いよいよクライマックスが近づく人気ドラマ『下町ロケット』(TBS系)。
その前半では、町工場の社長である主人公がロケット開発の夢を叶える様子を描いていたが、実はそんなストーリーによく似た会社が実在する。
札幌からJRの特急とタクシーを乗り継いで1時間少々。旭川や富良野にほど近い、人口1万人余りの北海道・赤平市の西の外れにある産業機器メーカー「植松電機」だ。
時代の流れに合わせ、炭鉱での掘削機器や自動車のモーターの修理を手がけてきた同社は、2000年からパワーショベルに取りつけるリサイクル作業用マグネットの開発・製造を本業としている。現在、この分野での国内シェアはほぼ100%、年商は3億円を超えるが、従業員はわずか18名で、事業規模としてはむしろ町工場に近い。
同社を切り盛りしているのが、1966年生まれの植松努専務だ。少年時代から飛行機やロケットに魅せられ、その方面の専門知識ばかりに熱中してきたため、学生時代のテストは赤点の山。けれども、航空力学や流体力学の勉強がしたいと一念発起した結果、国立の工業系大学で当時最も偏差値が低かった北見工業大学になんとか合格できた。
卒業後は航空機を開発する会社に就職。航空機をはじめ、新幹線やリニアモーターカーのデザインにも携(たずさ)わった。ところが彼は、せっかくの職場をわずか5年半で辞めてしまう。飛行機を造る会社なのに飛行機のことを好きでもない、事なかれ主義の社員がだんだん増えてきて部署全体が挑戦的な仕事を避けるようになったからだ。
94年、失望して故郷に戻った彼は父が興した工場を手伝い始め、当時生まれたばかりのリサイクル産業に商機を見出してマグネットを開発し、家業を急成長させた。
そして04年、植松氏は運命の出会いをする。北海道大学でロケットの研究をしていた永田晴紀教授が植松電機に電話をかけてきたのだ。
情熱あってこその申し出が…
「我々の共通の知り合いから、『赤平に植松電機という面白い会社があり、そこの専務は航空機やロケットへの造詣が深い』と聞いて、連絡をくれたみたいです。永田先生は、手軽に入手でき、大爆発が起きないポリエチレンを燃料にした画期的な『CAMUI型ロケット』の研究をしているのですが、そのエンジンを積んだロケットを打ち上げるには電子制御の技術が必要。けれども、自分には電気系の知識がないので、手伝ってもらえないかということでした」(植松氏。以下同)
しかし試験を行なう予定について尋ねると、永田教授からは「それは僕にもわからないのです」という意外な答えが返ってきた。
「永田先生が管轄と思われる官庁にエンジン開発のための補助金を申請しても、省庁間をたらい回しにされるだけで、なかなか予算がつかないというんです。そう言った時の彼の悲しそうな顔を見て、『お金は出せないけど、ウチが部品を作るのでよければ、一緒にやろう』と」
もちろん、材料費や加工費は植松電機持ち。本業のマグネットでの稼ぎと、植松氏の飛行機やロケットへの情熱があってこその申し出だった。
永田教授は自身の専門である燃焼系だけを受け持ち、その他の部分のエンジン設計については、植松氏に全部任せてくれた。念願のロケット作りに関われるとあって、彼は夢中で図面を引いた。
もちろん、実体験としては初めて手がける分野だけに、すぐに完璧なものができるはずはなく、試験中の爆発を何度も経験した。失敗の原因を解明するには、疑わしい原因をひとつひとつ潰していくため、試験用のエンジンが短期間で何個も必要となった。
「するとウチの社員たちが、通常業務の傍(かたわ)ら知恵を絞り、エンジンの製作工程を劇的に簡略化する方法を考え出してくれたんです」
おかげで不具合の原因が特定されて、信頼性の高いエンジンが完成、ほどなく機体の設計も依頼されるようになった。
その結果、植松電機が関わる以前の03、04年には年間1機しか飛ばせなかったCAMUI型ロケットは安く(というか、タダだ)、早く、理にかなった設計で作られるようになったおかげで、08年には年間17機の打ち上げを達成する。町工場が成し遂げたこととしてはそれだけでも快挙なのだが、植松電機はロケットと並行し、同じぐらいとんでもないものをいくつも開発しているから驚く。
金なんかに換算できない大きな財産
まず、同僚の永田教授から植松電機の存在を知らされた北大教授の依頼で05年、同社敷地内に微小重力実験塔を建設している。これは国際宇宙ステーションと同じレベルで微小重力(無重力に近い)環境を実現できる施設で、エレベーターが下降する際に体がふわっとするあの状態を人為的に数秒間生み出す。
原理は単純だが、猛スピードで落下する重い収納カプセルを衝撃なく着地させるには高度なノウハウが必要で、世界でも他にドイツのブレーメン大学とNASA(米航空宇宙局)にしかないものだ。今ではJAXA(宇宙航空研究開発機構)が1年の3分の1ほどの期間、わざわざ実験にやってくるし、ロケットの研究をしている大学などにも採算度外視の利用料で提供している。
さらに、北海道工業大学を中心とする人工衛星の開発にも参加。完成した衛星は06年、JAXAの大型ロケットで打ち上げられ、実際に宇宙空間へと放たれた。また、この開発の途中、宇宙でロケットから人工衛星を放出する機構が作動するかを確かめるため、真空状態を作り出す試験装置まで自前で製作している。
しかし、いずれも経費面ではCAMUI型ロケット同様、開発費や材料費、加工・組み立て費に至るまで植松電機負担。それを可能にするだけの本業の稼ぎがあるとはいえ、なぜそこまで儲けを生まない業務に入れ込めるのか。
「まず何より、経営者の僕が大好きなことなので、採算度外視でやらせてもらってます(笑)。ただ、もちろん理由はそれだけじゃない。確かに、宇宙に関する仕事で利益は生まれません。でも、我々にとってはまたとない修練の場になるわけで、その過程を通じて知恵と経験と人脈が蓄積されるんです。それは金なんかに換算できない、会社の大きな財産になるんですよ」
そんな“リアル下町ロケット”の植松電機の次なる目標とは何か。発売中の『週刊プレイボーイ』51号では、日本の技術力によって膨らむ壮大な夢について、植松氏のインタビューをもとに、さらに深く掘り下げているのでお読みいただきたい。