「現代の魔法使い」落合陽一(右)と「映画監督」樋口真嗣(左) ©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ

映画監督・樋口真嗣(ひぐち・しんじ)は実写(とりわけ特撮)とアニメを行き来しながら制作を続けている。実写では長編映画監督デビュー作『ローレライ』(2005年)以来、『日本沈没』(06年)、『のぼうの城』(12年、犬童一心との共同監督)、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(15年)、そして『シン・ゴジラ』(16年)と話題作、ヒット作を連発してきた。

アニメでは、あの『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズをはじめ『ふしぎの海のナディア』、『宇宙戦艦ヤマト2199』など多くの作品に携わり、最近では『ひそねとまそたん』の総監督を務めた。そして現在は、盟友・庵野秀明(あんの・ひであき)とまたもタッグを組み、映画『シン・ウルトラマン』を製作中だ!

そんな樋口が学生たちを相手に赤裸々に語ったのは、特撮を中心とする映画製作という仕事の過去・現在・未来の姿だった。

* * *

樋口 そもそも特撮とは何かといえば、現実では見られない、普通の撮影の仕方では映せないイメージを、映像の中に現実として定着させる手法を指します。そのやり方は時代と共に進化してきましたが、肝心な点は変わっておりません。つまり「スゴいイメージ」を、「スゴい技術」で実現するのが特撮でございます

特撮の歴史を語る上では避けて通れないアメリカ映画『キング・コング』(1933年)の場合、まず監督のメリアン・C・クーパーが「南の島に巨大な猿がいて、それがニューヨークに連れてこられて大暴れする」というスゴいイメージを出しました。それを実現するために、金属の骨を入れた人形を1コマ1コマ動かしながら、3年くらいかけて撮影しました。

アニメーションというスゴい技術の発明です。その後もジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(77年)やスティーブン・スピルバーグの『ジュラシック・パーク』(93年)など、実現すべきイメージを目指して、特撮はその都度技術を進化させてきました。

じゃあ、日本の場合はどうか。もちろん海外の優れた技術の模倣も試みますが、どうしても予算やかけられる時間の面で追いつけない。そこで、独自の特撮が進化を遂げることになります。

時は1954年、太平洋戦争が終わって9年目です。東西冷戦のさなか、米・ソふたつの超大国は際限のない核開発競争を進めている。そうした中で、あるイメージが生まれます。核実験の影響で、海底に眠っていた恐竜が目覚めたらどうなるか。それも放射能の影響でケタ違いに狂暴化した姿で、われわれの住む街に襲いかかってきたら......

このイメージが『ゴジラ』という映画になります。では、撮影方法は? 

『キング・コング』のように、1コマ1コマ怪獣の動きを撮る時間的余裕はありませんでした。だったら、一番動かしやすい"人間という素体"に怪獣の形をかぶせて動かせばいい、というアイデアが生まれます。これが今に至るまで連綿と受け継がれている、「着ぐるみ」と呼ばれる技術の始まりです。

落合 僕が人生で最初に観た特撮映画は『ゴジラvsキングギドラ』(91年)でした。4歳のときです。

樋口 私の生い立ちの話に入りますと、生まれたのは1965年で、その翌年から『ウルトラQ』によって第一次怪獣ブームが始まります。小学生になった70年代初頭には、普及したカラーテレビを中心に第二次怪獣ブームが起きました。毎日のようにどこかのチャンネルで怪獣もの、ヒーローものを放映しているという状態です。

これは天国という名の地獄です。まず、親の目をどうやって盗むか。しかも、その頃はホームビデオすらありません。だから頑張って、週末のテレビを"脳内録画"するんですね。そして週明け、学校の休み時間に"再生"してみんなに披露するわけです。それが、私のようにスポーツや勉強、音楽ができないマイノリティが人気者になる近道でした。

振り返ってみれば、今ならSNSでやっている大喜利とか、実況動画に限りなく近いことをやっていたようです。情報を制する者がクラスの人気を制するという。情報化時代がすでに始まっていたんじゃないかなと思います。

けれども、盛者必衰は世のならいでございます。怪獣ブームは75年にぱたりと止んでしまいました。テレビシリーズの『ウルトラマン』、『仮面ライダー』、映画の『ゴジラ』、全部がこの年に一度終わってしまいます。

