「現代の魔法使い」落合陽一(左)と『五体不満足』が600万部の超ベストセラーとなった乙武洋匡(右) 「現代の魔法使い」落合陽一(左)と『五体不満足』が600万部の超ベストセラーとなった乙武洋匡(右)

落合陽一(おちあい・よういち)が各界の著名人、実力者を招く本企画。今回のゲストは、その中でも抜群の知名度を誇る乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)だ。講義はこんなやりとりから始まった。

乙武 『五体不満足』という本は僕が22歳のとき、1998年に出版されました。ここにいる(学生の)皆さんは、ちょうど生まれた頃かな。

落合 そうすると、みんなはどこで乙武さんを見たことがあるの?

学生 小学校のときに教科書で......。

落合 小学校の教科書に乙武さん載ってるの!?

乙武 不倫するまでは載ってたんですよ。

落合 不倫すると載らなくなるのか、逆に言うと。

乙武 載らないでしょ! 今生きてる人を教科書に載せることがいかにリスクかっていう(笑)。

落合 なんの教科書? 国語?

乙武 国語とか道徳とか英語とか。道徳なんか、今一番載せちゃダメだよね。でも、太宰治なんて不倫しまくってたけど、今でも教科書に載ってますよね。『走れメロス』とか。

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これで学生たちの爆笑を誘った乙武は、しかし「不倫報道で仕事も家族も失った」ともいい、2017年に1年間かけて37ヶ国を旅し、見聞を広めた。

その後、昨年10月の新作小説『車輪の上』発売に続き、昨年11月にモーター搭載のロボット義足を装着して立った姿を公開。直後には『ワイドナショー』(フジテレビ)のスタジオ内で歩いてみせ、「再始動」を強く印象づけた。

ちなみにこの義足は、落合が取り組む科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)、「クロス・ダイバーシティ」プロジェクトの遠藤謙チームで研究開発が進められているものだ。落合が唱える「テクノロジーによって多様性を実現する」というビジョンの一端が、乙武という協力者を得て、全国の茶の間に広まった形だ。

超ベストセラー『五体不満足』で日本にバリアフリー化の潮流を呼び込んだ乙武は今、何を見ているのか。

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昨年11月、乙武氏はモーターを搭載したロボット義足をつけて 昨年11月、乙武氏はモーターを搭載したロボット義足をつけて

乙武 『五体不満足』が自分の予想に反して売れまくって、600万部というのは戦後4位だそうです。おかげで皆さんに存在を知られ、メディアにも出していただくようになったんですが、当時大学3年生で、当然進路を考えなくちゃいけなかったんですね。

本を読んでくれた人からは、「バリアフリーの旗頭として期待しています」とか「障害者福祉の推進に向けて頑張って下さい」とか、そういうお手紙が多く届いたんです。でも、そうした反響に僕自身は「いやいや、ちょっと待てよ」と思ったのも正直なところなんです。

当時は「障害者=かわいそうな人、不幸な人」という風潮があって、「いや、少なくとも俺は楽しいけどな」と思っている人間がいることだけでも知ってもらいたいなと、ある意味軽い気持ちで書いた本なんですよ。それで有名になった障害者が、障害者福祉の道に進むとなれば、「やっぱり障害者はそういった道でしか活躍できないんだ」という固定観念を強化することになってしまう。それはマズいなと。

だったら「えっ!? あの車いすに乗ってる人がそんな分野で働くの?」と思われるような、意外性のある分野で働きたいなと思ったんです。それで、僕自身が興味あったスポーツの分野に関わって、なおかつ(自身の)ブームが去ってもメシを食っていくための文章力を身につけたい、ということでスポーツライターの仕事を選びました。

文章は昔からパソコンで書いてます。よく「乙武さんは手がない」と言われるんですけど、一応、皆さんで言うと肘までよりもやや短いくらいの腕があって。こんなに短くても利き手というのもありまして、僕は左利きなんですね。この左で一個一個キーを打っていく感じです。

乙武氏の車いすは座面の昇降機能を搭載。話す相手と「お互い気を使わない」ためという 乙武氏の車いすは座面の昇降機能を搭載。話す相手と「お互い気を使わない」ためという

落合 ちなみに、スマートフォンが出て入力スタイルは変わりましたか?

