高座にあがって一礼、マクラの話もそこそこに本題へ。耳慣れた噺(はなし)にときどき挟まる「くすぐり」にクスリと笑い、気づけばお馴染みのストーリーを夢中で追いかけているうちにオチがやってきて......。落語ファンにとっては当たり前の光景だろう。
しかし実際には、噺家は同時並行でたくさんの工夫を凝らしている。彼らは、落語をどう「手続き」化し、プログラムしているのか? 新著『プログラミング思考のレッスン 「私」を有能な演算装置にする』が話題の野村亮太は、そんなプロセスを解明しようとする気鋭の認知科学者だ。果敢な挑戦は、彼が最も敬愛する噺家にどう響くのか?
最注目の噺家・古今亭文菊と認知科学者・野村亮太がおくる異色の対談、結末や如何に。
■笑いを生み出す「間」の意識
文菊 プログラミング......こうしてお題をいただいたわけですが、ちょっと私には理解の及ばないところでね(笑)。私の落語は、非常に感覚的なものですから。どう生きて、どう考え、感じるかをただずっとやってるだけでね(笑)。
野村 私の言うプログラミング思考というのは、ロボットなどをつくるような実際のプログラミングではなく、考え方なんです。つまり落語をするときに、自分が効率よくできる、より良くできるために行なう手順のことですね。
文菊 なるほど。プログラミング的にって言うんでしょうか、笑いを論理的につくっていこうとする噺家さんもいらっしゃいますよ。人間はなぜ笑うのかを論理的に、再現性のある方法を考えるわけです。たとえば有名な言葉ですが、笑いは緊張と緩和によって生まれるという考え方があるようです。緊張した後に、ふと緩和したときに笑いが生まれる、と。でもね、私はほら、論理思考じゃないから、きっとそういうプログラミング思考の噺家さんとお話しされた方が(笑)。
野村 いえいえ(笑)。すべてのプログラミングは「順次」、「反復」そして「分岐」によって成り立っています。私にとってもっとも面白いと思える噺家である文菊さんがお客さんを笑わせる手順にも、こうした共通点があるのか。それをプログラミング思考の観点からから分析してみたいという、ひとつ挑戦だと思っていただければ。
文菊 ああ、敢えて言うなら、「間を取る」ことがそうかもしれませんね。高座で噺家がやっているのは、お客さんとのエネルギーのやりとりなんです。
野村 お客さんを話に引き込んだり、あるいは離したりということですか?
文菊 ええ、自分とお客さんの持っているエネルギーがどのあたりにあるのかという感覚ですね。前座(寄席で一番前に高座に上がり、10分ほどの落語をする噺家の階級)の頃なんてのは、噺家は自分をただ「音声を発する物体」としか認識できないわけですよ。つまり自分の発しているエネルギーしか分からない。でも二ツ目(寄席で二番目に高座へ上がる階級)になると、お客さんのエネルギーを感じとっていく。すると最初はお客さんにいろんな「投げかけ」をして噺に引き込もうとするわけですね。どんどん「押し」て笑わせるようなことです。それで成功する人もいるんですが、なかなか押すだけではうまくいかない。試行錯誤しているうちに「間」を意識して、高座のこちら側へエネルギーを引き寄せるコツが分かるんです。それが無意識にできていくことが「間が取れる」ということですね。
■メタ認知で行なう、落語家の"印象の柵"解消術
野村 認知科学の分野では、まさに文菊さんがしているような、自身の行動を客観的に見て、コントロールする状態のことを「メタ認知」と呼びます。私のプログラミング思考というのは、自分がしたい活動を実現するために手順を、メタ認知のもとにいろんな角度から工夫して実行することを指します。そうすることで、日常の所作を効率よくこなしていくことができる。
文菊 ああ、そうした点でも噺家は似たようなことをやっていますよ。自分をよく知らないと、人にどう見られるかというのは分からないもんですからね。自分がどんな人間かを俯瞰的に自覚して、それを高座の上で、お客さんに洒落としてさらけ出す。私の場合は、この見た目でそのまましゃべりだすと、なんだかこう、客席に緊張感を与えてしまうところがある。気取った雰囲気っていうんですか。この印象をなんとかしたいんです。
野村 具体的にはどうされるんですか?
文菊 いやね、落語というのは登場人物に、どこか呑気なところが出てくるもんです。まともな連中ってのは出てきません。たとえば木村拓哉さんや、高倉健さんがやるような役は落語の中には出てこないんです。だから噺家なんてのは、どこか「抜けて」いた方がやりやすいわけですよ。顔の造作やなんかもそうで、ちょっと崩れていたほうが落語ってのはやりやすいもんなんですよ。崩れてたほうがね。そこにいくとね、私なんてものはね......いや、自分が色男だなんて言うわけじゃありませんよ? でもね、私なんかはほら、ご覧の通り、落語がやりにくくてしょうがないんですよ。――と、お客さんにマクラでさらけだすわけです。するとお客さんも「おや」とくる。私の「印象の柵」を私の方から取り除いてしまうわけです。するとお客さんは流動的になって、こちらの噺に入って来やすくなる。間が取りやすくなるわけですね。
野村 そうした、言ってみればお客さんが無防備になる空間をつくりだすための手順がある。そういう意味ではプログラミング的な工夫が噺家にはあるんですか?
