大手家電メーカー以外の製品がすべて「B級」の烙印を押されたのも今は昔。ジェネリック家電はすっかり市民権を得た。
この「ジェネリック家電」という名称は2013年4月、週刊プレイボーイ本誌の特集記事で初めて使用された。長引く不況で給料が上がらず、しかも翌14年4月の消費増税は決まっているという状況下で、「お金をかけなくても、生活はいくらでも豊かにできる!」と推薦したのが“安くても高性能・高品質なノーブランド家電=ジェネリック家電”の積極活用だったのだ。
そんな中、2013年に始まった「ジェネリック家電製品大賞」を2年連続で受賞し、まさに業界の牽引役となっている東証一部上場企業の山善。現在、同社の家庭機器事業部を率いるのが、常務取締役上席執行役員の麻生太一氏だ。
「若い頃は僕も読んでいたよ! 週プレさんからの取材が一番嬉しい!」
という麻生氏の飾らない言葉にも通じる同社の等身大な気風は、まさに親しみやすいジェネリック家電のイメージそのもの。しかし、38年前に誕生した同社の家庭機器事業部の歩みは決して平坦(へいたん)ではなかった。
そもそも山善には、戦後の日本経済を牽引した商社という顔がある。しかし、同社の一事業部であった不動産事業が市場の乱高下に見切りをつけて撤退した際、次世代の山善を担う一翼として家庭機器事業部が大きく再編されたのだという。
ただ、苦しかったのは「失われた20年」へと突入する景気の大下降期。日本中の製造業が「何をつくっても売れない…」と悲鳴を上げていた。逆風が吹き荒れる中、困難な船出であったことは想像に難くない。麻生氏はこう振り返る。
「大手がつくらない“隙間商品”を安く売る。それしか参入できる道がなかった」
「ウチだけがよければいい、ではダメ」
今でこそ看板商品となっている扇風機をはじめ、薄利多売で高品質な家電製品を送り出す手法は苦節の末につかんだメソッドでもあったのだ。その結果、山善は扇風機販売台数日本一、こたつ販売台数日本一、ホットカーペット販売台数日本一…と、大記録をコツコツ積み上げてきた。
ハデなホームランを狙うより、とにかくヒットに絞ったスタイルは、まさに“家電業界のイチロー”といったところだ。
見えざる努力は他にもある。「大手以上の対応」と定評のある、アフターサービスや予防リコールだ。これも、顧客と販売店からの信頼をさらに育てていくためのものだという。同社が掲げる「おもいやりとおもてなしの精神」は、時代の求めるジャパンクオリティ製品の姿そのものだ。
「ウチだけがよければいい、ではダメ。ジェネリック家電業界全体が発展していかなければ意味がないんです。『やっぱり大手メーカー製品じゃないとダメだ』と思われたら業界全体の損失でしょう。
2兆円市場を同業他社の皆さんと切磋琢磨(せっさたくま)して切り拓いていく。そして、ユーザーの皆さんからの信頼を得て、さらに市場を広げていく。こんな嬉しいことはありませんよ。ジェネリック家電製品大賞の3連覇? 取れるといいですねえ…いや、頑張ります! 期待していてください(笑)」
●『週刊プレイボーイ』48号ではジェネリック家電の注目メーカーを厳選紹介、ヒット作の裏側を大検証しているのでお読みいただきたい!
(取材・文・撮影/本誌ジェネリック家電推進部)