乙武 変わりました。面白いことに、スマホが出たばかりの頃はタッチパネルが僕の手に反応しなかったんですよ。だから長い間ガラケー族だったんです。オッサンくさくてやだなあと思ってたんですが、2、3年たって、あるとき店頭で試したら「あれ、反応するようになってる!」って。それで切り替えて、今はフリック入力でやってます。

落合 テクノロジーを使って身体をサポートしていくのは、僕の中でビビッと来るところで。僕が乙武さんの車いすを見た時にすげえ感動したんですけど、座席が上下するんですよね?

乙武 はい。この車いす、ベースになるものは市販されてるんですけど、そこに昇降機能を加えているんですね。一番高くした状態だと、立っている大人の方と同じ目線で話せる。これ、小さいことのように見えてわりと重要なんです。

例えば、皆さんが車いすの人と出会ったとします。話をする時に自分がかがむか、それとも立ったまま見下ろして話をするか、どっちが失礼にあたるんだろう、とか考えると思うんです。そうやって意識すること自体、ちょっと面倒くさいでしょ? この高さでしゃべれると、僕も「気を使わせて申し訳ないな」とか考えなくてよくて、お互い楽なんです。

落合 おっしゃるとおり、「気を使ってることを悟らせないで気を使う」のって難しいじゃないですか。僕は車いすの人と話をするときは、そのへんにいすがあれば、なるべくしれっと座ることにしているんですけど。

最近、乙武さんの義足の開発のドキュメンタリー動画を見て感動したのは、周囲の人たちの乙武さんに対する扱いが"適度に雑"なんです。

乙武 ハハハ。

落合 適度に雑なのがすげえいいなと思って。そういう感じで接せられるように俺もできたらいいなと思いました。

乙武さんが見てきたこの40年の中で、障害者スポーツやバリアフリーに対する社会の認知はどのように変わってきましたか?

乙武 20歳前後の方には想像もできないかもしれませんが、まだ僕が生まれた頃って、家族に障害者が生まれたらなるべく外に出さず、隠しておくという文化がうっすら残っているような時代だったんです。バリアフリーなんて夢のまた夢ですよ。

駅に行ってもエレベーターはないし、バスのスロープは僕が20歳の頃でもほとんどなかった。僕は東京出身なんですけど、都バスの中で一番メジャーで利用客も多い路線でさえ、車いす対応している車両は1時間に一本しかなかったんですよ。それが20年前の話です。そこからの15年、20年の変化は、やっぱり目覚ましかったかなあ。

落合 僕もその頃は小学生でしたが、覚えてます。急にバスのバリアフリー度が上がったり、優先席が拡張されたり。なんでああいうことが始まったんだと思います?

乙武 『五体不満足』のおかげじゃないですか?(笑)

落合 やっぱりそうだよね。

乙武 いやいや、半分は冗談だけど、半分くらいは。

落合 あの本が300万部、400万部、500万部と伸びていくうちに、みんなの認知が上がって、バリアフリーが進んだ要因のひとつにはなったと思いますよ。

乙武 世の中の不便さっていろんなところに転がってるんだけど、それをどうにかしようとするとき、さまざまなレイヤーが連結すると一個の強い力になるじゃないですか。例えば、車いすユーザーだけだと少ないけど、ベビーカーユーザーまで足したら「それは無視しないほうがいい」となる。あとは歩行に不安のある高齢者まで足すと、もはやマジョリティになるかもしれない。そこをうまくつなげることができたらというのが、今一緒にやらせていただいているCRESTのプロジェクトですよね。

落合 障害を持って生まれた子たちと、高齢者の方と、(先天的・後天的にかかわらず)障害を持って社会で生きている方って、実はまったく同じ問題にぶつかっている。しかし、往々にして予算源は別々だったりするんですね。例えば、ある問題は文部科学省から予算をもらい、ある問題は厚生労働省から、となると話が分かれちゃう。それをひとつのでかいプロジェクトにすると、一気にパワーが出るなと思ってやってます。

そういったなかで、例えば『24時間テレビ』とNHKとEテレとか、それぞれメディアによってダイバーシティ対応、障害者対応の方針が微妙に違うと思うんですけど、一番自然に扱っているなと思うのはどこですか?

