最近、なんだか世界がどんどん内向きになってないかい?
今年はせっかく、スプートニク1号の打ち上げ60周年なんだし、偉大なる宇宙探検の歴史を振り返りながら、地球と人類を見つめ直そう!
■世界中に直接届いたスプートニクの「声」
1957年10月4日。ソビエト連邦領内のバイコヌール基地。モスクワ時間の22時過ぎ、ソ連が開発した大陸間弾道ミサイルR-7は静かに発射を待っていた。予定を急遽2日繰り上げての発射だが、特に問題はなさそうだ。
一点、異常があるとすれば、この「ミサイル」の先端に核爆弾も爆薬も積まれていなかったことだろう。代わりに直径58センチ、83キロの人畜無害な球体が積まれていた。人工衛星スプートニク1号だ。
つまりR-7はこの時点でもはやミサイルではなく、宇宙ロケットとなっている。
22時28分、ロケットは轟音(ごうおん)とともに上昇していった。技師たちは仮設の受信基地(屋根付トラック)でヘッドフォンを耳におしあて、スプートニク1号の消息を追う。厚い大気の層を抜けて宇宙空間に達するまでの間、衛星は急激に加熱される。それで故障したら失敗だ。
やがてヘッドフォンから「ピッ、ピッ、ピッ」とコンマ3秒刻みでスプートニクが送る信号が聞こえてきた。無事だ。広大なソ連領内の各地に置かれた観測点から順次、スプートニクの位置情報が送られてくる。
しかし、それもすぐに途絶え、信号は届かなくなる。スプートニクはあっという間に地球の裏側にまわったのだ。そして打ち上げから約90分後、西から昇ったスプートニクの元気な信号が再び受信された。
人類初の人工衛星打ち上げは大成功だった。このニュースはたちまち世界を駆けめぐった。といいたいところだが、この常套句はなんだかしっくりこない。メディアを介してニュースが広まってゆく間も、スプートニク1号は一周96分のペースで地球をまわりつづけ、世界各国の無線ファンに直接その声を、その鼓動を届けていたのだから。
我が国でも多くの無線ファンが、20メガヘルツと40メガヘルツに合わせてスプートニクの声を拾うのに成功したという。
地球を知るためにロケットを飛ばす
■地球を知るためにロケットを飛ばす
ソ連のロケット開発を指揮した設計技師長セルゲイ・コロリョフは、スプートニク1号の打ち上げ成功直後、技師たちを労う演説の中でこう語っている。
「人類はいつまでも地球上にとどまってはいないだろう、というツィオルコフスキーの予言が実現した」と。
コンスタンツィン・ツィオルコフスキー(1857~1935年)はロシアが生んだロケット学者だ。ロケットそのものの歴史は実は相当に古いのだが、初めて精密に理論づけし、その用途を示したツィオルコフスキーはロケット工学の開祖に位置づけられる。
そんな彼が示したロケットの真の用途とは「兵器」ではなく「宇宙旅行」だった。そしてスプートニク1号の打ち上げは、このツィオルコフスキーの生誕100周年(誕生月の9月には式典があった)という節目の年に行なわれたのである。
同時に57年10月というタイミングはもうひとつ別の重要な意味を持っていた。この年の7月から翌年末にかけてが「国際地球観測年(IGY)」に定められていたのだ。ソ連が弾道ミサイル開発をやりつつ人工衛星を意識しだしたのはそもそも、米国のアイゼンハワー大統領が「この期間中に衛星を打ち上げる」と演説したのが契機になった。つまりアメリカを出し抜いてやれ、と意気込んで成功したわけだが、すべては国際地球観測年に始まったという事実に注目したい。
国際地球観測年とは、世界の国々がみんなして地球をより深く知るために観測しよう、と盛り上がる知的お祭り期間だ。地球を知るために、ロケットを飛ばす(我が国もカッパロケットによる観測に成功した)。そう、宇宙を目指すとは結局のところ、地球を見つめ直すことに他ならないのだ。
地球物理学などさっぱり分からない庶民の感覚からすれば、やっぱりお祭り。それでよし。なぜならそこには地球への感謝の念が通底しているに違いないから。この気持ちを忘れるな。
宇宙から地球を愛す
■宇宙から地球を愛す
地球への感謝祭、という観点からすれば、スプートニク以降、熾烈になる米ソ両大国の宇宙開発競争は喧嘩神輿(けんかみこし)みたいなものだ。そのハイライトをいくつか見物しておこう。
スプートニク1号からわずか3年半後の61年4月12日。人類はついに地球を飛び出した。御存知ユーリー・ガガーリンの有人宇宙飛行だ(ヴォストーク1号)。全体主義国家の暗いイメージをぶちこわす笑顔を持った27歳の青年は、窮屈な宇宙船内から「なんて美しい!」の第一声を送ってよこした。
その後刻々と見え方を変える地球の姿を、言葉を尽くして描写し、記録した。日本でよく知られている「地球は青かった」という言葉は彼の感想を要約したもので、そのものずばりを言ったわけではない。
いずれにしてもガガーリンの描写は、地球の外で、地球のために歌われた最初のラブソングだ。ロケットは宇宙を旅し、地球の肖像を描くために使われる。
次の「初めて」もソ連が米国に先んじた。65年3月18日、アレクセイ・レオノフが宇宙船ヴォスホート2号から出て、約12分間の宇宙遊泳(船外活動)を行なったのだ。
宇宙服を着、5メートルほどの命綱をつけて漆黒の空間を漂うレオノフの姿はテレビ中継された。ヴォスホート2号はその後地球への帰還まで不測の事態が相次ぐが、ともかく無事に帰ってきたレオノフは、親友のガガーリンと、地球の姿を何時間も語り合って飽きなかったという。
そして4年後の69年7月20日。アメリカのアポロ11号のふたりの宇宙飛行士が月面に降り立った。
スプートニク1号からここまで、わずか12年である。私たち人類にはこれだけのことができたという事実の重みを今こそ噛みしめよう。最近の12年、あるいは今後の12年に、これだけの冒険の歴史が刻めるだろうか。
ミサイル発射だとかテロだとか、そういう事件にばかり想像力を縛りつけておくのはもうやめだ。一方的に聞かされる「Jアラート」と、個人が趣味でひっそりと受け取るスプートニクのビープ音を比べてみよう。ロケットという技術が生みだす明暗がくっきりするだろう。くどいようだが、ロケットの真の用途はこの明のほう、つまり「宇宙旅行」だ。ミサイルとは、夢を積み忘れたロケットにすぎない。私たちの想像力までミサイルに合わせる義理などないのだ。
宇宙を忘れた時、人は地球を見失い、内向きになる。弾頭を外せ、夢を据えよ。ミサイルからロケットを取り戻すのだ。
(取材・文/前川仁之 写真/アフロ)