だからと言って人間、死ぬわけではありません。好きなものを変えればいいだけです。小学生ですから。

ちょうどその頃、小松左京さんの『日本沈没』や五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになり、共に映画化されました。日本が沈んでしまったり、人類が滅亡したり、そういうお話です。当時の少年誌の巻頭グラビアには「日本がなくなる」とか「酸素がなくなる」といった天変地異のシミュレーションが、ものものしいイラストつきで次々と掲載されました。

思春期にさしかかる多感な時期を、われわれはそういうものに囲まれて過ごしたんです。それを見ていると、恐怖感とともに、形あるものが吹き飛んだり壊れたりすることに、特撮映画のイメージに通じる一抹の美しさを感じてしまいます。

そして次第に、そうした天変地異、戦争、怪獣がらみの映画の「舞台裏」まで、雑誌で紹介されるようになりました。まさに「特撮が行なわれる現場」を見せてくれるわけです。

落合 大らかな時代だったんですね。今だったら取材に入れないところも多いんじゃないでしょうか。

©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ

樋口 そうなんです。それをむさぼり読んだわれわれ子供は、舞台裏を見て夢が壊れた......なんてことはなく、むしろ新しい夢を見つけてしまいました。これを作るってスゴくないか? どうやって作るんだ? と、純粋な好奇心と共に、いつしか"作る側"が憧れとなっていきました。

ところで、私がこうやって夢を育てていた時期は、日本の映画界に激震が走っていた時期でもありました。テレビや洋画にお客さんを持っていかれ、映画会社の多くが経営危機に陥ってしまいます。その結果、撮影所は社員スタッフを解雇しました。

それまでは各撮影所で働いていた専属スタッフが、みんなフリーランスになってしまったのです。角川春樹さんが映画業界に参入して、フリーの人たちに助け舟を出したのもこの時期です。

逆にいえば、フリーのスタッフが活躍することで、いわゆる"社のテイスト"に染まっていない、野心的な企画が増えました。さらには、僕のように経験も知識もない若造が手伝わせてもらえるような土壌もできていったのです。

そして84年、前作から10年間の充電を経て新たな『ゴジラ』(同タイトルだが54年公開のシリーズ第一作『ゴジラ』とは別の作品)が公開されるのですが、この映画こそ、高校を出たての僕が最初に撮影現場に潜り込んだ作品でございます。

実はこのときにやりきれなかったことを、庵野と私が『シン・ゴジラ』でやってみた、という縁になります。ちなみにこの間、映画界はデジタル化というかつてない大きな変化を経ています。

というわけで『シン・ゴジラ』の話をしましょう。

本家の東宝が12年ぶりに製作したゴジラ映画『シン・ゴジラ』では、初のフルCGゴジラに狂言師・野村萬斎の演じた動きがモーションキャプチャーで取り入れられた。©TOHO CO.,LTD.

落合 めっちゃ聞きたいです。

樋口 84年に再開したゴジラシリーズは、その後に何作か製作され、2004年の『ゴジラ・ファイナルウォーズ』を最後にまた休止となりました。それからわれわれが『シン・ゴジラ』を発表するまで12年も間があり、これは過去最長の空白期間です。

何があったのかといいますと、アメリカの制作会社、レジェンダリーがハリウッド版の『GODZILLA』シリーズを3本作ることになったのです。

ところが、アメリカではよくあることですが、タイムスケジュールが大幅にずれました。レジェンダリー版『GODZILLA』の1作目が14年5月に公開されたのですが、次回作はかなり間が空くことになった。そこで、それなら日本で16年に一本公開できそうじゃない? いや、作れ! ......という話になり、急遽、製作が始まったのでした。

公開まで2年もない、かなり厳しいスケジュールでしたが、このタイミングを逃すとおそらく次はかなり先になってしまう。せっかく『ゴジラ』をやるなら少しでも若いうちにやっておきたい!(笑)と、庵野と私とで合意しました。

この映画で私たちがやりたかったことはひとつです。ゴジラが現れたら、現実の日本、政府や国民はどう対処していくのか、被害はどのくらいになるのか。それらを愚直に積み重ねてみたい。天才的な博士とか超能力者を出さずに、です。庵野も私も、なんで誰もそれをやらないんだろうってずっと思ってましたから。

方法的には、例えば現実の街にあるカメラで撮った画をたくさん使いました。防犯カメラとか、スマホで撮影した映像です。最近ではニュース番組やニュースサイトでも、野次馬が撮った映像を拾い上げて使っているじゃないですか。もしかしたら、リアリティーってそういうところにあるんじゃないかと

『シン・ゴジラ』公開時にその不気味さで大きな話題となった第2形態、通称・蒲田くん。街を破壊していく場面ではスマホ撮影による映像も差し込まれた。©TOHO CO.,LTD.