文菊 お客さんの懐に飛び込む、引き寄せるという意味ではみな似たようなことをしていると思います。ただ、噺家それぞれに戦術があります。私と同じことを他の誰かがやってもうまくはいきません。自分に合った戦術を体得して、お客さんを無防備にさせるところに、噺家の器量が試されるわけです。
■噺家は、"一生噺家"である
野村 プログラミング思考の観点から見ると、高座での噺家の所作は、現代社会で重視されている「マルチタスキング」だと言えると思うのです。つまり、お客さんと高座の垣根を取り払い、自分の立ち位置、陣形を整えるためにマクラがある。そしてお客さんの反応を見ながら噺の緩急を調整してゆくといった、一度に多くのことを同時並行的に進めてゆく必要があります。
文菊 うーん、噺家にはそれが自然にできることなんですよね。噺家は高座で「無」の状態になっているんです。無になると、自然と周りが見えてきて、落語ができるんです。
野村 無の状態にはどうやってなるのでしょう?
文菊 ひとつ言えることは、噺家は日常と高座を分けて考えていないということです。噺家というのは、決まった芸を型として見せているわけではありませんから、噺家が普段の生活、人生で考えていること、感じていることがそのまま高座に出るわけです。
たとえばね、高座で緊張していて良いことなんていうのは、まあそうないものなんですよ。筋肉は硬直し、思考も停滞し、深い呼吸もできなくなる。じゃあ緊張を解くにはどうしたらいいかってんで、緊張を解こうと思う。すると、余計緊張するんです、人間はね。
野村 ああ......心当たりがありますね。
文菊 それで、緊張がどうして起こるのかと突き詰めて考えていくと、緊張というのは、人間の欲望が生み出してるんですよ。小三治師匠はよく「笑わせようとするな」と言っていました。よく見られたい、よく評価されたいと誰もが思います。会社なんかでも同じですね。そんな自分の欲望と向き合って、コントロールできるようになれば、力は自然と抜けていくものなんです。これが無の状態をつくるのです。すると、お客さんと対峙したときに、噺家が主導権を握ることができるようになるわけです。
野村 今おっしゃった自分の欲望に向き合うというのは、この瞬間、この場面における高座の問題を解決することと、数年先、あるいは永遠の人生問題を解決することを地続きで考えるということですね。ひょっとすると人生の問題も解決されるかもしれないと思いながら高座にあがることが噺家の思考において重要なことだと感じます。
文菊 噺家は技術だけで上手くなるわけじゃないということですね。噺家はまず、自分の一生を委ねる師匠に入門を懇願するわけです。晴れて前座見習いとなったら、師匠の雑用として毎日、前座修行に励みます。その中でいろんな理不尽に遭遇します。たとえばお茶を出すときも、昨日師匠に「こう出せよ」と言われても、まるでプログラミングされたように昨日と同じように今日出しちゃいけない。「ふざけんじゃねえよこの野郎」と叱られ、「大体おまえの人間性が悪いんだ」と説教を受けます。そんなことが毎日続くと、こちらもだんだん八方塞がりになってくる。すると、そうした苦しみの中ですがった何かに、今日のお茶出しから高座までに通じる解決の糸口が、不思議と見つかるんです。
人生に関わる問題は、整った環境の中で見つけろと言われても見つからないんですよ。苦しみの中でこそ見つかるものがある。「艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にす」とはよくいったものですよ。
●古今亭文菊(ここんてい・ぶんぎく)
1979年、東京都生まれ。2001年、学習院大学文学部史学科卒業後、古今亭圓菊に入門。03年1月に前座に、06年5月に二ツ目に昇進する。12年9月には28人抜きで真打ちに昇進して話題に。これまで、NHK新人演芸大賞落語部門大賞、浅草芸能大賞新人賞などを受賞している。
●野村亮太(のむら・りょうた)
1981年生まれ。認知科学者。鹿児島純心女子大学講師。九州大学大学院人間環境学府および東京理科大学大学院工学研究科修了。博士(心理学)、博士(工学)。専門は、落語の間、噺家の熟達化。International Society for Humor Studies Conference Graduate Student Awards 2007、日本認知科学会2014年論文賞、各受賞。著書に『プログラミング思考のレッスン 「私」を有能な演算装置にする』『口下手な人は知らない話し方の極意 認知科学で「話術」を磨く』(集英社新書)など。