「コンテンツ応用論」をリモートで開講した落合陽一(右)と樋口啓太(左)

東京大学大学院修士課程以来の旧友、そして博士号の取得も同期という関係にある落合陽一(おちあい・よういち)が、「受賞歴やトップカンファレンス論文数はお墨付き」と太鼓判を押すHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション、人と計算機との間を取り持つ研究分野)のスペシャリスト・樋口啓太(ひぐち・けいた)。地元・新潟県十日町市にこのほど「醸燻酒類研究所(ジョークンビールラボ)」を立ち上げ、クラフトビールのブリュワー(醸造家)としての顔も持つ。

HCIという分野の特性や、クラフトビールとの出会いについて語った前編記事に続き、後編では先端技術の研究者であり、それを生かした起業家でもあるふたりが、デジタル時代の研究における"民芸性"なるものについて語り合う。

* * *

落合 HCI研究のフロンティアはどのあたりにあると考えていますか?

樋口 ひとつはやっぱりAIの活用でしょう。最近だと「エクスプレイナブルAI」が注目されていますが。

落合 少し補足しますと、何かエラーが生じたときにディープラーニングのパラメーターを調節したりするんだけど、その結果なぜよくなるのか、あるいはなぜ悪くなるのかを説明可能にするということです。要は、AIが"よくわからないけど叩けば直る昔のテレビ"みたいになっていていいのか、という話。

樋口 はい。AI専門の方だけでやるエクスプレイナブルだと問題を可視化するくらいまでで、それを人間がどう解釈し、介入していくかという段階にはまだまだ課題があって。そこはHCI研究者がAIを理解してやっていかなければなりません。

個々の研究者のレベルでは、自分なりのやりたいことを突き詰めていくのが大事だなと思います。今は注目されている研究トピックがある程度固定されているところがあるんですが、大スターが少数いるよりは、小さな星がたくさん輝いていてほしいです。

落合 僕が"民芸性"と呼ぶものですね。世の中はだんだんデジタルの側が自然に近づいて、リソースがある程度平等に供給されるようになっています。もちろんGAFAのように特権的にリソースを押さえているところもありますが、そことあまり接点のない研究者にとっては低コストで使える資源が増えていますよね。

里山で暮らすおじいさんが山へ柴刈りに行くように、(機械学習のためのオープンソースのソフトウェアである)「PyTorch(パイトーチ)」や「TensorFlow(テンソルフロー)」を使うような世界観じゃないですか。そうなってくると、ローカルな研究テーマや自分がやりたいことを持っている人が、どちらかというと「人文科学的に輝き出す」と思っています。つまり、民芸性が上がってくるということです。

最近興味があるのは新しいエスノグラフィー(フィールドワークによる行動観察を用いた研究手法)です。例えばダイバーシティとよくいわれますが、「ユニバーサルデザイン」や「ノーマル」といった範疇(はんちゅう)に収まらない人々の立ち居振る舞いを考えるときには、さっきの一人称視点カメラの映像抽出なんか、まさにオートエスノグラフィー(自身を調査対象とする研究手法)に使えそうだけど。

樋口 そうですね。当事者研究を支援するのにもHCIは有効だと思います。

落合 一方で、日本のHCIに限っていえば、今後どんどん少子高齢社会に向き合う研究が増えていくんじゃないかと僕は勝手に予想しています。アクセシビリティとか自動運転とか。

ただ、ここでちょっとエンターテインメントについて考えてみたいんですが、専門家が考えるユーザーインターフェースの使い方って、けっこうマジメじゃないですか。もっといえば、問題解決としてのHCIはやっぱり「問題を解いちゃう」んですよ。僕自身もわりと課題先行型なんだけど、実は「問題を解かない」ことも重要なんじゃないかとよく思います。

例えばTikTokなんて、課題先行型だとまず出てこないでしょう? 「最新の計算機を使って面白い動画を送り合うようになる未来」なんて、昔のSFがまったく想像していなかったことで。だけど実際、デジタルとの接点はそういうエンタメのほうが多いし、長続きするんじゃないかなと。

