「世界で一番キリンを解剖した(かもしれない)女」。それが、東洋大学助教の郡司芽久(ぐんじ・めぐ)さんだ。キリンの形態学を専門とする郡司さんは、東京大学の学生だった19歳の冬から、実に40頭を超えるキリンを解剖してきたという。
そんな珍しい経験を持つ郡司さんが、ヒットした『キリン解剖記』(ナツメ社)に続き、2冊目の著書『キリンのひづめ、ヒトの指』(NHK出版)を出した。目を引くのは「生き物に『ざんねんな進化』はない!」という帯の文句。
ベストセラーの『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』(高橋書店)を思わせるこのコピーに込められた意図は?
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――キリンって、どうやって解剖するんですか?
郡司 日本では、動物園で飼育されている動物の遺体を大学や博物館に"献体"するシステムが確立されていて、キリンが亡くなると連絡をいただけるようになっているんです。でも、いつ亡くなるかは誰にもわかりませんから、訃報が届いた瞬間に予定をがっつりキャンセルして研究室に飛んでいくことに......。
キリンの体長は4~5m、体重は1t前後ありますから、複数人で、1週間ほどかけて解剖します。大きすぎてホルマリン漬けや冷凍保存ができないので、取りかかったら終わりまで一気に作業するしかないですね。
――郡司さんは、いったいなぜキリンを解剖しまくる人生を選んだのでしょうか?
郡司 これは前著からもカットしてしまったんですが、実はかなり紆余(うよ)曲折があったんです。私は1歳くらいからキリンが大好きだったので、その意味ではキリンの研究者になったのは自然なんですが、解剖学を専門にする予定ではなかったんですね。
というのも、今の生物学では解剖学はメジャーじゃないんですよ。主流は分子生物学や行動研究で、解剖学は歴史は長いけれど、そこまで光が当たる感じじゃなかったんです。
――なぜその道に?
郡司 ひとつは、自分にしかやれないことをやろう、と思ったこと。あと、研究は日進月歩ですから、今現在イケてる分野に入ったとしても、一人前になる頃には別の分野が最先端になっている可能性も高いんですよね。
今、最先端を走ってる研究者は、その分野を最先端に押し上げた人たちでもあるんです。だから、どの分野がいいとか悪いとかではなく、自分だけの道を行くことが大事だと思ったのが大きいかな。実はこのことは、今回の本のテーマにも関係するんです。帯、読まれました?
――「生き物に『ざんねんな進化』はない!」ですか?
郡司 そうそう。別に『ざんねんないきもの事典』にケンカを売る意図はないんですが(笑)、「進化」という概念はよく聞く割に誤解されがちな言葉だと思います。進化とは必ずしも弱肉強食を指すわけではないし、絶滅せずに生き残った生物が強い、スゴいというわけでもないんですよ。
――そうなんですか?
郡司 はい。例えば海にすんでいた首の長い首長竜は、もう絶滅しちゃいましたよね。でも、今生きている生物よりも"ざんねん"だったわけではありません。彼らはクジラの仲間が地球上に現れてから現在に至るまでの時間よりも長い間、地球上に存在していましたからね。
じゃあなぜ絶滅したのかというと、ざっくり言えば「たまたま」です。偶然、地球環境が首長竜に合わない方向に変化してしまっただけです。
――つまり、首長竜がクジラよりも劣っていたわけではないと。
郡司 そうですね。ある環境に適応しているからといって、それが優れているというわけでもないんです。環境はいつ大きく変わるとも限らないですからね。私が流行の分子生物学ではなく解剖学を専門に選んだのは、こうしたことも関係していたかもしれません。
話を戻すと、そもそも生物の進化に優劣はないんですよ。首長竜もクジラも環境に適応しているだけなので、どっちがいい、悪いって話ではないんです。
――でも、ざんねんな進化ってありませんか? コアラは脳が小さいから賢くない、とか。
郡司 人間から見るとイマイチな進化にも、ちゃんと理由があるんですよ。本から例を挙げてみますね。水辺にすむ水鳥の多くは、羽根一本一本が撥水するように進化したのですが、ウの羽にはどういうわけか撥水作用がないんです。
ウはエサを探しに水に潜ることもできるんですが、水から上がるとびしょびしょになりますから、よく水辺で羽を広げて乾かしています。
――確かに、ぼんやりと羽を広げて乾かしているウを見たことがあります。ちょっと間抜けですよね。
郡司 ところが、ウの羽のつくりには意味があるんです。撥水できないおかげで浮きにくく、とても潜りやすいんですね。潜りやすいとエサを捕まえやすいですから、有利なわけです。
さらに補足すると、内側の羽だけは非常に密になっていて、濡れにくいこともわかっています。だから、最低限の防水性は確保されているんです。
――へえー! よくできていますね。
郡司 進化という言葉は、「よくなること」「勝ち抜くこと」という意味で使われがちですが、実態はそこまで簡単じゃないんですよ。複雑な環境の中で複雑な身体を進化させるんですから、どうしても「あちらを立てればこちらが立たぬ」ということになりがち。進化とは、華やかなイメージとは裏腹に、妥協の産物なのです。
そのため、一見メリットのなさそうな進化も起こりますが、まったく別の見方をすると何かしらの意味がある場合もあります。
人間の目からは間抜けにしか見えない生き物や、絶滅してしまった生き物も、環境の中で折り合いをつけて生きてきただけであって、優劣はない。それを伝えたかったんです。
――進化って複雑なんですね。
郡司 たぶん、私がキリンが好きなのもそこなんです。あの長い首のおかげで高いところにある葉を食べられるわけですが、代わりに、例えば脳まで血液を届けるために非常に高血圧になっているとか。そういう、環境との妥協を体現してくれているのがすてきです。
人間も似ていますよね。できることもできないこともあるけれど、その範囲の中でうまくやっている。私たち生き物は、決してざんねんなんかじゃないと伝えたいですね。
●郡司芽久(ぐんじ・めぐ)
1989年生まれ。2017年、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了。同年4月より日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務後、筑波大学システム情報系研究員を経て東洋大学生命科学部生命科学科助教。専門は解剖学・形態学。第7回日本学術振興会育志賞を受賞。著書に『キリン解剖記』(ナツメ社)
■『キリンのひづめ、ヒトの指 比べてわかる生き物の進化』
NHK出版 1650円(税込)
われわれヒトが備えるすべての器官は、進化の産物だ。その設計がいかに優れているか知りたければ、ほかの生物と比較してみるのが手っ取り早い。動物の"行動"にフォーカスした本は多々あるが、手足や内臓といった"器官"にフォーカスして比較する、解剖学者らしい目線で生き物の進化を紹介した本。9つの器官を比べて導き出した結論は「進化とは、妥協点を探ること」。読めば動物が、ひいては自分の体がもっと好きになること間違いなしだ