ソニーは2月6日、「VAIO」ブランドで知られる同社のパソコン(PC)事業を、投資ファンドである日本産業パートナーズに売却すると発表した。
ソニーは2014年3月期連結決算において、2年ぶりの赤字転落が確実になった。そこで経営不振のスパイラルから一刻も早く脱却すべく、不採算部門のPC事業を切り離す決断を下したというわけだ。
ソニーを代表する看板のひとつだったVAIO。そのブランド名は新会社でも継続使用される見込みだが、少なくともソニーとしての生産は、今春モデルが最後となってしまうのである。
VAIOの初登場は、1997年7月。同年11月に発売されたVAIO史上に残る薄型モバイルノートの名機、PCG-505で大きな注目を集めた。デジタルライターのコヤマタカヒロ氏が語る。
「当時のモバイルノートPCというのはだいたい黒やグレーの外見と相場が決まっていた。ところが505はマグネシウム合金製の筐体(きょうたい)を薄紫とシルバーに塗装し、ボディの厚みはわずか23.9mm。そして余分なデコボコがなく、すっきりフラットな外観。つまり、WindowsのPCに、初めてわかりやすく『デザイン』という概念を持ち込んだわけです」
IT関連の著述も多いビジネス書作家の戸田覚氏は、当時の505をこう見ていたという。
「実際のところ505は、他社の同等機と比べて絶対性能は高くありませんでした。しかし、ソニーはデザインの力でいかにも尖った製品のように見せ、クールなテレビCMを流して独自性を訴えた。その戦略は見事にハマり、505は一般ユーザーの中でも『PCをどこにでも持ち歩きたい』『カッコよく使いたい』と考えていた層によく売れたのです。PCがビジネスマンやマニアだけでなく、一般の人にまで浸透しようとしていた時代背景も味方しました」
もともと大衆受けを狙っていない上、他社製品より割高だったこともあり、505はノートPCシェアのトップを奪うまでには至らなかった。しかし、話題性と人気は抜群で、新参ブランドだったVAIOのステイタスを短期間の間に築き上げてしまったのだ。
そして同機の成功にならい、各メーカーが個人向けに金属色のノートPCを続々と投入してきた。それらは「銀パソ」と総称され、当時のPC業界の一大トレンドとなったのである。
その後もビデオカメラ内蔵の小型機C1(1998年)や、ポリカーボネート製ボディの周りをアルミパイプが囲うQR(2000年)、プレミア価格までついた美しいフォルムのバイオノートZ(2003年)など、ユニークなノートPCを発表していく一方、スタンダードなノート機にも磨きをかけ、存在感は揺るぎないものになっていった。
「当時、新しいVAIOの発表会には、われわれ取材する側も『今度はどんな商品を出してくるんだろう』と心躍らせながら足を運んでいた記憶があります。各パソコン誌も、VAIOから面白い商品が出るたび、大きくフィーチャーしていました」(戸田氏)
かつてデザインや機能で、世界のPC市場に旋風を巻き起こし、若者の憧れブランドだったVAIO。ソニーの売却は、ひとつの時代の終焉だ。
■週刊プレイボーイ9号「さらば、ソニー『VAIO』!! 昔、憧れてました……」より