淡路島の化石産地で発掘を行なう岸本さん。何も成果がない日もあるが、「化石がそこにないとわかるのも楽しい。つらいとは思わない」 淡路島の化石産地で発掘を行なう岸本さん。何も成果がない日もあるが、「化石がそこにないとわかるのも楽しい。つらいとは思わない」

17年前に淡路島で発見された化石が、今年4月27日に新種の恐竜のものだと認定された。驚くべきはその発見者である。掘り起こしたのはプロの研究者ではなく、その道50年のアマチュア化石ハンターだったのだ。知られざる発掘秘話と、化石とともに歩んだ半世紀を聞いた!

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■深夜に出発し夜明けに発掘スタート

岸本眞五(きしもと・しんご)さんがその化石に目を留めたのは、今から17年前のことである。

場所は兵庫県・淡路島にある和泉(いずみ)層群。ここは白亜紀末期(約7200万年前)の地層で、アンモナイトや貝類の化石が多く見つかることで知られるスポットだ。岸本さん自身、この日の本来のお目当ては、アンモナイトであったと述懐する。

「ここでは珍しいアンモナイトの化石が過去に発掘されていました。私も70年代半ばに初めて訪れて以来、何度も通っているエリアです。週末のたびにライトバンに機材を積んで、夜中に姫路の自宅を出発。車内で少し仮眠をとって夜明けと同時に発掘調査を始めるんです。何十年もそんな生活を続けていて、家族はほとほとあきれていますけどね(笑)」

歴史的な瞬間は唐突にやって来た。

午前中にめぼしいエリアを一巡した岸本さんは、さしたる成果のないまま、そろそろ帰途に就こうかと考え始めていた。しかしなんとなく気が向いて、これまでまったく化石が見つからなかった北西区域に足を向けてみることにした。

「片隅の岩片の山に、気になる物が見えました。最初は貝の断面がのぞいているのだと思いましたが、それにしては様子がおかしい。というのも、骨の組織らしき物が見えるんです。近づいてみて、それが大型動物の歯であることを確信すると、全身の血が沸き立つ感覚を覚えました。しかも歯だけでなく顎までついている。もう、大興奮ですよ。信じられなかったですね」

岸本さんは高ぶる感情を抑えながら周囲の岩を丁寧に割り、化石を掘り出していく。

「ここは海に堆積した地層なので、まず考えられるのは海生爬虫類(はちゅうるい)です。しかし、これまでこの地域で発見されているものとは、まるで歯の形状が異なる。具体的に言うと、魚類を食べていた歯ではなく、草を食べていた歯だったんです」

次第に熱を帯びる岸本さんの口調から、当時の興奮がよみがえる。草が生えているのは当然、陸上である。そして白亜紀に陸上を闊歩(かっぽ)した草食性の大型脊椎動物といえば――。

「恐竜しかありえません。これは大変なものを見つけてしまったと、手の震えが止まりませんでした」

化石の多くは岩石の中に埋もれた状態で産出するため、タガネとハンマーを駆使して余分な岩や泥を取り除く作業(=クリーニング)が必要になる。

岸本さんはさっそく翌日から、持ち帰った化石のクリーニングに取りかかった。そして少しずつ周囲を削り落とし、化石の形状が鮮明になるにつれ、岸本さんはこれが恐竜の歯であると確信する。

果たして、追加調査で新たに発見された化石も含め、計6点の成果をもって恐竜発見のニュースは大々的に報じられることとなった。

「関西初の恐竜とあって、このときはとんでもない騒ぎになりました。めぼしい新聞がすべて夕刊のトップで報じてくれて、私の周囲もにわかに騒がしくなりましたね」

岸本さんが採掘・クリーニングした「ヤマトサウルス・イザナギイ」の化石。上が頸椎骨、下が烏口骨(肩帯を構成する骨) 岸本さんが採掘・クリーニングした「ヤマトサウルス・イザナギイ」の化石。上が頸椎骨、下が烏口骨(肩帯を構成する骨)

――と、ここまでが17年前のお話。この発見が本当の価値を持つのは、時を経た今年4月下旬のことである。

化石はその後、専門家の手によってさらに緻密なクリーニングを経て、分析が進められてきた。これがどの科に属する恐竜であるのか、何年も議論と検証が重ねられ、ようやくたどり着いた結論は、草食恐竜ハドロサウルス科の新属新種であるという事実だ。新種には「ヤマトサウルス・イザナギイ」の名がつけられ、あらためてセンセーショナルに報じられた。

ハドロサウルスはカモに似たくちばしを持つ、体長7~8mの植物食恐竜だ。今回発見されたヤマトサウルスは、ハドロサウルスの原始的な種と特定され、研究上の貴重な手がかりになるという。

■化石のために家業を畳んだ

岸本さんのホームページ『化石の展示室』。採掘結果だけでなく、そのときの様子も詳細に記されている。30、40代の化石研究者のなかにはこのページを見ていた人も多いとか 岸本さんのホームページ『化石の展示室』。採掘結果だけでなく、そのときの様子も詳細に記されている。30、40代の化石研究者のなかにはこのページを見ていた人も多いとか

岸本さんの人生は、まさに化石一筋だ。

生まれは1948年。兵庫県姫路市で建築業を営む両親のもとで育った岸本さんが初めて発掘に関心を持ったのは、小学校4年生のときだった。

「近所の畑で土器のかけらを見つけたのが始まりで、そこから古い物に興味を持つようになりました。当初は古銭などを中心に探していましたが、高校1年生の頃、たまたま新聞で化石発掘ツアーの募集を見つけたことが今思えば転機だったのかもしれません。三重県津市の露頭で初めて貝の化石を見つけ、大きな感動とロマンを覚えました」

そのまま高校時代はひたすら化石採集に没頭し続けた岸本さん。ならば、古生物学を仕事にしようと考えたことはなかったのだろうか?