樋口 「Unreal Engine」(アンリアルエンジン。エピックゲームズ社が開発したゲームエンジン)が自動運転のためのデータを集めるプラットフォームを提供しているのは、エンタメの側から課題解決を支援する面白い事例だと思います。

あと、『Minecraft(マインクラフト)』は世界中で楽しまれているゲームですが、最近はAIの検証の場としても使おうという取り組みがあります。ゲームと現実の課題がつながっていくのは楽しいし、いい流れですね。理解が広がりますし。

落合 そうだよね。エンタメと課題をつないでいくことが今後のひとつのカギだと思います。あと、これはぜひ聞いておきたいんだけど、日本では博士課程に進む学生さんが年々少なくなっているじゃないですか。少子化の影響ももちろんあるんですが。

「研究はブラック」みたいに思われているのか、普通に就職する人が増えていて、博士は敬遠されがちです。僕なんかは博士に進んだことにまったくデメリットを感じていないのですが、どうでしたか?

樋口 デメリットは正直感じていません。博士に行ってよかったと思うことのひとつは、生き方の自由度が増したというのがあります。専門はHCIですが、研究する手法自体はいろんな分野に適用できるし。

あとは単純に、今はコロナで厳しいかもしれませんが、国外に出る際に博士は非常に重宝されるので。就労ビザが取りやすくなったりとか、そういうことで気持ちに余裕が出ると思います。

落合 なるほど。まぁ「生存者バイアス」って言われそうな話でもあるけれど。僕もヒグヒグも暦本先生の研究室の出身だけど、当時、修士から博士の5年の間に、その後のキャリアプランは描いていましたか?

樋口 博士の頃は、とにかくもっと研究したいと思っていましたね。僕が博士に進んだ2012年にちょうどディープラーニングのブレイクスルーがあって、今後社会に入ってくることは明らかだったので、HCIからどう貢献できるか考えて、コンピュータービジョン、AIの研究も始めました。専門性がひとつじゃなくて、HCIもAIもわかりますよ、というほうがキャリアとして強いだろうと思ったからでもあります。

落合 AIのわかるHCI研究者が少ないっていう話は確かにある。

樋口 はい。あとは博士時代、落合先生も一緒にマイクロソフトリサーチに行ったじゃないですか。あの経験は刺激になりましたね。まず、あそこの仕組みがすごくいいなと感じました。研究もめちゃめちゃやるけど、すぐに製品化していく仕組みができているんです。

落合 RSE(リサーチ・ソフトウェア・エンジニア)という人たちがいるんだよね。RSEがいる組織は強い。僕はあの人たちのやっていることを見て、ペーパー(論文)にならない仕事をいっぱいしてるんだな、それはそれで面白そうだな、と思ったんだよね。大学の中ではありえない仕組みも、研究所では自由にできるんだと気づかされました。

樋口 それに向こうのインターン生って、大学教員になりますという人よりも、高い給与が見込まれる企業に入るために博士に進むのが、ひとつのキャリア選択になっていて。

あの環境を見ているから、僕自身はアカデミアで生き残りたいとか研究論文をたくさん書きたいといった動機だけじゃなく、「いい就職したいから博士を目指す」というのもすごくいいと思っています。日本でもようやくそういう形で博士を評価する仕組みが出てきたところですね。

落合 それと、コロナの影響で学会もオンラインにするところが増えていますよね。それで思ったんだけど、以前は会場のキャパや時間の関係で論文数を制限せざるをえなかったじゃないですか。

そこから論文を通す難易度みたいなものが生じていたんだけど、この世界観はオンラインになるとなくなるから、評価のされ方もカンファレンス主体だったものから別の形に変わっていくのかな、と思っています。ヒグヒグ自身の研究スタイルは何か変わりましたか?