乙武 NHKのEテレでやってる『バリバラ』という番組がね、最高! さっき"適度に雑"が理想的だと思うと落合さんも言ってたけど、『バリバラ』はまさに障害者の扱いが雑なんです。

例えばね、脳性麻痺の子だったと思うんですが、車いすの青年が「僕モテないんですけど、どうすればいいでしょう?」みたいに恋愛相談をするんです。民放だったら、たぶん「障害があっても諦めないで前向きに頑張っていけば......」みたいなきれいごとを言うんですよ。ところが、『バリバラ』だと「だっておまえ、だっせえもん」みたいなことを言うわけです(笑)。

つまりね、障害は障害であって、多くは治らないわけですよ。だったらその素材のまま、髪型をカッコよくするとかおしゃれな服を着るとか別の部分で頑張るしかない。そういうことをたぶん民放は怖くて言えないんですよ。『バリバラ』は、そこがいい具合に雑。

落合 面白いですよね。先ほど、バリアフリーとか障害者福祉の橋渡し役になってくれと言われて、逆に障害と関係のないスポーツライターを選んだとおっしゃってましたが、周囲が乙武さんに期待するような振る舞いってありますよね。テレビに出てるときも、「障害者的な観点からするとどうですか?」みたいなコメントを求められたり。そういうことについてはどう思いますか?

乙武 これ、僕個人の生き方みたいな話になってしまうんですけど、本当はテレビとかに出たくないんですよ、昔から。600万部売れて、ものすごい注目を浴びることになってしまい、街を歩けば多くの人に声をかけられるようになって、有名人なんてなるもんじゃないなと思ったんです。

じゃあ、なんで20年も出続けてきたのかというと、ほかに誰もいないからとしか言いようがないんですよ。今でこそ「手足もない障害者なのに不倫するクソ野郎もいるんだ」という世の中になったけど(笑)、それまでは「障害者=清く正しく美しく」みたいな固定観念がやっぱりあったわけです。でも、僕は20歳前後からまったく清く正しく美しくなかったんで、障害者にもいろんなやつがいるよと知ってもらいたいなと。

最近は20代くらいの若い障害者から「小さい頃に乙武さんをテレビで見て、障害があろうが、やりようによっては活躍する道があるんだなと思って、ここまで頑張ってくることができました」みたいなことを言ってくれる子が増えてきて。それはね、皆さんには理解しがたい感覚だと思うけど、マジで涙出るくらいうれしいですよ。しんどいこともあったけど、やってきてよかったなと心から思います。

落合 なるほど。僕の個人的なことを言えば、乙武さんは純粋に面白いと思ってるんですね。20年間メディアに出続けたり、いろんなものを見続けたがゆえに、一個人として語れることがものすごく蓄積しているじゃないですか。それはもう純然たる価値で、腕があるないのネタはもうどうでもいいと思ってます。

ただ、障害を持つ子たちが普通に社会に出てくるキャリアパスって、まだまだ不自由だなと思っていて。例えば、日本の高等教育の現場って全然バリアフリーじゃないんですよ。どうにかしたほうがいいと思うところはありますか?

乙武 その話で言うと、ふたつあってね。ひとつは、授業もそうなんですけど、テストの方法。基本、テストって紙で出てきて、ペンで書いて出すでしょ? それはあくまでも「文字情報として処理できる人」にとって最適なやり方にすぎないんですよ。

例えば、学習障害というものがあります。一番有名なのはトム・クルーズ。彼は文字情報に弱いので、台本を一回テープか何かに吹き込んで、耳で台詞を覚えるらしいんですね。こういう方に対して紙とペンでテストしたら、実際にどれくらい学習内容を理解していたかの検査はできないわけですよ。口頭でやってもらったら80点とれるはずの問題でも、40点しかとれない可能性もある。

これってまともな検査とは言えないでしょ? 人材をつぶすし、社会にとって大きな損失だと思うので、学校におけるテストの方法は一種類に固定するべきではない。

落合 確かに、別にパソコンで書いたっていいわけだし。たぶんわれわれ(大学)の最大の課題のひとつは、障害に限ったことじゃないかもしれませんが、今の入学試験のところをどう変えるかです。その先は、僕の場合、できてるなと思えば単位を出すというだけなので。

