昨年の秋、米フェイスブックが社名を「メタ(Meta)」に変更したことで、にわかに注目を集めた「メタバース」。インターネット上の仮想空間にある「もうひとつの世界」を指す言葉だが、このメタバースが今後、人々の暮らしや社会の中で存在感を高めていくという。
SNSに代わるキラーサービスとして、GAFAMやスタートアップ企業が熱い視線を注ぐメタバースで何が変わるのか? 『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』(光文社新書)の著者で、中央大学国際情報学部の岡嶋裕史教授に聞いた。
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――そもそも「メタバース」という言葉はいつ頃から使われているのでしょう?
岡嶋 この言葉に最初に飛びついたのは、おそらく"VR屋さん"だと思います。フェイスブック(現メタ)がビデオゲーム用のVRヘッドマウントディスプレイを開発した米オキュラスを買収したのが2014年で、16年頃には「VR元年」といわれていました。
PS4専用の「PlayStation VR」などが登場し、「VRゴーグルをスマホ並みに普及させるぞ」という勢いだったのですが、このときは一部の人に受け入れられただけで不発に終わりました。当時は技術的にも未熟でしたし、大げさなヘッドマウントディスプレイは、相当なヘビーゲーマーでも一日中かぶっていられませんからね。
その後、VRをめぐるテクノロジーは大きく進化しました。VR業界がもう一度ブームを起こそうとしたとき、新しい看板として目をつけたのがメタバースだったのです。
――やはり最初は、ゲームとかVRのハード関連の業界が中心だったんですね。
岡嶋 そのため、当初は高精細な3D映像の実現や、視覚、聴覚だけでなく「触覚」「嗅覚」なども感じられるインターフェースの開発など、技術面でいかにリアルな「現実」に近づけるかという部分が重要視され、それに関わるガジェットやコンテンツとしてのゲームの開発が進められてきました。
そうして生まれたネット上の仮想空間で、人々が「つながる」というSNS的な要素が加わり、次第に単なるゲームのための空間から人々が生活して交流する「もうひとつの世界」へと変化してきたのです。
――コロナ禍で巣ごもりを強いられるなか、ニンテンドースイッチ『あつまれ どうぶつの森』のゲーム空間で過ごす人が世界中で急増しているそうですが、あれも一種のメタバース?
岡嶋 はい。現実に近い「リアルさ」を追求するテクノロジーが急速に進歩する一方で、今では「VRゴーグルをかぶらないとメタバースじゃない」とは誰も思わなくなっていて、実際スマホからメタバースにアクセスできるアプリも登場しています。
そもそもメタバースは「メタ」(超)と「ユニバース」(世界)を組み合わせた造語ですが、私はインターネット上につくられた現実とは別の「自分にとって都合のいい、もうひとつの世界」がメタバースだと考えています。
メタを含めた巨大IT企業がメタバースに商機を見いだそうとしているのも、この先SNSに代わって多くの人たちがメタバースの中で長い時間を過ごすようになると考えているからです。
そこには多くの投資が集まり、さらにテクノロジーが進めば「食事と排泄(はいせつ)以外はネット上のメタバースで過ごす」という人も出てくると思います。
――実際それって、ホントに可能なんでしょうか?
岡嶋 すでに、ほぼそうした暮らしをしている人はいると思いますよ。今はネット上の仮想空間の中で仕事をしてお金を稼ぐことも、そのお金で物を買うこともできます。ブロックチェーン技術を使ったNFT(デジタル商品認証技術)によって、暗号資産だけでなくデジタルデータのオリジナルの価値が保証できるようになった今、自分の生活の中心をメタバースに置いて、仮想空間で生きていくということが可能なんです。
私は趣味でレーシングカートに乗っていますが、自動車レースの世界ではすでにバーチャルなeスポーツ版の世界選手権が行なわれていて、プロのレーサーが生まれていますし、メタバースの中で起業する人もいます。それに手の触覚を伝えるグローブを使って、メタバースで誰かと手を握り合って眠ることだってできるのです。
――自分にとって都合のいい仮想空間で過ごすことで、人々の分断が広がる心配は? それって現実逃避とは違う?
岡嶋 そうした批判があるのはわかりますが、では「現実」から逃れてはいけないのでしょうか? リアルな現実の世界には多くの制約がありますし、貧富の差や容姿の良しあし、学歴の違いなどによる、さまざまな不平等を受け入れることを強いられています。
また、自由が尊重される世の中になった一方で、みんなに言い分があって正義があるんだという空気になり、自由だから自己責任だという「圧」も強まっている。そんな現実世界で意見の違う人同士が同じ空間に集まっていたら対立や摩擦が増えるのは当然です。
もちろんそれが楽しいという人もいるでしょうけど、もともと人付き合いが苦手で、人との対立や摩擦にさらされる現実から解放されたいと思う人もいるはずで、メタバースの中なら自分に都合のいい世界を選んだりつくったりすることができる。私はリア充の人たちに、それを止めたり、批判したりする権利はないと思うんです。
それにアメリカのトランプ支持者とバイデン支持者が互いにわかり合う可能性がないように、これだけ世界の分断が進んでしまうともう落としどころってない気がしませんか?
――だったら、仮想空間という守られた「繭」の中で、平和に幸せに暮らしたほうがいいかもしれない、と。
岡嶋 はい。と同時に、産業としてのメタバースは日本にとって大きなチャンスだと思います。それは「リアルの代替品ではなく、現実にとらわれない別の世界を創造する」という部分で、マンガやアニメ、ゲームで世界をリードしてきた日本人のクリエイティブな感覚が、大きな武器になると考えるからです。
もちろん、その基本となるプラットフォームを手中に収めるのがGAFAMになるのは避けられないでしょうが、それでも、日本が世界に存在感を示せるチャンスは十分にあると思っています。
●岡嶋裕史(おかじま・ゆうし)
1972年生まれ、東京都出身。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学経済学部准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授。近著に『ジオン軍の失敗』『ジオン軍の遺産』(共に角川コミックス・エース)、『思考からの逃走』(日本経済新聞出版)、『大学教授、発達障害の子を育てる』(光文社新書)などがある
■『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』
光文社新書 902円(税込)
フェイスブックが社名をメタ(Meta)に変えるなど、GAFAMと呼ばれる巨大IT企業がSNSに続くキラーサービスとして注力している「メタバース」。インターネット上の、現実とは違う「もうひとつの世界」はどう形作られようとしているのか。仮想現実の歴史をひもときながら、メタバースが今注目されている背景、GAFAMのメタバースへの取り組みを解説。日本ならではの成功の形を探る