樋口 共同研究の機会がめっきり減りました。例えば僕が筑波大学の方と組んだときも、ちょくちょく会っていたから「一緒にやろうか」という話になったんですが、そういうことがなくなりましたね。

もっとも、僕らが昭和生まれだから「会うのが大事」と思っているだけのことかもしれませんが。会うほど密なつながりでなくともコラボレーションできるような仕組みは模索していきたいと思います。

落合 僕の場合は、わりと気軽に電話できるくらいの関係の人とは共同研究しやすくなったという印象があって。ふと気になって「○○先生に電話してみよう」というのが増えたんだよね。逆にいうと、以前から知り合いがたくさんいる人は有利だけどいない人は不利、みたいな世界観に移行しているのかな。

いずれにしても、今の状況が退化だとは全然思わないし、人類はいろいろなツールを使いながら最適化していくんじゃないかな。ちなみにこの講義は例年、講堂に入り切れないくらい学生さんの応募があるから受講制限があったんですが、オンラインにしたら制限はなくなりました。

樋口 確かに、学生さんや博士を評価するのに、場所や年齢に縛られない仕組みを作るチャンスかなと思います。

落合 最近になって、あらゆる領域で恐ろしいスピードでデジタル化が進んでいますね。BtoCやBtoG(企業対政府・自治体)のビジネスがいっぱい出てきそうで、これからの5年はけっこう希望があるような気がします。

ものを作るときは、デジタルから始めたほうが絶対クリエイティビティが高くなると思うんだよね。そして最終的には、デジタルの上で子供が描いたような物理法則を無視した建築物でも、コンピューターが最適化計算してくれて現実に建てられることだってあるんだから。その反面、質感とか触り心地はデジタル側ではなかなか厳しいものがあるけど。

樋口 デジタルなツールを使いこなすのは重要だけど、発想がツールに規定されてしまわないか、ということは常に考えたほうがいいと思います。前によく話したじゃないですか、「鮎(あゆ)のおいしさってVRじゃ絶対再現不可能な喜びだよね」って。

落合 そうそう、「VRの鮎がおいしかった」とはなかなか言わないだろうね。ビールもそうだ。だけどこの前、VRゴーグルでLSDの視覚効果を与えて影響を調べる研究をやっている人がいましたよ。酩酊効果くらいならVRでも可能かな。

樋口 クラフトビールは酔うためのお酒じゃないですから。ひとりひとりがじっくり味わうコンテンツとして愛してるわけで。

落合 確かにそうだ。

樋口氏の地元・新潟県十日町市に立ち上げた「醸燻酒類研究所(ジョークンビールラボ)」のクラフトビール醸造所

樋口 あと"地域感"も大事で、僕がビアバーの多い東京じゃなく新潟で醸燻をやっているのは、やっぱり地元の人に飲んでもらえる文化を育てたいからです。

落合 なるほどね。十日町で初仕込みビールを飲む日を楽しみにしてます!

(後日談:10月31日・11月1日に行なわれた醸燻酒類研究所の初仕込みビールお披露目会に、落合さんも無事参加しました)

醸燻酒類研究所の醸造所で造られたクラフトビールが飲めるお店「クラフトビール ジョークン」も先日オープン。10月31日、11月1日には初仕込みクラフトビールのお披露目イベントが行なわれた

講義後の10月31日、初仕込みビールのお披露目イベントを訪れた落合さん(右)と樋口さん(左)

■「コンテンツ応用論2020」とは? 
本連載は2020年秋に開講されている筑波大学の1・2年生向け超人気講義、「コンテンツ応用論」を再構成してお送りします(今年度はリモート開催)。落合陽一准教授がコンテンツ産業に携わる多様なクリエイターをゲストに招き、白熱トークを展開します

●落合陽一(おちあい・よういち) 
1987年生まれ。筑波大学准教授。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学大学院で学際情報学の博士号取得(同学府初の早期修了者)。人間とコンピュータが自然に共存する未来観を提示し、筑波大学内に「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を設立。最新刊は2016年の著作『これからの世界をつくる仲間たちへ』をアップデートした新書版『働き方5.0』(小学館新書)

●樋口啓太(ひぐち・けいた) 
1988年生まれ、新潟県十日町市出身。金沢工業大学情報工学科を卒業後、東京大学大学院学際情報学府・暦本研究室にて修士課程・博士課程を修了(学際情報学)。専門はHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)とCV(コンピュータービジョン)。東京大学生産技術研究所にて特任教員を務めた。現在は株式会社プリファード・ネットワークスにリサーチャーとして勤務。アメリカ留学中にクラフトビールに魅了され、2019年に地元・十日町市に醸燻酒類研究所(ジョークンビールラボ)を共同創業