落合 スマホ撮影のカット、「海ほたる」の近くのトンネルで事故が起こる場面なんか、すごく印象的でした。あれは監督が撮られたのですか?

樋口 あれは前田敦子さんだったと思います。あの事故に巻き込まれたのはふたりで、スタッフより彼女が撮った映像のほうがリアリティがあったんです。それで画が彼女の主観ばかりになり、本人は声だけであまり映っていないという申し訳ないことになってしまいました。

......と、こんな感じで特撮映画を続けていまして、今は『シン・ウルトラマン』を制作中です。2021年の初夏頃にはお見せできると思います。

落合 ありがとうございました! 『シン・ウルトラマン』、めちゃくちゃ楽しみにしてます。日本特撮の60年を振り返ると、戦争、宇宙、怪獣、それと大災害が多かったですが、今後それ以外のモチーフは発見されると思いますか?

樋口 もしかしたら、これまでの特撮は「男の子っぽいもの」に偏りすぎていたかもしれません。これからの時代は、ジェンダーを超えたところで映像の驚きが出てこないかなと期待しています。

落合 僕はVR作品の審査員をする機会がときどきあるんですが、候補作を見ていると、『新世紀エヴァンゲリオン』にあったような風景に影響を受けまくっている人が多いなあと感じます。

例えば電柱があって、コンクリートがひび割れていて、蛍光灯がパチパチしていて、ブラウン管がジンジンいってて、みたいな風景。あの原風景ってどこから来たものなんですか?

樋口 たぶん、私たちが子供の頃に見ていた風景ですね。

落合 やっぱりそうか。

樋口 Hi-Fi(高精細度)じゃないもの、不安定で調和が取れていない、全体的にノイズが多いものに対する憧れから、ああいう世界観に向かったのかな。今にして思うと。

落合 そうして作られたSFで育った人たちが今、クリエイターになって活躍しています。その人たちは"エヴァ的な風景"にノスタルジアを感じて再生産しているようです。

樋口 元ネタは70年代の日本ですよね。高度経済成長期の機能や効率を優先した、デザインがない世界というか。それが二次化、三次化されて、今ではあのスタイルがデザインになり始めている。落合さんにとって、あの感じは完全に原風景的なものじゃないわけですよね?

落合 世代的にはそうです。ただ、個人的にいえば僕は東京の六本木出身で、電柱ごちゃごちゃ、ネオンごちゃごちゃみたいな風景の中で育っているので、近しいといえば近しいと思います。

後編⇒落合陽一×樋口真嗣(映画監督)「コロナの時代もいつか物語の舞台になる」

■「コンテンツ応用論2020」とは? 
本連載は2020年秋に開講された筑波大学の1・2年生向け超人気講義、「コンテンツ応用論」を再構成してお送りします(今年度はリモート開催)。落合陽一准教授がコンテンツ産業に携わる多様なクリエイターをゲストに招き、白熱トークを展開します

●落合陽一(おちあい・よういち) 
1987年生まれ。筑波大学准教授。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学大学院で学際情報学の博士号取得(同学府初の早期修了者)。人間とコンピュータが自然に共存する未来観を提示し、筑波大学内に「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を設立。近著に、2016年の著作『これからの世界をつくる仲間たちへ』をアップデートした新書版『働き方5.0』(小学館新書)

●樋口真嗣(ひぐち・しんじ) 
1965 年生まれ、東京都出身。1984年、『ゴジラ』に造形助手として参加し映画界入り。平成ガメラシリーズなどで特撮監督を務めた後、『ローレライ』で長編映画監督デビュー。監督・特技監督を務めた2016年公開の『シン・ゴジラ』では、総監督の庵野秀明と共に日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。そして再び庵野とのコンビによる『シン・ウルトラマン』(主人公に斎藤工、相棒役に長澤まさみ)が来年初夏、ついにベールを脱ぐ!