載で触れた「用心棒稼業」でも養われた。

「2011年から約2年間、ソフトバンクグループ社長の孫正義さんのボディーガードを務めていました。セキュリティ課の元警視庁の敏腕刑事だった上司に、『最後は身を挺して護るように』と口酸っぱく言われていたので、常に周りの動きを観察することに専念していましたね。孫社長と日本の政治家、各国要人の方々の会合では、警視庁のSPの方々と要人警護のお仕事をご一緒することも幾度となくありました。

そういう風にさまざまな経験を通して、自然と洞察力が磨かれていったんです。僕は決して頭の良い人間ではなく、勉強も苦手でしたが、幼少の頃から勘だけは鋭かったと自負しております」

元K-1MAX世界王者の魔裟斗氏も和田のパーソナルトレーニングを受けている 元K-1MAX世界王者の魔裟斗氏も和田のパーソナルトレーニングを受けている

和田は今年62歳になったが、平日は朝から晩まで都内を転々としながら、トレーナーとしてプロ選手やジムの会員らを指導する。平均睡眠時間は3~4時間。週末とて休日ではなく、レフェリーとして全国各地のリングに上がる。

それでも、和田はレフェリーとしてのXデーを決めている。

「ストップをかける反応が悪くなって、選手を助けられなくなったら、明日にでも辞めます。だって命を預かっているわけですからね。責任があるので、しがみつきはしません。これまでたくさん失敗もしましたし、危ないことも多々ありました。それでも大ケガもせず、命があるのも、あまたの神々様や御仏様、御先祖様のお陰だと思っております。これからも質実剛健の気概でがんばっていこうと思います」

破天荒で誠実。こんな漢(おとこ)、どこを探したっていない。

(完)

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布施鋼治

布施鋼治ふせ・こうじ

1963年生まれ、北海道札幌市出身。スポーツライター。レスリング、キックボクシング、MMAなど格闘技を中心に『Sports Graphic Number』(文藝春秋)などで執筆。『吉田沙保里 119連勝の方程式』(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『東京12チャンネル運動部の情熱』(集英社)など。

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