「とてもそんなことが言える成績じゃなかったですからね(笑)。それに、将来は親の仕事を継ぐことになるだろうと思っていたので、大学でも土木を専攻しました。化石はあくまで趣味として続けていければいいな、と」

その言葉どおり、卒業後は会社勤めをしながら、休暇のたびに化石を探しに出かける生活が続く。それこそ、雨の日も風の日も、だ。

「化石探しというのは一期一会なんです。同じ場所でも、雨が降るとまた景色が変わりますし、それまで見えていなかった岩が露出することもありますから。なので、何度でも繰り返し探します。親は当時『結婚もせず、何をやっているんだ』とよく愚痴っていましたが、自分でもよく飽きないものだと感心しますよ」

そう言って笑う岸本さんだが、一時は家業を継いだ時期もある。しかし、経営者としての実務は多忙で、平日も週末もない。これでは化石を探す時間が確保できないと、岸本さんは35歳で惜しげもなく会社を畳み、以降は定年までサラリーマン生活を続けたというから徹底している。

その途中、結婚して3人の子宝に恵まれた岸本さんは、父として家族の生活を守りながら、捻出できるすべての時間を化石の採集に捧げてきた。気がつけば優に半世紀以上化石採集に明け暮れてきたことになるが、「やめようと思ったことは一度もない」と明言する。

唯一の危機といえば、還暦を迎えると同時に膀胱(ぼうこう)がんを患ったときだ。

「このときはさすがに、残りの人生をどう生きるべきか悩みました。でも、家族と話し合った結果、子育ても終えていることだし、今後は細々と年金を受け取りながら、好きなことだけをやって生きていくのもいいのではないかと決めたんです。だから病気で落ち込むよりも、むしろ化石採集に専念できることを喜んだくらいですよ(笑)」

■化石は地球からの預かりもの

72歳になった今も、岸本さんは元気に発掘調査を続けている。そこまで趣味の世界に没入できる原動力はなんなのか?

「なんといっても化石を見つけたときの高揚感です。何かが見つかると、いまだに興奮して声が出ますからね。それに、採掘調査の現場では年齢も立場も関係ないですから、私のような70代と10代の少年が、対等に語り合うことができるんです。10代の友達ができる機会なんてそうあるものじゃないですから、これは楽しいですよ」

一方で、まったくストレスがないわけではないという。

「例えば人間関係。この世界にもいろんな人がいて、考え方の相違から決別することだって珍しくありません。そのひとつが化石の売買です。日本の場合、化石の産地は私有地であることがほとんどですが、そこで化石を採集した人の中には、地権者に無断でそれを売却してお金に換える者もいます。私はこれがどうしても許せないんです」

こうしたいざこざが元で、それまで所属していた団体からの退会を余儀なくされたこともあると語る岸本さん。そこには、かたくなに守り続けてきたこんな思いがある。

「化石というのは見つけた人の財産ではありません。地球からお預かりしている物であり、いずれはお返しすべきというのが私の考えです。ただし、元の地層に埋め戻すのではなく、研究材料として生かされる形に整えて、未来に役立てていただくのが理想です」

化石は標本そのもの以上に、それがいつどの場所で見つかった物であるかというデータが意味を持つ。

「標本さえきちんと保存されていれば、たとえ何十年後であっても学名はつけることができます。しかし、その生物の分布や生態を知るには、発見場所の詳細が何よりも重要です。だから化石を研究に役立ててもらうためには、そうしたデータをしっかり整理して添えることが不可欠なんですよ」

年を重ねるにつれ、好奇心が衰えることはないのか?

「不思議なもので、この年になっても全然衰えないですね。むしろここ数年は、自動翻訳の精度が上がったので海外の論文も読めるようになりました。そうして論文を読むと知識が広がりますから、仕事を辞めた今のほうが化石にのめり込んじゃっているくらいです」

まさに、老いてますます盛んというのがふさわしいお言葉。では、新種の恐竜発見という偉業を成し遂げた今、次に見据えている目標は?

「もう一回大きな発見をしてやろう、なんて大それた気持ちはないです。今回の発見だって、家族や仲間、研究者の先生のお力添えがあってこそですから、ただただ感謝しかありません。

次は、採掘の現場でできた10代の若い友人たちが何か大きな発見をしてくれるとうれしいですね。若いときほど体は動かなくなりましたが、そのぶん今は若者たちに化石の面白さや採掘のコツを伝えることが楽しみになってきたんです」

さらなる大発見がもたらされる日も近いかもしれない。

●岸本眞五(きしもと・しんご) 
化石ハンター。1948年生まれ、兵庫県出身。高校1年生のときから56年にわたり化石採掘を続ける。2004年に淡路島で見つけた化石が新種の恐竜だと今年4月に判明。「ヤマトサウルス・イザナギイ」と命名された。