乙武 もうひとつは、教える側にも障害がある人がいるかもしれないという想定ができてないなと思うんです。例えば、教壇って上がるところが段になってるけど、車いすの教授だったらどうするつもりなのか。

落合さんもよくやられると思うんですが、僕も講演する機会は多いんです。地方などにもよく行かせてもらうんですけど、わりと新しいホールだと客席には車いす席がきちんと用意されてるんです。ところが、登壇する側が車いすという想定はあまりなされていない。裏口から入って、楽屋に行って、登壇するという動線は段差だらけだったりするんですよね。

落合 そういう議論をする上で、経験って段違いに大事ですよね。例えば、映像業界で働く大道具さんなら、すごくその気持ちをわかってくれると思います。

さあ、そろそろ皆さんも乙武さんのビジュアルに慣れてきましたね。最初のうちは気になっても、人間は慣れてくるとビジュアルでものを見なくなるんです。素直に話が聞けるようになる。これはノンバーバル(非言語)コミュニケーションの話なんですが、このことも、乙武さんが表舞台に出続けていらっしゃる意味のひとつだなと思ってます。

乙武 それって対障害者だけじゃないですよね。昔から「美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れる」と言われるけど、落合さんは今、それとまったく同じことを言ってるんだと思う。

落合 それに関連して聞いてみたいことがあって。対面しないコミュニケーションと対面してるコミュニケーションで、相手の対応が違うなと思うときはありますか? 

乙武 僕自身はあまりないけど、最近聞いて面白かった話があって。どういう外見や身なりをしているかで相手の対応が変わるという話なんですが、ある企業の社長さんが、訓辞を垂れるのが大好きな人らしいんですよ。でも話はあんまり面白くなくて、社員の人たちが全然聞かないんですって。ところがあるとき、美少女のアバターを立てて、ネットで訓辞を垂れるように変えたら、みんなすごい聞くようになったんですって(笑)。

それこそ障害があってなかなか外に出られない人もそうだし、健常者でも容姿に自信がない人、人前に立ってしゃべったり演じたりすることをこれまで一度も得意と思ったことがない人が、Vtuberとして外見を自由にいじれるようになったらどうなるかな、というのは興味ありますよね。メッチャ美男子とか美少女とか、なんなら動物とかに扮して、自分の伝えたいことを伝えられる社会になれば、急に雄弁になる人もたくさんいるはずなんですよ。

聞く側も内心では「あんなもっさい感じのやつに言われたって」とか思ってたのが、ビジュアルが美少女になっただけで「話聞いてみようかな」と思ってしまうという人間の心理が証明されつつあるらしいんですよ。

落合 面白いですね。最近、番組でロボットアナウンサーとしゃべったんですが、周りの人に「おっぱい触ってみてください」とか言われて、僕も開始5分くらいは触れたんですよ。だけど、そのロボットと1時間半ぐらい対話してたら、恐れ多くて触れなくなって(笑)。「俺、このロボットに何かを感情移入してる!」っていうのが非常に面白かったです。人間の感覚なんてそんなもんですよね。

◆後編⇒落合陽一×乙武洋匡「寛容な民主主義か、合理的な管理主義か?」

■「#コンテンツ応用論2018」とは? 
本連載はこの秋に開講されている筑波大学の1・2年生向け超人気講義「コンテンツ応用論」を再構成してお送りします。"現代の魔法使い"こと落合陽一学長補佐が毎回、コンテンツ産業に携わる多様なクリエイターをゲストに招いて白熱トークを展開します。

●落合陽一(おちあい・よういち) 
1987年生まれ。筑波大学学長補佐、准教授。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学大学院で学際情報学の博士号取得(同学府初の早期修了者)。人間とコンピュータが自然に共存する未来観を提示し、筑波大学内に「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を設立。最新刊は『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書』(小学館)

●乙武洋匡(おとたけ・ひろただ) 
1976年生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』が600万部の超ベストセラーとなり、卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、2013年2月には東京都教育委員に就任。2015年4月より政策研究大学院大学修士課程にて公共政策を学ぶ。著書に映画化された小説『だいじょうぶ3組』、『だから、僕は学校へ行く!』など。最新刊は"車いすホスト"を描いた小説『車輪の上』